[フィジーに向かう]

1994年、職場のハム仲間であるJA2BDR吉川さんから、「観光メインで、フィジーに運用しに行くけど一緒に行かないか」、と誘われた。星山さんは1954年にJA2JWを開局してからちょうど40年であり、良いチャンスだったので、奥様の節子さんも仲間に入れてもらって、初めての海外運用に出かけることにした。最終的なメンバーは、吉川さん、星山さん、節子さん、JA2AUP鈴木さん、JA2SWH佐竹さんの合計5名とハムに関係ない夫婦1組と決まった。

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フィジーからの運用で発行したQSLカード。

日程は、7月29日に出発し8月3日に戻るというもので、JA2JWの開局40年記念日である7月30日は現地で迎えることになった。航空券の手配、ホテルの手配、ライセンスの手配などは全て吉川さんにお任せし、星山さんは、自分と節子さんの運用機材を用意するだけだったので、「準備にあまり苦労はしなかった」と言う。事前の申請でコールサインは、星山さんが3D2YH、節子さんが3D2DPと決まった。ホテルはナンディ空港から比較的近い「Fijian Resort」で、あらかじめアンテナの設置、ならびに運用の許可を取り付けてくれてあったため、セッティングはスムーズであった。

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ホテルの庭にバターナット・バーチカルを建てた星山さんと節子さん。

[ホテルから運用]

シャックとアンテナは、星山さん夫婦と他の3人で別々に設置し、2組が同時に運用できるようにした。星山さん夫婦は、中庭にバターナットのバーチカルアンテナを設置した。「このアンテナは、調整が非常に面倒で、即席の調整で共振させてもあまり飛びませんでした」と話す。また、この運用のために調達した小型軽量のスイッチング電源がノイズを発生してしまい、「これがローバンドの運用には致命的でした」と話す。

運用は、3.5MHzから18MHzで行い、星山さんがCW、節子さんがSSBを担当した。ローバンドは電源のノイズでNGであったものの、「WARCバンド(10MHz、18MHz)ではヨーロッパや北米からそこそこ呼ばれました」と話す。観光がメインの旅行ではあったが、最終的には2人合わせて約600QSOを行った。別シャックから運用した他の3名の合計が200QSOだったことから、星山さん夫婦はそれなりにがんばったことが分かる。

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3D2YHを運用中の星山さん。

帰国後、不要になったバターナットのバーチカルアンテナは、JA1ELY草野さんにきっちり調整してもらった後、「DXペディション用に欲しがっていたJA1OEM豊福さんに提供しました」と言う。

[2回目はトンガ]

1998年6月、星山さんは44年に及ぶプロフェッショナルとして無線に関わる業務にピリオドを打った。最終的な職はNTTドコモ東海株式会社の取締役静岡支店技術部長であった。同年、星山さんは、気分転換にと2回目の海外運用を計画した。今度は、星山さん、節子さんに、次男の公二さんを加えた家族3人で行くことにし、運用候補地の選定に入った。

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トンガからの運用で発行したQSLカード。

星山さんはニューカレドニアが魅力的であったが、公二さんの友人達から50MHzでのトンガの要望が多くあったことと、ニューカレドニアよりトンガの方がエンティティ的に珍しいこともあり、行き先はトンガに決めた。渡航時期は公二さんが休みの取れる8月8日〜8月15日とし、その時期は盆休みで混雑することが予想されるため、3月から準備を始めた。当初、航空券とホテルの手配は旅行会社に頼んだが、アマチュア無線の運用ができることを条件にしたところ、「すべて断られてしまった」と言う。

[自分で各種手配を行う]

結局、フィジーに行ったときに全ての手配をしてくれた吉川さんから、飛行機の情報をもらったり、過去にトンガからの運用経験のあるJA3MVI山本さん、JH3TXR山本さんからはライセンス関係の情報をもらったりして、星山さんは自分で各種手配を進めた。分からない部分はトンガのガイドブックを購入して調べた。「時間はかかったが、飛行機の手配、ホテルの手配、ライセンスの申請を行うことができた」と言う。

それでも、一つ困ったことがあった。予約を入れたホテルに確認の為に、FAXやEメールで連絡を取ってもなしのつぶて。仕方がないので国際電話を入れても「マネージャーは不在」と言われてしまい、らちがあかなかったという。現地に行って分かったことだが、ホテルは「泊まりに来れば泊めますよ」、というのんびりしたお国柄であった。

[ライセンスが届かない]

ライセンスも同様で、日本から申請書を送っても何も連絡がないので、直接トンガのテレコムに電話を入れたところ、「申請書は受理していますよ、コールサインは○○ですよ」、と教えてくれた。「では免許はいつ発行してくれるのか」という問いには、「来るのは8月でしょ、慌てないように」と言って、発行日を明言してくれなかった。

トンガへの入国時に、無線のライセンス無しの状態で、無線機やアンテナを携えての入国審査を通してくれるのかが不安になったので、購入したガイドブックに紹介のあった「日本トンガ友好協会」に入会し、ホテルの予約の確認と、ライセンスの確認を協会に頼んだ。すると、依頼した翌日には、ホテルから、WelcomeのFAXが届き、ライセンスのコピーもすぐにFAXで届いたという。

結局、ライセンスのオリジナルは日本に送ってくれず、受領できたのは、現地テレコムのオフィスを訪問したときであったが、入国時の審査官は、パスポートにハンコを押すのに一生懸命で、ろくに人の顔さえ確認しておらず、不安は気苦労に終わったという。

[忘れ物が多かった]

トンガでの運用では、1台でHFから50MHzをカバーするIC-736、それにHFにはG5RVのマルチバンド対応ワイヤーアンテナ、50MHzには5エレ八木を使用した。G5RVは無調整で、かつフィジーで使ったバターナットより「よく飛んだ」と言う。しかし、小物の忘れ物が多く、メッセージキーヤーの接続コードを忘れたために、CWは全て手打ちとなった。またイヤホンや外部スピーカーも忘れたため、無線機内蔵のスピーカーで受信せざるを得なかった。

運用の振り分けは、星山さん(A35YH)が、WARCバンドのCWをメインに運用。ヨーロッパや米国からよく呼ばれ、帰国するとたくさんSASEが届いた。節子さん(A35PC)は、SSBをメインに運用。公二さん(A35NQ)は、50MHzとローバンドをメインに運用した。特にリクエストの多かった50MHzのオープンを見逃さないようするため、「HF運用中でも、30分ごとに運用を一時的に中断して、50MHzをチェックしました」と言う。

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運用したホテルの部屋での記念撮影。

[50MHzがオープン]

こまめにチェックした甲斐もあって、幸運にも50MHzのオープンに恵まれた。まず8月11日に、JA7、JA8、それにハワイがオープンした。翌8月12日には、JA2の静岡から始まり、1、3、5、8エリアがオープン。2エリアがオープンしたことで公二さんは友人への約束が果せた。最終的には、50MHzでの約100QSOを含む、3局合計で1300QSOを達成した。

宿泊したのはトンガ一の高級ホテル「International Dateline」で、部屋の中はこぎれいではあったが、到着した日に冷蔵庫の中で、前泊客が残していったコーラが破裂し肝を冷やしたという。バスタブはなく、シャワーのみであったが、「シャワーがあるだけでもましだ、と言われました」と話す。トンガ到着時にはホテルからの送迎車が見つけられずタクシーをチャーターしたというトラブルはあったが、幸運にもこのタクシーのドライバーが親切だったため、翌日以降の観光も頼んだ。「家族のバケーションとしては良い結果が残せました」と星山さんは話す。