JA0AD 小林勇氏
No.14 小林さんとSEA・NET
[SEA・NETとの出会い]
小林さんが今、もっとも力を入れているのがSEA・NET活動である。今年(2002年)東京ビッグサイトで開かれた「ハムフェア」にもブースを設け、小林さん自らPRをしている。小林さんとSEA・NETとの出会いは昭和50年(1975年)、30年近くも前である。そのきっかけを作ったのが桑沢和夫(JA0IA)さんであった。
昭和56年(1981年)から「ハムフェア」には毎年SEANETのブースを出展している。カメラを持つ小林さん。---1981年第1回出展
桑沢さんは信越支部の支部長を1度、信越地方本部に名称が変わってからは本部長を3度にわたって務めている。当然のことながらJARL本部の理事に何度もなっており、アマチュア無線関係の国際会議支援のため、ツアーを組織するなどして活躍した。昭和50年、香港で開催されたIARU(国際アマチュア無線連盟)REG-Ⅲ(第3地域)会議支援のそのツアーに小林さんは始めて参加。「初めての海外旅行で観光も忙しかった」と小林さんは言う。
この時に同行した荒川泰蔵(JA3AER)さんとともに現地のVS6EK局を訪問。その折、増加する日本のハムのため混信が激しく、東南アジアとの交信がしにくくなった状況が話題となった。小林さん自身の悩みでもあったため、妙案が無いかどうか聞くと「即座にSEA・NETに参加されれば、と提案されました」という。
SEA・NETは毎晩9時、14.320MHz、SSBによるNETQSOであることを教えられ、小林さんは帰国後に参加することを決断する。帰国後、ワッチすると早口の英語であり、理解できない。テープに録音し、何度も聞きなおしたところ、パターンがあることに気がついた。同時に長岡市内の英会話教室に通ったものの、実用会話には無縁なためすぐに止め、海外放送を再び聞くことに務めた。
[本格的にSEA・NET活動]
昭和51年(1976年)9月。JARLの創立50周年記念式典が東京で行なわれた。その会場で小林さんは来賓として出席していたタイのSEA・NETの会員HS1WR/YLさん夫妻に出会う。SEA・NETの第7回コンベンションが、翌年バンコクで開催されることになっており、HS1WRさんに参加を誘われる。1997年11月のそのコンベンションでは参加していたセイシル島のS79Rさん、9N1MMさんにも会い、メンバーと交流を深めることになる。
左から、タイのHS1WR夫人マコリー(HS1YL)さん、お嬢さんのケミカ(HS1GA)さん、小林さん。---1976年東京
小林さんはその後、毎年のコンベンションに出席を心がけたが「これまでセブ島、ダッカ、ブルネイ、コタキナバルでのコンベンションにはそれぞれ都合がつかず出席できなかった」と、今でも残念そうな口振りである。ペナン島で開催の時には「日本からあなた以外に参加があります」と、ゲリー・チェンバーズ(JR1YYQ)夫妻を紹介される。東京・目黒区に住んでいるゲリーさんとはその後、自宅に何度も伺う関係となった。
SEA・NETを通じて、小林さんは世界的知名人であるタイガー・バームの胡一虎(9V1QM)さんと親しい関係となる。実は、1977年にはじめて参加したコンベンションで、HS1WRさんが隣りにいた胡さんを紹介してくれた。その後のコンベンションでも度々会うことになり「日本のことも詳しく、日本語も少し話されるので愉快な方とは思っていたが、ご本人もタイガー・バームのご当主と一度もおっしゃらないため、長い間知らなかった」という。
写真中央がタイガーバームで知られる胡一虎(9V1QM)さん。左が夫人の暁子さん。右は小林さん。---1976年東京
それを知ったのは1982年のジャカルタのコンベンション。この時、胡さんの暁子夫人から「時々、東京に行きますので日本でお会いしましょう」と声をかけられ、その後は日本で何度も会い、小林さんの自宅にも招くような間柄となる。胡さんは当然といえば当然であるが、ロンドン-シンガポール間を無給油で単独飛行したり、ハワイにクルーザーを所有するなど大型の趣味を持った人だった。
胡さんは毎年シンガポールの旧正月である2月に自宅で「餅つきパーティー」を開催しており、良い米はないかとの相談に新潟産の「コシヒカリ」を紹介。その後、そのパーティーに招待されたことがある。高級住宅地の庭でのパーティーには150名ほどが出席し、英語、中国語、マレーシア語が飛び交い、気の置けない集まりだったという。
庭には電動式のポールがあるもののアンテナがない。不思議に思って聞くと「美観を損ねるため」という。そこで、小林さんは「小型のダイポールならば」と提案、次回伺う折に建てることを約束。次ぎの「餅つきパーティー」の時に5バンドダイポールキットと同軸ケーブルを持って行き、午後一杯かけて完成した。
このように小林さんのハム活動はSEA・NET中心であり、IARU REG-Ⅲ国際会議への出席もSEA・NETのメンバーとして個人的な支援のためである。このため「関係者には多分にご迷惑をおかけしている」との心配をしている。同時に「コンベンションが開かれる土地の多くに、太平洋戦争当時の日本軍の残虐な行為の記念碑や記念館がある。それだけにそこの人達とアマチュア無線を通じての友情を結ぶ活動をこれからも続けたい」という。