[HFトランシーバーの変遷]

海老原さんは、1974年に260エンティティのQSLカードをARRLに提出してDXCCメンバーになったが、CWメインとかSSBメインにこだわっていたのでは、DXCCのクレジットが伸びないため、1980年前後のログを見るとCWとSSBを均等に運用している。それに平行して1.9MHzでのJCCハンティングにもアクティブであった。

使用トランシーバーはFT-101Bに加えて、アイコムのIC-710を新調した。IC-710を選んだ一番の理由は、VFOがデジタル表示で周波数が直読できたことだった。FT-101Bでは、ワッチの前にJJYや周測計でダイヤルを校正する必要があったのと、ダイヤルノブの外周リングの目盛で周波数を読む方式だったため、周波数の直読ができず不便さを感じていた。その他に、コンパクトな筐体にも関わらずトリプル・コンバージョン方式だったことも購入の決め手になった。

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IC-710が加わった海老原さんのシャック。1978年頃。

その次には、TS-930S、JST-145を順に選んだ。JST-145は、測定器のセールスで大学の職場に来た業者から「無線機はやはりJRCですよ」と勧められ、その場で注文するという衝動買いだったという。その後は再度アイコムを選び、IC-756、IC-756PRO3の順に取り替え、今に至っている。

[アンテナの変遷]

アンテナの変遷についても触れておこう。1980年頃、モズレーのTA33をクリエイトデザインの214Aに載せ替えた後、20年ほどこのアンテナを使ってDXハンティングを楽しんだ。2000年になると再びトライバンダーを選び、ナガラのTA-341に載せ替えた。このアンテナは、14MMHz、21MMHz、28MMHzの3バンドすべてにおいて4エレで動作し、サイクル23のピークに28MHzでも活躍した。

TA-341に載せ替えたついでに、この時海老原さんはローテーターも交換している。さらにTA-341を建てた半年後には、WARCバンド用アンテナのナガラTD-1230Sを追加し、オンエアできるバンドを増やし、ますますアクティブに運用するようになる。TD-1230Sは10MHz、18MHz、24MHzに対応したロータリーダイポールアンテナである。

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TA-341とTD-1230Sを使っていた頃の海老原さんのアンテナ群。

[アンテナを縮小]

2008年、すでに68歳になっていた海老原さんは、メンテの容易な小型アンテナへの変更を考えていた際、隣接した土地を所有する従兄弟から、その土地を売るのでアンテナの越境を引っ込めて欲しいとの依頼があった。それまでは、従兄弟の許可を得て、隣接した土地にアンテナの一部を越境させていたが、これもちょうど良い機会と考え、TA-341をV型ロータリーダイポールに載せ替えた。

選んだのはクリエイトデザインの730V-1Aで、7MHz、14MHz、21MHz、28MHz、50MHzの5バンドに対応したアンテナであった。これに元からあったWARCバンド用のTD-1230Sと、1.9MHz、3.5MHz用の40m長のロングワイヤーにより、2011年現在は3系統のアンテナで1.9〜50MHzの全バンドにオンエアしている。

[職場での思い出]

1980年頃、仕事で関係のあった出入り業者の担当者がハムだったことがあった。まずは、海老原さんが図書館に配属になっていたとき、自分のデスクにCQ誌を置いていたところ、それを見て「アマチュア無線をやっておられるのですか」と声をかけてきたのが、JA3RMW田邊さんだった。その後、田邊さんとは無線でもよくQSOしているという。

次に、大学の視聴覚室を立ち上げる際、電機機器メーカーから打ち合わせに来たのがJA3EMU田中さんだった。田中さんは当時からDXerとして活躍しており、打ち合わせ終了後は当然のごとくDXの話になった。それをきっかけに、お互いのシャックに遊びに行ったりして、今でもつきあいが続いているという。

一方、職場には海老原さんの1年後に職員に採用されたJA3KWZ黒塚さんがいた。黒塚さんは経済学部だったが、海老原さんと同じように立命館大学の二部で勉強しながら職員として働いていた。「立命館は、元々働きながら勉強したい人のために作られた私塾で、二部が発祥の京都法政学校でした。そのため二部に対して理解があり、当時の立命館大学の職員は高卒で就職しその後、二部に入学して、働きながら卒業するというパターンが多かったです」と海老原さんは説明する。

黒塚さんとは、昼休みになるとほとんど毎日、近くの喫茶店で、昨晩はどこどことQSOしたとか、あの局のQSLインフォメーションは誰?、といったDXの話をした。黒塚さんは後年、滋賀県野洲市に引っ越して、滋賀県を代表するDXerとして活躍したが、2007年4月に若くして永眠している。その際、交流の深かった海老原さんが、黒塚さんのアンテナ、タワーを含む無線機器類や、車の遺品処理を、奥様に依頼されて行った。

[初の海外運用]

1987年、海老原さんは、JA3MNP久松さんとタイに個人旅行に出かけた。その際、事前に調べておいたタイ語のCQ誌を発行している出版社を表敬訪問した。出版社では編集長とアイボールし、話の中でドイツ人が運用するHS0Bの所在を教えてもらったので、久松さんと2人でアポなし訪問した。

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HS0Bの門標とアンテナ。

HS0Bでは門番もいる大邸宅に20m高くらいのアマチュア無線用タワーが建っており、6エレトライバンダーが上がっていた。オーナーのドイツ人は快く招き入れてくれ、さらには、ゲストOPとしてHS0Bを運用させてくれた。海老原さんと久松さんは交代で21MHzを運用したが、当時のタイはHFにオンエアしている局がまだまだ少なくパイルアップになった。これが海老原さんの初めての海外運用だった。

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HS0Bで運用中の海老原さん。