[建築士の資格]

濱田さんは1961年に一級建築士を取得し、1967年に(構造を主とした)建築事務所を開設した。所員は多いときで4名使い、延べにすると10名以上の所員が建築士の資格を取得して独立していった。濱田さんは「来る者を拒まず、去る者を追わず」を信念にして、使って欲しいとやって来た人は受け入れ、資格取得後に退職を希望した人を決して引き留めることをしなかった。

ちなみに、一級建築士の受験資格を得るには必ず実務経験が必要で、その期間は大学卒業の場合は2年、3年制の専門学校卒業の場合は3年、建築に関する学歴がない場合は、二級建築士取得後に4年の実務経験が必要となっている。そのため、一級建築士を受験しようとする場合は、何処かの会社なり個人の事務所に所属して、建築実務を経験する必要がある。「これが、実務経験なしでも受験できる無線技士の資格と大きく異なるところです」と濱田さんは話す。

また、二級建築士の受験資格を得る場合も、建築に関する学歴がない場合は7年の実務経験を必要とするため、濱田さんの様に商業科などを卒業した場合は、まず二級建築士の受験資格を得るのに7年、次に一級建築士の受験資格を得るのに4年かかり、両試験に1発合格しても最低11年はかかることになり、「高校卒業の場合、私の様に29歳にならないと取れません」と説明する。

[現役の頃]

1970年前後、淡路島では非木造の住宅が盛んに建築されていた。それに伴って建築業者もたくさん開業されていた。中には現場を見に行ったら図面どおりに施工されていない所があり、現場監督にやり直してもらった。そのため「業者からは、快く思われていなかったと思います」と話す。建築物は材料の強度、工法などが法律で定められており、それらの規準を確保する必要があるため、何を言われようが、濱田さんは信念を曲げずに対応した。

なお、濱田さんは、1974年から兵庫県建築士事務所協会淡路支部理事、そして1978〜1981年の4年間は支部長。さらに1984年からは兵庫県建築士事務所協会本部理事。そして1996〜1997年には副会長を任された。その頃は週に1、2度の割合で、神戸の協会事務所まで通った。この時はまだ淡路島と本州を結ぶ明石海峡大橋が架かっていなかったため、津名港まで車で行き、そこから高速艇に乗り換えて神戸まで通った。協会では各種の部会や講習会に出席する必要があった。なお休日には協会の仕事はなかったため、自分の仕事は休日と夜間に行い、図面はCAD、書類などは電子化して対応した。そのためその頃は3台のパソコンを使っていた。

[ルーフタワー]

濱田さんの自宅屋上にはルーフタワーが4基上がっているが、市販品は1基もない。「構造屋が市販品を使っていたら業者に笑われますので」と話す。1基は外径48.1mmの足場用鋼管で作り、他の2基はカタログ整理用に使っていた本棚のアングルを組み合わせて作った。どちらの構造もきちんと適合しているため、強度的には問題はないが、塩害による影響は大きく、今では錆が進んでしまっている。「この土地では鉄物はダメです。致し方ありません」と、濱田さんは苦笑する。

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4基のルーフタワーとアンテナ群。

残りの1基は、無線クラブの若いメンバーから、使っていた自作のルーフタワーを譲り受けたものだ。しかしこのタワーは高さが5m位あり、アンテナの修理などで登るのに危険を伴うため、上部2mを切断して約3m高で使用している。「どちらのタワーも頂部に背もたれをステンレスボルトで作ってあるから両手で作業ができます」と濱田さんは話す。

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屋上に設置したルーフタワー。

同軸ケーブルに関しても同様で、特にコネクタの部分が全部塩害でダメになってしまう。「自己融着テープをしっかりと巻いても、何処かから塩分が入ってしまい、1年足らずしか持たないこともあります」と濱田さんは話す。

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塩害で錆びてしまったM型コネクタ。