[ニューマシン]

1973年、海老原さんはFT-101Bを購入した。一番の理由は、1.9MHz帯を運用したかったからであった。かつてプラグインコイル式の自作無線機で運用していた時代、市販の1.9MHz用のコイルセットを入手して、小笠原返還記念局JD1YABと1局だけ交信したことがあったが、その後は1.9MHz帯の運用を行っていなかった。FT-101Bを入手した後は1.9MHz帯に熱中するようになる。

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1.9MHzで交信したJD1YABのQSLカード。

アンテナは、1/4ラムダの38m長の逆L型を設置した。接地には、自宅改築の時に多量の銅線を埋設してあったため、アースもよく効いていた。新しい無線機での初QSOは1973年8月5日、1.9MHzでのJA0AJH局であった。その後、海老原さんは、1.9MHz帯での移動運用に興味を持つ。きっかけは、JA3AA島さんのWAJA(全都道府県交信賞)を完成させるため、JA3ALO局が最後に残った徳島県に移動し、1石のトランシーバーを使って1.9MHz帯で交信したという話を聞いたことで、1.9MHz帯の移動運用がそんなに期待されているのなら自分もやってみようと思った。

[移動運用]

電源として、ホンダの300W発電機を手に入れ、手始めに当時珍市だった滋賀県彦根市から運用してみたところ、そこそこ呼ばれて好感触を得た。その後は毎週末に移動するようになり、京都府は全市、滋賀県の市もかなりも回った。運用バンドは1.9MHz帯に絞り、同じ夜間バンドである3.5MHz帯には出なかった。理由として、「一晩で何カ所からも移動運用したかったため、他のバンドを運用する余裕がなかったからです」と、海老原さんは説明する。

FT-101BはAC/DCの2電源に対応していたため、車のバッテリーから電源をとることも可能だった。ACで使用する際はAC用の電源ケーブル、DCで使用する際はDC用の電源ケーブルを使い分けたが、無線機側のコネクタは1つしか無く、ピンによってAC入力とDC入力が分けられていた。DCで使用できたことが、後に実現する走行運用につながった。

[モービルホイップを製作]

1974年5月4日、この日海老原さんは日本で初めて、1.9MHz帯で走行しながらのQSOを成功させた。アンテナには約5m長の自作センターローディングホイップアンテナを使った。スプリングが付いたベース部分にはハスラー社のマストを使用し、それに市販の空芯コイルに上部エレメントの支持と防水の加工をしたものを取り付け、その上に直径3.5mmのステンレス棒を取り付けた。コイルに塗った防水用の上薬は、化学の先生だったJA3AJ小川さんの力作で、プラスチックを砕いて粉にして溶剤と混ぜたものだった。ステンレス棒を取り付けるねじは、近所の鉄工所に依頼して切ってもらった。

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実験中の1.9MHzモービルホイップアンテナ。

しかし、さすがに後部バンパーに取り付けた5m長のモービルホイップを垂直に立てたまま走行するのは危険なため、アンテナの先端にロープをかけ、前方のバンパーまで引っ張り、弓のような形にして実用化した。アンテナの調整は自宅近くの空き地で繰り返し行った。調整やテストはいつも日中に行ったため、実交信することはなかったが、最終的にSWRが落ちたため、これで行けるはずと確信したという。

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後方のバンパーにベースを取り付け、先端部分はロープで引っ張って、前方のバンパーに固定した。

電鍵には、JA3DY橋本さんから譲り受けた、旧陸軍の戦車部隊用に開発されたと思われる旭電機製の既製品で、携帯型IIという名称の、太ももにはめるタイプの縦ぶれ電鍵を使用した。実験中は痛みなどを感じなかったが、ズボンの上からはめて実験運用したのにもかかわらず、太ももに高周波やけどを負い、水ぶくれ寸前に赤くなった。「おそらく、この金属部分に高周波が乗っていたからでしょうね」と海老原さんは話す。

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走行運用で使用した旭電機製の縦ぶれ電鍵。

[走行運用を計画]

当時京都で、タクシー無線用のFM機を改造したトランシーバーを使い144.48MHzに出ていたグループがあり、海老原さんもメンバーだった。そのグループでは年に何度もドライブに出かけていたが、1974年のゴールデンウィークには、蔵王にドライブに行こうという話になった。それを絶好のチャンスだと捉えた海老原さんと小川さんは、道中で1.9MHz帯の走行運用を計画した。

5mのホイップアンテナも無事に完成し、海老原さんと小川さんは、海老原さんのマツダ・ルーチェ2000ccに乗って京都を出発した。グループ全体で5、6台の車が参加したが、海老原さんの車以外は、別行動で先に宿泊先の塩釜に向かってもらい、現地で合流することにした。海老原さんと小川さんは、名神自動車道、東名自動車道を経由して首都圏に達し、夜も更けてきたためいよいよ走行運用を実行に移すことにした。この運用については、万一失敗すると具合が悪いため一切予告は行わず、当時1.9MHz帯の運用仲間で、CQ誌の1.9MHzバンドエディターだったJA3AA島さんにも連絡をしていなかった。

[走行QSOが成功]

また、東名自動車道で運用しなかったのは、交通量が多いので、目立つアンテナは具合が悪いんじゃないかとの懸念があったからだ。アンテナをセットし、当時は東北自動車道の起点だった岩槻ICから乗った。東北自動車道に乗る前にも、試しに少し波を出してみたが、一般道ではロケが悪く交信はできなったという。岩槻ICから東北自動車道に乗ると、高架のためロケが改善し、22時10分、海老原さんが出したCQに対し、JH3VWY池上さんが応答し、レポート交換も無事に完了して、日本初の1.9MHz帯走行QSOが成功した。

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当日のログ。(※クリックすると画像が拡大します。)

この日の運用はすべて海老原さんが行い、小川さんは運転手に徹してくれた。海老原さんは後部座席に座り、傍らFT-101Bを置いて、運用しながら紙ログに記入していった。周波数はFT-101Bに固定水晶を入れ1909kHz固定で運用した。走行中の市名が変わるのは、小川さんが標識を見て確認してくれた。走行スピードは80km/h以下だった。一切運用予告をしていなかったため、交信相手も初めは走行しながらの運用だとは気づかなかったらしい。

[15市から運用]

海老原さんらは岩槻市(現在のさいたま市岩槻区)から走行運用をスタートし、その後、館林市、小山市、宇都宮市、矢板市、黒磯市(現在の那須塩原市)、白河市、須賀川市、郡山市、二本松市、福島市、白石市、名取市、多賀城市から順に運用し、翌日5月5日の早朝4時5分、最後の塩釜市で行ったJA3AA島さんとのQSOを以て、運用を終了した。合計15市からオンエアし、80QSOという結果で、大成功だった。

早朝、塩釜市の宿屋に到着した後は、少しだけ休憩したらもう朝飯の時間になった。その後は他のメンバーと合流して蔵王に向かい観光を楽しんだ。1.9MHz帯は基本的に夜間しか通信できないこともあって、帰路は運用する時間がなく、海老原さんは小川さんと交代でルーチェを運転して京都に帰ってきた。

その後、海老原さんは、週末になると1.9MHzで移動運用を行うようになる。センターローディングのホイップアンテナは、もう1本作り、そちらは、ローディングコイルの先に米軍ジャンク品の折りたたむと50cmくらいになるホイップアンテナを使用した。「この頃は何度も移動運用を行っていたので、コールサインも認知され、「こんなアンテナからの弱い電波でも拾ってくれたのだと思います」と海老原さんは話す。

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このアンテナはその後の移動運用で大活躍。写真は収納時の様子。