[大阪万博]

1970年、大阪府吹田市の千里丘陵において大阪万博(正式名は日本万国博覧会)が開催された。この博覧会に米国サンフランシスコ市が出展したパビリオン「サンフランシスコ市館」の中に、サンフランシスコ市からの依頼に応え、JARL関西支部が中心となって、特別記念局JA3XPOが開設された。開設に至る経緯などは、JA3AA島さんの連載に詳細が記されているのでご参照いただきたい。

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JA3XPOのQSLカード。(カラーバージョン)

大阪万博は、3月14日の開会(一般入場は3月15日)から、9月13日までの183日間わたるロングランで、パビリオンには休館日がないため、JA3XPOも183日間ぶっ続けで展示運用を行う必要があった。無線局の管理と来場者への対応ため、毎日誰かが無線局に詰めていないといけない。そのため、当時のJARL関西支部長JA3AV辻村さんや、実行委員長の島さんが中心となって、運用委員が集められた。

[運用委員になる]

海老原さんには、「大阪万博でJARLが特別記念局を開設するので手伝って欲しいと」、JA3AJ小川さん経由で声がかかった。当時、海老原さんの職場であった立命館大学は、一般企業に比べると比較的年休が取得しやすいことを小川さんが知っていて、声をかけたのであった。海老原さんは運用委員を喜んで引き受けた。

JARLはサンフランシスコ市から依頼される前、独自に特別記念局の開局を検討していたが、資金的な問題もあって会場内での開設を断念していた。そのような状況の中で、大阪市の姉妹都市であるサンフランシスコ市から、大阪市を通して依頼があり急に話が決まったため、無線局の開設準備には十分な時間がなかった。結局アンテナが上がったのは、開会日前日である3月13日の夜で、その時間から近畿電波監理局の落成検査を受検したのであった。その日は特に寒い日で、パンザマストに登る作業員がはめた軍手が、パンザマストに凍り付いてしまったことを海老原さんは憶えている。落成検査には合格し、3月14日の開会日にぎりぎり間に合った。

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JA3XPOの開局式。海老原さんは右から3人目。

運用委員になった海老原さんは、木曜日の担当に決まった。したがって、閉会まですべての木曜日に無線局にいる必要があった。それには、20日以上の年休を使って対応したという。さらに、来場者の多い日曜日にも行かなければならなかったため、毎週木曜日と日曜日の2回ずつ、京都から千里まで自家用車で通った。海老原さんらJA3XPOのスタッフは、全員ボランティアによる活動で、手当などは支給されていないが、会場に入るための従業員入場証が支給されたため、会場内まで車で乗り入れることができた。

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海老原さんの従業員入場証。

[JA3XPOの運用]

さて、JA3XPOは、当初運用委員だけの運用としていたが、委員以外に開放しても問題がないことが確認できたため、4月に入るとビジター(ただしJARL会員に限られる)による運用も開始した。そのため、海老原さんら運用委員は、来館し記念局の運用を希望するビジターの運用管理を主に行うことになった。ただし、平日は、ビジターがそれほど多くなく、運用委員も積極的に運用した。このJA3XPOがビジターによる運用が認められた、日本で開設された初めてのアマチュア無線局であった。その後は大きなイベントの度に特別記念局が開設されるようになる。ただし、JA3XPOでは外国人の運用はまだ認めらなかった。

[サンフランシスコ市館]

サンフランシスコ市館は、大阪市とサンフランシスコ市が姉妹都市であったことから、アメリカ館とは別に、サンフランシスコ市が独自に出展したパビリオンであり、メイン展示はサンフランシスコで走っている世界的にも有名な市電(路面電車)であった。サンフランシスコ市からは多くの女性コンパニオンが来日し、館内で来場者の案内を行っていた。

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市電と海老原さん。後方にJA3XPOのパンザマストが見える。

他の外国パビリオンも含めて、コンパニオン達の多くは、会期中、会場近くの従業員宿舎で生活していたが、ほぼ毎週末、そこでパーティが開かれていた。海老原さん達JA3XPOのスタッフも度々そのパーティに参加し、外国人スタッフ達との親睦を深めた閉館時の大阪市主催のサヨナラ・パーティでは、JA3XPOのスタッフも皆、夫人同伴で参加し、盛大なパーティになった。

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さよならパーティの様子。

余談ではあるが、大阪万博から30年後の2000年、当時のコンパニオンとJA3XPOのスタッフが、サンフランシスコで同窓会を開催することになり、JA3AA島さん、JA3UB三好さんと海老原さんの3人が幹事になった。現地での細かい手配は、JA3USA島本さんが手配してくれた。海老原さんらは30年ぶりの再会を楽しみ、1週間くらい米国に滞在した。 

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サンフランシスコで30年振りにJA3XPOのスタッフが集まった。