[ヒストリアンを目指す]

これまでの藤室さんの歩んできた道から分るとおり、藤室さんは「エレクトロニクスエンジニア」といえる。類まれなる記憶力からは過去のことも詳しいことは周囲に知られており、それが引き金になってのJARL勤務である。藤室さんはそれを契機に「歴史」の分野でアマチュア無線界に貢献する決意をする。

就任して、かなりの関係書籍、雑誌が揃っていることを知り「不足なものは自宅に持っている本を寄贈して穴埋め出来そうだ」と決意した藤室さんは、所有していた関係図書を寄贈。お客様との応対の空き時間を図書関係のリストづくり当て、利用しやすいように整理を始めた。しかも、その作業は徹底していた。すでに整理してあるものも、中身を再確認し、合本となっているものでも欠本があることを調べ尽くす。

米国のARRL(米アマチュア無線連盟)から取り寄せた機関誌「QST」のバックナンバーについても抜けがあった。「ARRLから一括して送ってもらったものだから安心とはいえない。人間のすることだから間違いはあるさ、と鷹揚に構えている訳にはいかない」と、細かくチェックしている。「この時は残っていた雑誌の中に該当の号が見つかったので安心した」と言う。

[ド・ファレ]

ヒストリアンらしく藤室さんの調査は徹底したものであった。ある時、JARLの原昌三会長(JA1AN)から、文章を渡され校正を依頼されたことがある。そこにはフランスの物理学者で三極真空管を開発したド・フォレが日本海軍に雇用され、横須賀海軍工廠で働いていたとの著述があった。それが事実か誤報かの確認を藤室さんは行うことになる。

藤室さんは「旧帝国海軍の記録文書は占領軍によって米国に持ち去られていたが、かなりのものが返還されて東京・恵比寿にある防衛研究所付属戦史部図書館に保管されているはず」と見当を付け、休暇を使い調べに行く。調べてみると、海軍省の人事記録の中に外国人雇入れ関係の書類があった。

しかし「海軍兵学校、海軍機関学校などの英語教師雇用契約書の写しがあり、外人と学校長の署名が入ったものなど何通かあったが、ド・フォレの名前は見つからなかった」と言う。反証のためには事実が必要であるが「雇用が却下された場合はファイルが残されていないため、申請があったかどうかも分らない」と藤室さんは調べを打ち切り、原会長にそのむねを報告した。

ド・フォレが開発した2極真空管(右)稲葉全彦さん所有

[ド・フォレは日本に来なかった]

しかし、原会長は「それでは駄目だ」と言う。国立公文書館の調査を思いついたが、「同公文書館は、各官庁で個別に保管しておく必要がなくなったが、重要なものを移管して保管しておく場所。したがって同年代のものが戦史部図書館と公文書館に分散されてあることはないと、調査はしなかった」と言う。

しばらくして、藤室さんは無線雑誌「ラヂオの日本」を整理している時に重要な記述を発見する。元海軍技師の木村駿吉さんが書いた文章があった。それは「ド・フォレから日本海海戦で大勝利をおさめた日本海軍でぜひ働きたい、との手紙を受け取り時の大臣に上申したが却下された」と言うものであった。「ほどなくして木村さんは他界された。歴史の証言は貴重です」と藤室さんは言う。

[藤室レポート]

展示室にはさまざまな問い合わせがある。問い合わせはハムからだけではない。電子工学の権威者からも子供たちからもある。藤室さんは「素早く答えられるためには資料を整備しておくことが大事」と考え、その課程で貴重なものも作り上げた。その一つが戦前のハムの戦後を調べ上げたものであり「藤室レポート」と名付けている人もいる。

戦前、ハムのコールブックには和歌山市の宮井宗一郎(戦前J3DE)さんが作り上げたものがあるが、それをベースにできる限り関係文書に当たり、戦前のそれぞれのハムの生年月日、免許取得・失効時期、一時的に所有したコールまでもまとめ、さらに戦後のコールを調べ上げた。

個々のハムの事歴を知りたい人にとっては一目でわかるデータである。「パソコンを使わずにまとめた」と言う藤室さんの記憶力の賜物でもある。「時折、戦前のハムのご遺族の方から無線機や書類の寄贈申し込みがあるが、その時にこのデータが役立つ。ご遺族も忘れていることを知らされびっくりされることもあった。」と言う。このデータの出来栄は「多分99%出来ている」というほどの精密さである。

藤室さんが調査まとめた「藤室レポート」

[真空管半代記]

平成12年(2000年)9月、藤室さんは東京文献センターから「真空管半代記」を出版した。この書籍は実は他の出版社から発行するつもりであった。「ところが東京文献センターの初澤弘文(JR1UVH)様から依頼され、急遽その原稿を渡して刊行されたもの」と裏話を披露する。第1部では、藤室さんのこれまでの人生が描かれ、第2部では世界の真空管の開発史が書かれている。真空管の歴史では海外の文献も調べ、文中ではそれらの文献の誤りまで指摘しているほどである。

JARLを退職した藤室さんであるが、いまでもいろいろな問い合わせがあり、その調査に多忙と言う。藤室さんが今後手がけたいと考えているのは「無線通信の全体の歴史を掴み、その折々の歴史と当時の現物、文書がどこに保管されているかを結びつけたい」ということである。

これまで、無線通信の歴史を追いかけてきた藤室さんは「興味があるのは昭和になってから太平洋戦争までの期間」と言う。この期間は欧米諸国に比較して遅れていた無線通信分野で、わが国が猛烈に追いかけた時代である。「にもかかわらず、あまり資料が残されていない。戦時中に焼失したか、終戦時に処分してしまったからである」と藤室さんは残念そうだ。

平成12年に発刊した「真空管半代記」