[WAZ]

1958年7月にDXCCを取得した星山さんであるが、その後アワードハンティングに熱中していく。DXCCの次にはWAZを申請、1958年10月24日付で発行番号846番のMiexd Mode WAZを受賞した。「おそらく日本では12、13番目あたりだったと思う」と話す。

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#846のWAZ。(Mixed Mode)

WAZ(Worked All Zone)とは、米国のCQ誌が発行するアワードで、同誌が定めた世界の40ゾーン全てと交信することで獲得できる。DXCCと人気を2分するくらい著名なアワードである。40ゾーンの中には、電波伝搬的に交信するのが難しいゾーンと、アマチュア局が少ないために交信するのが難しいゾーンがあるが、星山さんは、「WAZを完成させるのに特に苦労はしなかった。DXCCをやっていたら自然に完成していた」と話す。星山さんは、Miexd Mode WAZを受賞した5年後の1963年に、SSBのみで完成させたTwo-Way SSB WAZも受賞。こちらの発行番号はまだ165番だった。

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当時、QSOが比較的困難だったゾーンのQSLカード。(左列z2 z23。右列z33 z34 z36)

[WAS]

日本にWAJA(JARL発行、47都道府県との交信で完成)があるように米国にはWAS(Worked All States)がある。その名のとおり、全米の48州(当時、アラスカとハワイは含まなかった)との交信で完成するものだ。星山さんは、ARRLが発行するこのWASの獲得を次なる目標にした。すでに1956年頃から多数の米国局と交信しており、聞こえた局と手当たり次第交信していたために、「雑魚の星山さん」とまで言われていたそうだが、それでも交信できていない州がいくつかあった。

残ったのは、アラバマ州、ロードアイランド州、メーン州、ノースダコタ州であった。星山さんはスケジュールを組まず、7/14/21/28MHzの4バンドを回ってワッチに励んだ。その結果、48州全州との交信をすべてCWにて達成し、1959年1月16日付で発行番号10220番のWASを受賞した。発行番号が遅いのは、このアワードは米国での入門アワードとして絶大な人気があり、米国だけでなく世界の多くの局が申請していたからだと思われる。

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#10220のWAS。(CW特記付き)

[3.5MHz WAC]

海外交信を目的とする局にとってポピュラーなアワードであるDXCC、WAZ、WASを獲得した星山さんは、次に3.5MHz WACに挑戦した。WAC(Worked All Continent)とはIARUが発行するアワードで、世界6大州と交信することが条件のため、比較的容易に完成できることから、入門アワードとして多くの局が獲得しているが、星山さんが挑戦したのは、世界6大州との交信を3.5MHzだけで達成しようとしたものだった。

この3.5MHz WACは、日本では誰も完成していない当時としては難関なアワードであった。アジア州以外と交信することさえ困難だった当時、6大州全部との交信が簡単ではなかったことは容易に想像できる。それでも星山さんは目標達成に向けて1大州ずつ交信していった。最後に残った大陸はアフリカで、全長40mの逆L型アンテナを使い、このバンドではまだ一度も聞いたことのないアフリカの局を毎朝探した。

[アフリカとの交信で完成]

1958年11月23日、いつものように早起きして3.5MHzバンドをワッチしていた星山さんはCR4ASのCQを受信した。この局はアフリカ大陸の西に位置する島国・カポベルデというエンティティの局で、DXのメインストリートである14MHzでさえ一度も聞いたこともない珍局であった。CQが終わってコールするとすぐに応答があり、レポート交換も無事に完了してQSOを終えた。しかし、このとき星山さんは、まさかCR4の局と3.5MHzでQSOできるはずがない、ニセ者に違いないと思って、「アフリカとQSOできたという感激は全くなかった」と話す。

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3.5MHz WAC。(3.5MHz特記はステッカー)

しかし、そのQSOから1ヶ月後の12月の終わり頃、いつも情報交換していたドイツのDL1FFアーミンさんから、「そのCR4ASは本物だよ。WAC完成おめでとう」と言われ、ここで初めて、3.5MHzのWACを完成したことが分かり、「感激がこみ上げてきた」と言う。すぐにCR4ASルイスさん宛にQSLカードをダイレクトで送ったのは言うまでもない。無事彼のQSLを手にした星山さんは、IARUに申請し、1959年6月9日付で、JA局としては初めての3.5MHzWACを取得した。

星山さんがこれを完成させたことを知ったJA1AA庄野さんからはすぐに連絡があり、「お前、すごいじゃないか」と褒めてくれたことを覚えている。また庄野さんはJA1CR桑原さんとともに2人でJDXRC(Japan DX Radio Club)への入会を推薦してくれ、星山さんはJDXRCに入会した。以後、星山さんは、ますますアワードハンティングに没頭していく。これが、後にCQ誌のDXコラムのエディターを担当するきっかけとなったのであった。

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JA1AA庄野さんから届いた3.5MHz WACを祝福する葉書。

余談ではあるが、星山さんは1977年11月29日、CQWWコンテスト中に僅か1時間47分で、3.5MHzWACを完成させた。現代の最新設備を使用すれば、3.5MHzWACの完成は当時ほど難しくなくなってはいるが、これは快挙とも言える成果である。

[AHCに入会]

アマチュア無線の中でも特にアワードハンティングを楽しむ組織としてAHC(Award Hunters' Club)というクラブがあった。このクラブに入会するには、クラブが規定する中から6大陸を含む25枚以上のアワードを獲得するという難しい条件があり、クラブに入会すること自体が当時のステータスとなっていた。アワードハンティングに熱中していた星山さんは難なく25枚のアワードを取得し、1960年8月25日にAHCの会員となった。これは日本の局としては初めての入会であった。

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AHCの会員証。「1st JA」とタイプされている。

その後星山さんは、もう一つの世界的なアワードハンティングを楽しむ組織であるCHC(Certificate Hunters' Club)にも入会した。日本では、JA1EL小林さんに続いて2人目の入会であった。星山さんはますますアワードハンティングに熱中し、その後、数々の1stJA特記付きのアワードを獲得していく。

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US-CQが発行する、「SSBで100カントリーとの交信」を証明するアワード。これにも1st JAの記載がある。