[設備の変遷]

ここで、星山さんの1990年代の設備について触れておく。1990年代は、主にTS-940とTS-940リミテッドで運用した。それと並行して、トンガに持って行くために購入したIC-736、さらに50MHz用に購入したJST-245というラインナップである。リニアアンプについては、引き続き3-500Zパラレルのアンプを使用した。

アンテナについては、1990年代に色々と載せ替えている。まず、1990年、メインのパンザマストには、上からクリエイティブデザインの50MHz用6エレ八木(CL6DX)、モズレーの14/21/28MHz用3エレトライバンダー(TA33)、クリエイティブデザインの7MHz用2エレ八木(AFA40)の3基を設置。サブのパンザマストには、ハイゲインの14MHz用4エレ八木(204BA)を載せた。

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1990年当時のアンテナ群。

[DXタワーを建柱]

1991年9月には、念願であったDXタワー社の25m高の自立鉄塔を建柱し、これがメインタワーとなった。メインタワー上には、204BA、AFA40を載せ、サブとなったパンザマストには、クリエイティブデザインの21/28MHz用5エレデュアルバンダー(218U)とCL6DXを載せた。地上高が上がった分、当然飛びは良くなったが、逆に「風で故障することも多くなったんですよ」と言う。

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前年に念願のDXタワーを建柱。1992年当時のアンテナ群。

1999年には、50MHzへ本格参戦するため、メインタワー上は、ナガラの50MHz用12エレ八木(SS126)と204BAに載せ替えた。メインのパンザマストには218Uと、50MHzのサブ用に残したCL6DXを載せ、サブのパンザマストには、ナガラの10/18/24MHz用3エレトライバンダー(T3-3VX)を載せた。

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1999年、タワートップに50MHz用12エレ八木を上げる。

204BAは約10年使ったが、2000年の台風でやられてしまった。正確にはアンテナそのものは大丈夫であったが、ローテーターのフランジが割れたしまった。「もう14/21/28MHzではあまりやるところもないし、メンテナンスが楽なもう少し小さいアンテナに変えよう」と、それを機にナガラの14/21/28MHz用4エレトライバンダー(TA341)に交換した。

[ローバンドアンテナを強化する]

2002年8月、約3年間の運用で6mの交信実績は135エンティティまで進み、6mDXCCの獲得という当初の目的を達成したため、SSNの下降に伴ってローバンドを強化したアンテナシステムに変更した。これは前年にスタートしたDXCCチャレンジアワードを意識しての変更である。

まずはメインタワーから50MHz用12エレのSS126を下ろし、代わりにクリエイティブデザインの3.5/3.8MHz用ロータリーダイポール(CD78L)を新調、さらに、AFA40も新型を購入して再びメインタワーに載せた。その他、メインタワーには自作の160m用の逆Vダイポール、その後さらにタワードライブアンテナも設置し、ローバンドで戦う体制を整えた。50MHzについてはナガラの7エレ八木(SS76)にダウングレードしたが、有事に備えてタワートップに載せた。

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オールバンドに対応した2008年8月現在のアンテナ群。

3.5/3.8MHzについては、開局以来50年近くずっとワイヤー系のアンテナで運用してきたため、初めて回転するアンテナを使用することになった。レギュラーバンドの14/21/28MHzはメインのパンザマストにTA341を載せ、サブのパンザマストには、T3-3VXと、160m受信用に自作のスモールループを設置し、ローハンド重視としながらも、珍局をオールバンドで迎撃する体勢を整えている。

[米国旅行]

話は戻るが、1995年4月から5月にかけ、米国在住の実姉・敏子さんの勧めもあって、星山さんは、節子さんと節子さんのお母さん(当時81歳)を連れ、米国東海岸を主体に観光旅行に出かけた。ニューヨーク、ワシントンDC、ボストンなどを列車で回った。その後、オハイオ州に移動し、姉と合流しナイアガラの滝の見物などを行った。

敏子さんの長男ワタルさんは、オハイオ州立大学で助手をしていたが、当時、オハイオ州立大学には、著名な電波天文学者で、アンテナ設計者でもあるジョンD.クラウス博士が在席していた。クラウス博士は大学の敷地内に「ビッグイヤー」と呼ばれた巨大なアンテナ(電波望遠鏡)を設置し、宇宙から到来する電波の観測に大きな成果を上げていた。

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ビッグイヤーの前に立つ星山さん。左右の反射板間は130m。

[W8JK]

一方、博士は戦前からのハムで、当初8AFJのコールサインで開局。戦後、W8JKに変更した。博士が自ら設計した「8JKアンテナ」はあまりにも有名である。その他、商業TV受信用のアンテナに応用されている、八木アンテナの反射器を複数本設置するコーナーリフレクターも博士の発明である。

星山さんは博士にアポを取ってなかったが、ワタルさんが「今日は先生いるよ」と言うので、大学内の博士の研究室に案内してもらったが、残念ながらタッチの差で博士が帰宅した後で、アイボールQSOは実現しなかった。それでも、星山さんはフットボール場3個分もある巨大電波望遠鏡(ビッグイヤー)を見学することができた。なお、クラウス博士は2004年7月18日に94歳でその生涯を閉じている。現在、W8JKのコールサインは博士を偲ぶ、「ジョンD.クラウス メモリアル・ラジオクラブ」に割り当てられている。