[50MHzでDXを狙う]

星山さんは、サンスポットサイクル21がピークであった1980年頃から10W出力に5エレ八木を使って、時々50MHzを運用していた。しかし、これはDXCCを意識しているわけではなく、たまに聞こえてくるDX局を呼んでいるに過ぎなかった。次のサイクル22でもアンテナは6エレに変えたものの、相変わらず10Wで、時々運用する程度であった。このサイクル22でQSOしたマリオン島のZS8MIや、ジョンストン島のKH3AFとは、本格運用を始めた次のサイクル23では交信することができず、「貴重な交信になった」と言う。

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50MHz用トランシーバーと星山さん。

1999年、モード別DXCCではやるところがほとんど無くなっていた星山さんは、25mタワーのトップに50MHz用の12エレ八木を設置した。目的は6mDXCCを狙うためである。トランシーバーには、JST-245を新調。これを50MHz専用機として使用した。星山さんは、1999年10月から本格運用を始め、2001年5月には105エンティティとのQSOを達成、102枚のQSLカードをもって6mDXCCを申請した。「わずか2年で6mDXCCが完成してしまうなど、始めた当初は考えることもできませんでした」と話す。

星山さんは2001年8月10日付で#364の6mDXCCを受賞。同時に6mを始めた節子さんも翌2002年3月5日付けで#460の6mDXCCを受賞した。難しいと言われていた6mDXCCの発行番号が、「僅か半年で100番も進んだことに驚きました」と話す。

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苦労して交信したガーナ・9G5ANのQSLカード。

[50MHzの思い出のQSO]

星山さんは、まずガーナの9G5ANを挙げる。この局は、2001年10月30日、真東に近い方角から朝のロングパスで入感した。かなり弱く受信に苦労したが、RST339で交信成立した。次に、サンフェリックス島のXR0Xを挙げる。この局は2002年3月21日の昼過ぎに入感。静岡市で入感している時は榛原町では入感が無く、そろそろ来るかと思っていたところ、パスが榛原を通過して名古屋に飛んでしまった。諦めかけたところ、今度はパスが榛原に戻ってきて交信できた。

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サンフェリックス島へのDXペディション・XR0XのQSLカード。

その他、2000年、アフリカのマヨッテから新婚旅行運用の日本人局FH/JR4PMX。相手局にとって星山さんが1stJAとなった2000年のVP6BR。日本とのオープンが僅かしかなかった2001年のOD5/OK1MU。朝のロングパスで入感したHFでも珍局の2002年のZD8SIXを挙げる。一方、カリブ海の局は、夜のロングパスで何局か受信できたが、南西の200〜240度あたりの方角は、丘が邪魔して一番苦手なため、結局1局も交信できなかった。

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「1st VP6BR -JA 6m QSO!」の記載があるVP6BRのQSLカード(裏面)。

[米国のアマチュア無線免許を取得]

1997年、星山さんは、米国のアマチュア無線試験を受験した。職場のハム仲間が、名古屋で実施されるこの試験に、誘ってくれたことがきっかけであった。星山さんは、「名古屋でやっているなら交通費も大してかからないし、ボケ防止にやってみるか」と思い、勉強を始めた。

試験の問題集は、QST誌の広告を見て米国から通信販売で購入した。米国のアマチュア無線の資格は当時5段階あって、いきなり上級を受験することは認められておらず、筆記試験については下から順番に1段階ずつ受験していかなければならなかった。そのため、最上級のアマチュアエクストラ級の取得を目的とした星山さんは、全5資格の試験勉強を行ったと言う。

工学に関しては、単位がメートルではなくインチ、フィートである点がややこしかったが、レベル的には想像していた程高くはなく、理解することは問題無かった。しかし、法規は日本の電波法と全然違い、英単語が分かっても意味が理解できなかった。米国の姉に聞いたところ、「法律語になれなくちゃ」と言われたという。結局丸暗記に切り替え、インターネット上で公開されている疑似問題も有効に使って練習した。「都合2ヶ月間は勉強しました」と話す。

[アマチュアエクストラ級を取得]

結局、誘ってくれた友人は受験しなかったが、代わりに節子さんが同行して、夫婦揃って受験することになった。まずはモールスの試験からである。モールスの実技試験は一番上級の20WPM(1分間100字相当)のスピードからスタートする。これをパスすると学科試験になるが、パスできないと13WPM、さらには5WPMとスピードが下がっていく。もちろん40年以上もCWを運用している星山さんにとって、20WPM程度のスピードは何ら問題なかった。同行した節子さんもこの20WPMは難なくクリアした。

その後筆記試験となるが、筆記試験は、最下級であるノビス級から順に受験して行かなければならない。ただし1つクリアするとスグに次の級が受験できるので、1日で5つ全部クリアすることも可能な仕組みにはなっている。2ヶ月勉強した甲斐もあって、星山さんは、ノビス、テクニシャン、ジェネラル、アドバンスドと順次クリアし、最後に残った最上級であるアマチュアエクストラ級もクリアした。

[W3YH]

1日で全部クリアしたのは、名古屋では3人目だったとのことで、試験スタッフから「ワンデーエキストラ」と祝福を受けたと言う。一方、節子さんも、ノビス級とテクニシャン級に合格。当時、テクニシャン級にはモールス試験が必要なかった(ただし運用できるのはVHF帯以上に限られる)が、モースル試験をパスしたテクニシャン級は「テクニシャンプラス」と言って、HF帯にもオンエアすることができた。

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米国のライセンス(W3YH)を銅板に複写した盾。姉からのプレゼント。

星山さんの米国コールサインはAB8BLが割り当てられた。運用拠点である住所に姉のアドレスを借り、それがオハイオ州であったため、8エリアのコールサインが発給された。しかし、当時、米国ではすでに別料金を支払って(空いている)好きなコールサインが取得できるというバニティ制度が始まっていたため、星山さんは「JW」サフィックスを探した。しかし、どのエリアでもJWはすでに埋まっていたため、次に、イニシャルであるYHを探したところ、W3YHに空きがあったため、すぐに申請してW3YHのコールサインを手に入れた。