[80年代の無線設備]

アンテナは、70年代から引き続き、モズレーの14/21/28MHz用3エレトライバンダー・TA-33とクリエイティブデザインの7MHz用2エレ八木・AFA-40、さらにはハイゲインの7/14/21/28MHz用バーチカル・14AVQを併用。ローバンド用には、40m用、80m用とも主にワイヤーの自作逆Vダイポールを使った。星山さんはこれらのアンテナで5Band DXCCなどの難関アワードを獲得した。

一方、リグについては、すでに市販機全盛の時代になっており、星山さんはTS-520からTS-930、TS-940と順に取り替えていった。このように80年代は主にケンウッド機を使用してDXハンティングを楽しんだ。リニアアンプは、「3-500Zパラレルのアンプを使い続けた」と言う。

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TS-940で運用中の星山さん。1987年頃。

[JA2DPCの再開局]

ここで奥様であるJA2DPC節子さんについて紹介する。1963年10月に星山さんは節子さんと結婚したが、その時点で節子さんはすでに電話級および電信級アマチュア無線技士の資格を持ち、JA2DPCを開局していた。しかし、1965年4月の長男健さん誕生後、子育てが忙しくなったことでアクティビティが下がり、ついには免許の更新を行わなかったため切れてしまっていた。その後も夫のアクティビティに影響されることはなく、再開局は行っていなかった。

1978年3月、健さんがJF2AYOを開局する。健さんは小学6年生での開局で、まだ声変わりしていなかったため、28メガで「YLが出てきた、とアメリカでは大騒ぎになったんですよ」と星山さんは話す。その頃は1972年に生まれた次男公二さんにまだまだ手がかかっている最中であり、健さんの開局は節子さんの再開局の引き金にはならなかった。

1987年11月、次男公二さんが中学3年生でJL2ONQを開局。翌1988年、高校に入学後から公二さんアクティビティが上がり、そんな公二さんの運用に刺激を受けて、節子さんはついにJA2DPCを再開局した。再開局後は、まず3.5MHzや7MHzのSSBで、国内局とのQSOを楽しんだ。当初CWの運用は行わなかったが、それでも電信級取得時に覚えたモールス符号をずっと覚えていて、星山さんがパイルアップに参加中、DX局からコールバックがあると、横で聞いていた節子さんは「来た!」と合図するなど、夫婦で楽しんでいた。

[節子さん2アマを取得]

しばらく、国内QSOを楽しんだ節子さんは、次第にJAとのQSOだけでは物足りなくなり、1990年に第2級アマチュア無線技士の国家試験を受験して合格、出力も100Wにパワーアップして、少しずつDXハンティングを始めるようになった。今度は、公二さんが節子さんに刺激されて、同年に2アマを取得した。

2アマ時代、節子さんは、とある国内のコンテストに100W出力で参加し、努力が実って入賞を果たした。ところが、「あんなに飛ぶのは旦那のリニアアンプを使ったに違いない」という噂が陰でささやかれていることを耳にし、「それじゃ1アマをとってやる」と奮起して勉強を始めた。その時点で和文モールスは、符号さえ知らない状態であったが、元々電信への相性がよく、すぐにマスターした。

[節子さん1アマを取得]

一方、星山さんは1アマ取得後、ほとんど和文モールスを使っていなかったので、すでに受信信号を100%読解できる状態ではなかったというが、節子さんは、7MHzで行われていた和文モールスの交信を聞き、「今日は天気が良いから今から犬を連れて散歩に行きます」など、すらすらと暗記受信ができるようになっていった。学科も並行して勉強し、1992年10月期の第1級アマチュア無線技士国家試験をパスした。同年12月、従事者免許証が到着するとすぐに500W出力への変更申請を行った。

翌1993年2月、変更検査に合格すると、節子さんは本格的にDXハンティングを始めた。DX通信用にしっかりと整備された、星山さんのアンテナを使用できることもあって、500WでDXハンティングを始めると、ものすごい勢いでエンティティが増えていったという。

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左からJA2DPC、Beth(YL-SWL)、JA2JW。

節子さんは各モードのDXCC、さらには5Band DXCCの獲得を目標に定め日々交信に励んだが、ダイレクトによるQSLカードの請求も半端な数ではなく、航空便用の封筒は1000枚単位で箱買いした。もちろん、返信切手代として同封するグリーンスタンプ(米国の1$紙幣)もすぐになくなってしまい、はじめの頃は、地元榛原の静岡銀行で少量ずつ購入していたが、すぐに無くなってしまうため、その後はわざわざ焼津市まで購入に出かけた。

その後、1996年に公二さんも1アマを取得したことと、日本の局にも1kWが免許されるようになったため、1997年、星山さん、節子さん、公二さんの3局同時に1kWへの変更申請を行った。

[DPCのDXCC]

節子さんのDXCCは、まず1997年7月、Mixed Mode、Phone、CWの3つのDXCCを同時に受賞。2002年3月には、5Band DXCCを受賞。同年9月には、Mixed ModeとPhone DXCCのオナーロールメンバーとなり、さらに2004年9月には、CW DXCCもオナーロールメンバーになるなど、破竹の勢いで進撃が続いた。

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節子さんのDXCCオナーロールメンバー盾。