[阪神・淡路大震災]

1995年1月17日朝、淡路島北部沖の明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の大地震、阪神・淡路大震災が発生した。この日は火曜日であったが、実はその2日前の日曜日に濱田さんは自宅からのHF帯運用を再開すべく、市販品のマルチバンド対応ワイヤーアンテナのキットを作り終えていた。このアンテナを火曜日に建てようと思っていたその日の朝に、運悪く大地震が発生したのである。

淡路島南部の濱田さんの自宅でもかなりの震度だったが、幸いにも怪我はなかった。しかし、地震後はボランティア活動が多忙を極め、アマチュア無線の再開どころではなくなってしまった。濱田さんのボランティア活動の主たるものは、本業の技術を活かした建物の危険度診断であった。

[HF帯の運用を再開]

濱田さんは自宅のアンテナを下ろしていた時代も、モービルからV/UHF帯のFMで、時にはレピータを使って運用したが、小型HF機や50MHz機も車に積んでいた。ただしHF帯では送信は行わず、もっぱらワッチをするのみだったが、「あの頃は21MHzでよくオーバーシーが入感しました」と当時の受信状態を濱田さんは話す。

震災関係のボランティア活動が一段落すると、やっと自宅にマルチバンド対応ワイヤーアンテナを建てることができ、1995年7月22日に21MHzSSBでHF帯の運用を再開した。その後は7MHzや3.5MHzによくオンエアした。さらに免許に関して、既存の局は移動する局として残しながら、HF帯を本格的に運用するため、同年11月に移動しない局(100W)の開局申請を行った。この1995年には、濱田さんはJARL会員歴40年の表彰を受けた。HF帯の一時休止中もJARLは退会しなかったからである。その後2005年には50年表彰も受けている。

[ハムログ]

HF帯の運用を再開してみたところ、アマチュア無線の運用に関して、昔とは大きな変化が一つあった。QSO相手から、交信に入るとすぐに「○年○月○日に繋がっていますね」と言われることであった。当時のパソコンはMS-DOSが主流となっており、同時にアマチュア無線のためにパソコンを使用する局も増加し、電子ログソフトである「ハムログ」を導入している局も少なくなかった。

そこで濱田さんは、さっそくハムログを入手して、過去のQSO(ただしファーストコンタクトのみ)をすべて入力することにした。その後、毎晩2時間ずつかけて入力し、以後は濱田さん側でも、QSO相手が初めて繋がった局なのかどうかと、過去にQSO済みの場合はファーストコンタクトの日時が瞬時に分かる様になった。

[古い友人との再会]

その当時は、コールサインのサフィックス2文字局が、ちょうど仕事をリタイアする時期を迎えており、現役の時は忙しくてあまりオンエアできなかった2文字局の多くが、7MHzを中心にアクティブにオンエアしていた。濱田さんはまだリタイアしていなかったが、土日をメインに7MHzで運用したところ、30年振り、40年振りに再会した局も少なくなかった。

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2文字ミーティングにて。

時には、40年前にアイボールQSOして以来、会っていなかった局とのQSOで、今度またアイボールQSOしませんか、という話も出て、40年振りのアイボールQSOに発展したこともあった。JA3EY永井さんもその一人であった。その頃、濱田さんは仕事の関係で毎週神戸まで通っていたため、永井さんとのアイボールQSOは容易に実現することができた。濱田さんは開局したての頃、当時神戸市東灘区に住んでいた永井さんの自宅に遊びに行って、泊めてもらったことまであった。

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「807昔を語ろう会」にて。

また、無線関係のミーティングに出席して、別のサフィックス2文字局とアイボールQSOした際、40年前のQSOに対するQSLカードがいまだに届いていないと言われ、40年前のQSLカードを再発行したこともあった。「当時からQSLカードはすべて発行していたので、もしかしたらジョークだったかも知れませんけど」と濱田さんは笑って話す。

[V/UHF帯も本格運用]

開局翌年の1956年に50MHzの免許を受け、1958年頃にはオーストラリアを狙って連日CQを出すなど、50MHzの伝搬のおもしろさを知っていた濱田さんは、HFだけではなく50MHzも再開した。アンテナは5エレメントの八木を自作し、特に夏場のEスポシーズンは50MHzをメインに運用した。

さらに、濱田さんは144MHzのSSBにも出た。その頃は、40年前には発見されていなかったダクトによる伝搬が遠距離通信に使われる様になっており、ダクトを利用することで、濱田さんの電波は2アリアを遙か越えて1エリアや、時には7エリアまで飛んでいった。特に1998年はアクティブに運用し、HFから144MHzの各バンドで、濱田さんは毎晩の様にオンエアしている。

[QSLカード]

アマチュア無線をアクティブに運用する様になるとQSLカードも多数発行する様になる。一番多く発行したのは、仕事が家の関係だったため、家がデザインされたQSLカードだった。しかし、自治体の合併によって2004年に住所表示が津名郡五色町から洲本市に変更になったため、同じ版で、住所を変更した物をオーダーしたところ、印刷会社からこの版はもう無いので、増刷はできないと言われてしまった。

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旧住所表示のQSLカード。

そのため、濱田さんは、1色刷になるものの、家がデザインされた別のQSLカードを、別の印刷会社で作った。このQSLカードのデータ面には、交信相手局に淡路島の位置や大きさがよく分かる様に、さらに淡路島内での自局のQTHを示した地図をプリンターで印刷して発行している。「1日1局はQSOするつもりで3000枚オーダーしましたが、いまだに多数残っています」と濱田さんは話す。

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2012年現在発行中のQSLカード。