[EchoLink]

池上さんは、1kWの大出力をもちながら「なぜかDXにのめり込めなかった」と言う。その代わり新しい方式に興味をもった。スペシャライズドコミュニケーションと呼ばれるSSTV、RTTY、FAXを一通り手がけたが、その後興味をもったのがVoIP(インターネット接続)無線の「EchoLink」であった。

きっかけは日頃出入りしている鹿児島市内のハムショップで、無線機‐パソコン‐インターネットを介して交信するVoIP無線の設置実演を見て「ハンディ機で手軽に遠くと交信できるので面白そうだと思いすぐに始めてみた。」せっかくだから海外ともQSOしてみたいと思っているときに、ドイツのハムが「EchoLink」を私に勧め、地元にもノード局があるはずだという。そこで、6m・2m・430MHzとバンド中を調べてみたが全くないことが分かった。

[EchoLinkノード局立ち上げ]

「地元に無いのなら自分でノード局を開局するしかない」と決意した池上さんは、すぐにノード局を自宅に立ち上げ、海外や国内と頻繁にQSOをはじめた。145.66MHz、50Wで鹿児島市周辺と鹿児島湾一体の半径30~50km程がエリアになっている。「その後、この周波数をモービル機やハンディ機で受信した地元ハム達は、最初は海外のコールサインを聞き興奮しておられた」と言う。

「そして実際に交信をしてこられる方もどんどん出てきた」と池上さんはノード局オーナーとして満足だった。そして、池上さんのノード局利用の全国の仲間による自然発生的なグループができ「ALL JA」の名前が付けられるようになった。

「ALL JA」の仲間は20局を突破し、30局に迫る勢いで増え続ける。しかし、そのころ池上さんは「EchoLink」を通してオーストラリアのアート高橋(VK4GO)さんから盛んにAPRS(オートマチック・ポジション・レポーティング・システム)を勧められていた。

アートさんはオランダの生まれであり日本人の女性(JA1OIY)と結婚、現在は埼玉県に在住して日本のコールサインはJA1OGS。APRSの新しい世界に見せられた池上さんは、平成16年(2004年)2月、同じ町内に住む中村敏弘(JH6RLY)さんに「EchoLink」を体験してもらった後に、「ALL JA」の責任者の役を任す。「たまたま、私のノード局の調子が悪かったのと、APRSの普及とVoIPとフォーンパッチ用レピーターの立ち上げに力を入れるためだった」という。中村さんもそれを機会に145.72MHzのノード局を設けている。

[APRS]

APRSもVoIPの範疇に入る通信方式であり、GPS(グローバル・ポジショニング・システム)と地図ソフトと組み合わせて、現在地を交信相手のパソコン上にプロット出来、さらにメッセージのやり取りも可能。もちろんEchoLinkなどを併用して音声QSOも同時に運用もできる。家や車のパソコンで米国や外国のどこかの道路を走っているハムを詳細な地図で追いながらQSOすることが出来る。

池上さんは東京出張のおりに帰国されたアートさんご夫妻を訪ねる。APRSについてさらに詳しい教えを請うためであった。その結果、池上さんはモービルによるキーボード運用、ハンディ機での移動運用、さらに気象スティーションなどを本格的に始めるようになる。そして今年(2006年)5月に熊本市で行われたJARL総会には、アートさんを招いてAPRSのデモンストレーションをJ-netほか仲間約30人で展開する。

モービルでAPRSを楽しむ池上さん

JARL熊本総会でのAPRSのブース。左からアートさん、池上さん、原JARL会長

このような国内のイベント会場におけるAPRSの大々的なデモは初めてと見られ、注目を集めた。ブースでは実演を行うとともにAPRSをやさしく解説したCD-ROMを配布し、併せてUI-View32のAPRSソフトの新規登録も受付けた。「約50局の新規登録があった」と言う。

[増加する日本のAPRSer]

その後、APRSの利用者は増加し「全国のEcoLinkのグループヘとも広がり、さらに米国西海岸の日本人局、中国にも拡大していっている」と言う。池上さんは「現在、世界で約15000人が、日本では約500人がAPRSを運用している」と推定している。池上さんがAPRSの普及に乗り出したのは単なるおもしろさだけではない。

「世界中の地震・台風・天候・海上のヨットなどの情報を即座に知ることが出来、遭難や災害時の救助にも役立つ」と池上さんは強調する。ただ、残念なのは「このAPRS運用にそのまま使える最適な無線機がないこと。普及が始まりつつあるデジタルシステムのD-STARの新機種にも期待している」と言う。

[日本の若者を世界の舞台に]

今年(2006年)12月のある日、池上さんの携帯電話が鳴った。ニューヨーク州立大学大学院の学生からの電話である。「元気に頑張っています。同期の友人はマンハッタンにある四大証券会社に就職でき働いています」と言う報告であった。もちろん、その2人は池上さんが日本で選考して送りこんだ留学生達である。このような話しをする時の池上さんの顔は輝いている。

祖父や父が校長であったためか「何らかの教育に関する仕事がしたかった」と言う池上さんは、今それが実現できたことに満足している。「全国から応募してくる留学志望者は素晴らしく優秀であり、国内の一流大学に合格する水準にある。その若者らが、海外に行き世界の同年代の若者と交流し、国際人として育っていくことがうれしい」と言う。そして「米国への留学は決して経費がかかるものでもない」と若者にチャレンジを勧めている。

また「米国ではやる気のある学生の入学はゆるやか。身障者にも道を開いている」と日本と異なる米国の教育システムを高く評価する。「日本は結果の平等が重視され、米国では機会の平等が大事にされるが、大学入学でもまさに適用されている」と、日本の教育システムの改革を望んでもいる。

[これからのアマチュア無線]

日米の差はアマチュア無線にも見られる。これからの日本のアマチュア無線について「小中学生がもっとハムを体験しやすくして欲しい。アリススクールコンタクトで実現されたように、免許所持者が同席しているならば、ゲストオペレーターとして簡易な交信を許して欲しい。また、1アマから4アマの運用バンドの区別をなくし、各HFバンド内を級とともにステップアップしていけるモチベーションのある制度にしてほしい」とも提案する。

池上家は奥さん芳枝(JA6REP)さん、長男・功祐(JA6OYG)君、長女・佳穂(JA6QGW)さん全員がハムである。奥さんは結婚後すぐに3アマを取得し、お子さんは5歳と7歳の時に4アマに合格、そして今年12月に小学2年と小学5年生の二人にそれぞれ3アマの免許証が届いた。「家族全員がハンディ機をもっており、連絡のほとんどはレピーターを使い無線でしている。米国出張中はEchoLinkやeQSOやSkypeを活用しており、電話代がかなり節約できている」と微笑む。

その後、池上さんはCQ誌2007年1月号~5月号の連載記事「APRSをはじめよう」を執筆する。 またCQ誌主催ハムフェア特別セミナー2007で「APRSをはじめよう」の講演と実演をおこない、日本におけるAPRS・D-PRSとVoIP無線の紹介や普及に大きく貢献する。

中甑島から下甑島に向う家族

ハムフェアで講演する池上さん