[ゴム動力]

海老原さんは小学生の頃、角材と竹ひごでゴム動力の模型飛行機(ライトプレーン)を作り、友人たちと自宅近くの空き地で滞空時間を競って遊んでいた。ゴム動力ながら、軽く正確に作れば、上手く気流に乗せて30分から60分間も飛ぶことがあった。海老原さんは小学生なりに「どこをどうしたら上手く飛ぶか」などを、近所の模型ファンのお兄さんたちや模型店に行って教えてもらったことを憶えている。この模型店では、時々ゴム動力飛行機の飛行大会を主催しており、海老原さんは小学生ながらよく参加していた。

「上昇気流は、積乱雲や地面に大きな水溜まりがある時に発生することが多く、上手く上昇気流に乗せると1時間近く飛んでいました。このゴム動力の飛行機は、翼を少しねじって旋回するように作ります。そうすると、同じところを旋回するので、遠くに飛んでいってしまうことがありません。私たちの年代では、この飛行機にはまった思い出のある人も多いと思います」、と海老原さんは話す。

[Uコン]

海老原さんの小学生時代は、米軍が全国に進駐し主要な施設を接収していたが、休日には米軍兵士が、その接収施設で色々な珍しいパフォーマンスをやっていた。その一つがグローエンジンを搭載し、ワイヤーを張って飛ばすUコンと呼ばれる模型飛行機であった。グローエンジンとは焼玉エンジンの一種で、いったん始動させた後は点火プラグに電流を流しておく必要がなく、構造が簡単で模型飛行機に搭載するには最適であった。しかし排気音が大きいため、最近ではその騒音対策として、常時プラグに電流を流す方式の4サイクルエンジンが開発され主流となりつつある。

ワイヤーとは模型飛行機と操縦者をつなぐ、長さ6〜21mのステンレススチールの多条撚り線、あるいは単線のピアノ線の普通は2本のワイヤーで、操縦者はこのワイヤーを操作して機体をコントロールする。そのためUコンでは模型飛行機が操縦者と一定間隔を保ちながら、操縦者の外周を360度、回転しながら飛行することになる。進駐軍の兵士が、休みの日に左京区岡崎のグランドでこのUコンをいつも飛ばしていたため、海老原さんは、これを見るためだけに父親にせがみ、市電に乗って岡崎まで1時間近くかけて、見に連れてもらっていた。

海老原さんは、それまでエンジンをつけて飛ばす模型飛行機など見たことがなく、とても興奮したという。「今から思うと、この時のUコン機のスピード感、飛行パターン、エンジン音、ヒマシ油燃料のなんとも言えない匂い、機体の形状などに魅力を感じていました。そして、いつかは絶対自分も挑戦しよう、という気持ちが芽生えていました」、「後に、ラジコン飛行機を飛ばしてみたいと思ったのは、小学生時代のゴム動力飛行機を飛ばした体験や、Uコン機を見た興奮体験からきているものと思います」と話す。

まず海老原さんは、小学校の夏休みの自由工作のため、父親にせがんで09クラスという小さいグローエンジンを買ってもらい、それにスクリューをつけて模型の船に積んだ。それを学校に持って行ったら、小学生が作ったエンジン付きの船を見て、先生はびっくりしたという。その模型船は実際に近所の池で走らせたが、舵を少し曲げて、池をくるくると回るようにした。

[高翼機から始める]

その後しばらくは、学業、仕事、そしてアマチュア無線に忙しく、模型飛行機のことは忘れていた。1975年、35歳の海老原さんは、たまたま釣り仲間の一人である友人がラジコン飛行機をやっていることを知り、過去の経験を思い出しながらその友人に相談し、ラジコン飛行機を始めることにした。自宅近くに模型屋があったのも幸いした。

機体作りから操縦までその友人に教えてもらった。この頃のラジコン飛行機のコントロールは、「リード方式」から「プロポーショナル方式」という優れた方式に変わっていた。「プロポーショナル方式」とは、無線により手元の操縦スティックの動作量に対応した細かい動きを飛行機のコントロール各部に伝達できる制御システムである。

海老原さんは、練習のためにまずは19や20クラスのパワーの小さいエンジンを載せた高翼機を作って飛ばした。上反角(翼の反り)を付けた高翼機は機体が安定しているため操縦が比較的簡単で、しかも小さいエンジンであればスピードもあまり出ないため初心者向けだった。万一、操縦中にパニックになっても、操縦スティックから全部手を離せば勝手に機体が復元するという特長もあった。

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海老原さんの練習機。(19エンジンを搭載した高翼機)

海老原さんは京滋RC飛行クラブに入会して、毎週日曜日に、滋賀県の野洲川河川敷にあったクラブのラジコン飛行場に行って練習した。このクラブでは、飛行前に飛行フィールドの草引きをすることが義務となっていたため、必ず毎週行く必要があったという。クラブには、太平洋戦争時の特攻隊員で生き残ったメンバーもいて、海老原さんはこのメンバーから機体の3点着陸を徹底的に仕込まれた。

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飛行前のフィールドの手入れ。

3点着陸とは、機体の3つの足(ギアー)を同時に接地させる方法で、これが一番安定して着陸できる方法だと教えられた。ちなみに、そのメンバーは当時まだ実機に乗っていた。「いろんな経験を持った人が多くいたので、興味ある話しが沢山聞けて楽しかったです」と海老原さんは当時を思い出す。

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京滋RC飛行クラブの第9回飛行大会

[競技用機体の製作]

高翼機で練習を重ね、ある程度の技量が付いた後、海老原さんは40や60クラスのエンジンを搭載した低翼の競技用機体(スタント機)を製作した。40とか60、前述の19、20とは、グローエンジンのシリンダー容量を立方インチで示した値で、60立方インチは約10ccになる。60クラスの競技用機体を1機作るのに概ね2ヶ月以上かかったという。

機体は軽量木材のバルサで作り、そのバルサをつるつるに磨いた上に強度を出すために、薄い絹の布地を貼り、ドープという透明スプレーでコーティング、乾かしては磨く。これを3、4回繰り返して最後に好みのカラーリングを施す。翼は歪みの出ないように、製図用の図版の上で作った。機体の製作は無線シャックで行ったが、サンディング中はバルサの粉が飛び散り、さらにシンナーとかドープを使うので、換気扇も設置した。

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翼にコールサインを書いた海老原さんのスタント機。

[墜落させて上手くなる]

2ヶ月かけて1機完成させても、もしそれを堅い地面に墜落させれば一瞬で大破し、修理不能になった。そのため海老原さんは、もうあかんと思ったら、なんとか野洲川の上空まで飛行させて川に落とすか、または琵琶湖に落とす努力をして、なるべく損失を少なくした。野洲川や琵琶湖に落とせば、水没だけで済み、塩水ではないので受信機は解体してドライヤーで乾かして復活させることができた。

しかし、川や池に落とせず、機体の頭からまともに地面に墜落した場合は、機体はもちろん、エンジンも割れ、さらに受信機やサーボも大破して修理不可能になった。海老原さんは、「何機、墜落させたかは記憶にないくらいです」と話す。この低翼の競技用機体で海老原さんは「FAIパターン」を練習した。「FAIパターン」とは、ラジコン飛行機のスタント競技で定められた飛行パターンのことで、このパターンを如何に正確に演技できるかを得点で競う。

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別のスタント機と海老原さん。