一方、長野県では昭和24年8月に「長野アマチュアラヂオクラブ」が誕生した。中心となったのは戦前のハムであった堀内安(J2HC)さんであり、初代会長に就任した。このころの様子を岡田久太郎(JA0AO)さんは「ある夜、(長野市)大門町の倉沢模型科学店の2階に、ラジオ少年同好の2グループ約20名が集まってクラブが誕生した」と「長野ハムクラブ設立50周年を回顧して」の中で追憶している。

「長野ハムクラブ」の会報の表紙。地元の佐久間象山が日本初の電信実験を行ったといわれる鐘楼をあしらっている。ナンバー、会長名が空欄なのは原紙のため。

長野県でも昭和26年(1951年)6月26日、27日に初めてのアマチュア無線技士の試験が行なわれた。受験者は10名、2アマに1名が合格した。翌年、全国の30名に予備免許が与えられたが、長野県では誰も含まれておらず、県内第1号ハムとなった和田英隆(JA1WC)さんが予備免許を取得したのは、同じ年ながら、そのすぐ後であった。和田さんは下高井郡平穏村(現在の山の内町)に住んでいたが、開局当時の模様を清水勲(JA0AS)さんが文書にしている。

それには「駅から田舎道を歩いて行くと、電電の社宅の一隅に竹竿のアンテナが風に吹かれていました。・・・・無線機は全部手作りで、ラジオ屋で買った部品とクズ屋から目方で仕入れた部品を組み合せて組み上げたものでした。よくこんな器械で交信できるものだと思いましたが、若い和田君は熱心に海外との交信に励んでいました」と、当時の貧しいが活発な若いハムの姿が描かれている。

当時、ハムを目指す地方の人達にとって情報が決定的に不足していた。このため、クラブのミーティングに参加し、情報交換を真剣に行ない、また、勉強にも熱心だった。しかし、若いだけにアンカバー交信も多く、監理局のお膝元の長野県ではとくに厳しく摘発された。また、免許を受けてハムになった後には3.5MHzで警察無線との混信が多く、この面でも問題が多発した。このため、昭和27年からクラブの会長になっていた清水さんはたびたび注意を受けた。

その清水さんが開局したのが昭和28年。長野県では戦後9番目のハムとなった。無線局の落成検査は「ジープとトラックに測定機を満載して、確か7、8人で来られたと記憶しています」という。それでも検査は朝から夕方の7時ごろまでかかり、終わった時には日が暮れていた。翌日、無線局運用開始届を出して初交信。「手は震えるし声は上ずって、われながらだらしないありさま。窓の外は物珍しさに黒山の人だかりでした」と晩年に振り返っている。

長野の戦前のハムの一人、林太郎さんはJARL全国大会によく出席した。昭和6年の第1回大会の出席者。---JARL発行アマチュア無線のあゆみより

ついでながら、清水さんについてもう少し触れておくと、清水さんはQRP(小出力運用)にも熱心であり、JA0CCのコールで3.5MHzのQRPに挑戦した。昭和31年(1956年)6月にはJARL・QRPクラブを7名のグループで立ち上げ、初代の会長になった。現在、このクラブの会員は200名近くに達し、盛況である。

昭和29年(1954年)8月には信越管内のアマチュア無線局の数は92局に達し、このうち長野県内は52局であった。長野県は高い山々が連なる“日本の山岳地帯”。急流や大河も多く、山の遭難、水害も少なくない。災害時にアマチュア無線を役立てようと、この年に非常無線通信網を確立している。

30年になると信越地方非常通信協議会による「非常通信コンテスト」が行なわれ、第1回の優勝者は岡谷市の今井民治(JA0AZ)さんだった。このコンテスト(JA0OSOコンテスト)は、現在でも毎年4月に行なわれており、今年(2002年)は第49回が実施された。入賞者はそれぞれの県支部大会で表彰されている。

昭和30年、岡田久太郎(JA0AO)さんが長野クラブの会長に就任する。岡田さんは後に清水さんの後任としてJARL信越支部の支部長にもなったが、平成11年(1999年)の「長野ハムクラブ設立50周年」の折、思い出を寄せている。その中で、岡田さんは「クラブの育ての親として一番の功労者といえば、故・清水OM、JA0ASさんで、戦後のハム再開に向け上京の都度、JARLの動向やら秋葉原の状況、開局申請のノウハウなどいつも教えてくれた」と清水さんの功績を評価している。

清水さんがサイレントキーとなったのは平成7年だったが、平成10年には戦前のハムで「長野クラブ」を設立し、初代会長であった堀内安(戦前J2HC)さんが亡くなっている。長野県の戦前のハムの何人かは「RAINBOW会会員」となった。すでに、村澤繁雄(J2CT)さんは昭和52年、林太郎(J2CG)さんは54年にサイレントキーとなっていた。

JARL第8回全国大会出席者の寄せ書き。---JARL発行アマチュア無線のあゆみより