[最新鋭機への入れ替え]

星山さんは、TS-940リミテッドが気に入って1980年代後半より長期間使用したが、節子さんと相談してIC-7800を購入することにした。理由はDSPを使ったデジタル処理が気になっていたからだった。DSPを搭載したHF機が出始めた頃は、「星山さんが聞くような弱いCWは、デジタル処理すると雑音と判断され、何も聞こえなくなるよ、といった冗談を本気にしていたこともありました。」と笑って話す。

そんなこともあって、当初はDSP機を購入するのに不安を持っていたが、ローカル局のIC-756PROで160mを試聴した結果、予想以上によく聞こえたので、「DSP機でも問題はないだろう」と判断し、2005年8月にIC-7800を購入した。購入に当たっては、FT-9000とどちらにするか検討したが、雑誌記事を読んだり、友人の意見も参考にしたりしてIC-7800に決めた。同時に、リニアアンプについても、相性や操作性を考えて、アイコムのIC-PW1を新調した。

[IC-7800]

星山さんは主にCWモードを運用しているが、「160mや80mで、従来のアナログ機では極端とも言える100Hzぐらいまでパスバンドを狭くしても、リンギングなく信号が聞こえる。しかも安定度が良いから、狭帯域で受信中にダイヤルから手を離しても大丈夫。さらに雑音が少なく、安定したワッチを続けられるのが一番気に入った部分です。」と使用感を話す。

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アイコムの最高級HF機・IC-7800。

「その次はダイナミックレンジ。最近は測定器を扱うこともなく数量的にどんなに良いのかは判らないが、従来14MHzSSBで珍局がスプリットで運用中、アップで呼ぶJAの煽りを喰い、微弱な珍局の信号が聞き辛くなることがよくあったが、IC-7800ではこの現象が気にならなくなったこと。」「また、メインレシーバーとサブレシーバーが独立しているため、他方に強力な信号が入感した場合でもAGCの影響を受けることが無い。そのためDXペディション局を追跡中に、デュアルワッチを使ってCW、SSB両モードでの待ち伏せが可能なことです。」と続ける。

「その他、ダイヤルの感触が良く、早回し/ファインチューニングが自在なこと、さらにRTTYの解読率が良いことなどです。送信波については自分で聞くことができないから判らないけど、送受の切替えがVOXでも、CWのブレークインでもスムーズで、感覚的に安心感があります。」と話す。

[不安定だからおもしろい]

現在では、外国に旅行する、外国と電話で話をする、さらにはインターネットで外国とチャットを行うなど、いずれも簡単で当たり前の世の中。星山さんは、「なぜ苦労して電離層を使った通信をやるのですか」、とプロの無線技術者にまじめな顔で質問された事がある。それは、「スーパーに行けば新鮮な魚が簡単に手に入るのに、なぜ貴方は魚釣りに行くのですか、と問うているのと同じですよ」、と答えた。

「わざわざ不安定な電離層伝播を使って通信するのは、短波通信にはコンディションがあって、安定していないからおもしろい。つまり、繋がるか繋がらないか判らないからおもしろい。電話回線やインターネットを使って、100%繋がっては逆につまらない。この道楽は、一般の人に説明しても、理解できないだろうね。」と話す。

ある時、星山さんが居酒屋で友人と飲んでいる時、アマチュア無線を50年以上もやっているという話をしていたら、近くのテーブルにいたご婦人が割り込んできて「そのお歳でアマチュア無線ですか。宅の子供は小学5年生でアマチュア無線を楽しんでいますのよ。オホホ」と馬鹿にされてしまったことがあった。「DXを説明するのは大変だからDX入門書を書いたのだけど、そのご婦人に、俺の本を読めとも言えないしね。」と、星山さんは苦笑する。

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自局と同じサフィックス「JW」の局とも多数交信している。

[トラブルも思い出]

星山さんは、「長くやっていると色々なトラブルに遭遇するが、それらもまた思い出です。」と話す。コンテスト運用中に台風でアンテナが倒れ、参加を中断したことは以前に紹介したが、機械の故障で珍局を取り逃がしたことも何度かあった。たとえば8Z4(サウジアラビア・イラク中立地帯)からのDXペディションでは、VFOの糸が切れて受信機のダイヤルを回しても周波数を可変できなくなってしまい、おかげで14MHzのCWを取り逃がしてしまった。

逆に、先方のトラブルというケースもある。一例として、1962年、W0MLYディックさんによる、植民地から独立したアフリカのニューカントリー(現在はエンティティ)へのサービスツアーがあった。ツアーの最後はTZ(マリ)からの運用であったが、運用初日は、星山さんは夜勤で山原無線中継所におり聞けなかった。2日目以降はTZからの電波が途絶え、結局取り逃がしてしまった。それまでのTR(ガボン)、TJ(カメルーン)、TT(チャド)、TU(コートジボアール)などは、調子よくできていたので、星山さんはショックを受けた。後で分かったことだが、運用していたマリのホテルが火事になって、ディックさんは命からがら脱出し、母国である米国に帰国したとのことだった。

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W0MLYディックさんによるW0MLY/TJ8、W0MLY/TR8のQSLカード。

[星山さんにとってのアマチュア無線]

アマチュア無線を続けてきて良かったことは、「自分が人生の励みにDXingという趣味を持っていたので、仕事等で嫌なことがあってもストレスを解消できたことです。」と話す。その他、星山さんは世間一般の人より外国の事が抜群に詳しくなったことを挙げる。「最近退職してから無線に無縁の沢山の皆さんと話す機会が増えましたが、外国の祝日、記念日(祝日、記念日はその国のハムが特別運用することが多い)などは私の常識でも、皆さんの非常識ということがよく分かりました。」と話す。

米国の人口は日本の約2倍だけど、国の面積は日本の約20倍だとか、ブルガリアの首都はソフィアだとか、食糧難で困っているアフリカのブルンジやコンゴは昔ベルギーの植民地だったとかいう話をしていると、皆がビックリして「あなたは外務省出身ですか」なんて言われることもあり、「その様なときは少し良い気分になります。」と笑う。

星山さんは、アマチュア無線を長く続ける秘訣として、「自分の得意なジャンルで何か目標を定めて、それを達成するために楽しんで運用するのが一番だと思います。楽しければ好きになるし、好きになれば飽きない,飽きないから続くのです。」とアドバイスする。星山さんの得意なジャンルはもちろんDXingであり、現在の目標はDXCCチャレンジ3000である。

[今後の抱負]

まずは、節子夫人と二人で、過去にQSOしたDX局を訪問して、アイボールQSOを楽しむことを挙げる。その他に、50MHzのコンディションが良くなったら、ハワイから運用すること。実は、トンガに行った翌年の1999年に、星山さんはハワイのレンタルシャックに予約まで入れたが、急用ができてキャンセルせざるを得なかった経験があるからだ。その他、アルゼンチンのブエノスアイレスへ飛んで、本場のアルゼンチンタンゴ(ポルテニア音楽)を聞くことも候補の一つである。しかし、なんと言っても、「今後もDXを続けることです。」とDXingに対する50年間変わらない熱い思いを語る。 (完)

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星山さんのDXingの歴史を表すMixed mode DXCC。「380」エンティティのエンドーズメントステッカーを保持しているJAは、2008年8月の現時点で、JA1DM海老沢さんと、星山さんの2名しかいない。