[QRPの会発足] 

そこで、庄野さんは翌年の昭和31年(1956年)に、JARLに「QRPの会」を発足させた。清水勲(JA0AS)さんを会長とし7人での出発であった。一時は会員が三百数十人になったものの、その後「なかなかレポートが出てこない。やめる方も増えてきた」と、その頃の状況を話している。庄野さんは「昭和33(1958)年頃から、アイコム(当時、井上電機製作所)製の50MHzポータブル機FDAM-3を持って国内を旅行し、QRP本来の野外活動の楽しさを知った」という。

庄野さんによると「欧州は国が隣り合っているため、QRPで交信する伝統ができあがった。一方、米国は1KWの大入力が普通であったため、日本では信じられないが100WをQRPと呼んでいた」という。地域によりQRPの定義はさまざまだった。そこで「日本では入力5WをQRPと定義したが、現在では世界的にも出力5WがQRPとなってきている。また、最近になって出力別のクラス分けが進んできたのでありがたい」という。

昭和60年(1985年)、IARU(國際アマチュア無線連合)の第3地域(アジア・大洋州)ではQRP運用の促進を狙い、6月17日を「QRPデー」とすることを決めた。また、欧米でもQRPへの関心が高まり、米国では1970年にARCI、英国では1973年にGクラブがそれぞれ発足、世界的にQRP活動は活発になっていった。

平成1年(1989年)、QRPクラブは再建された。QRP推進の理由のもう一つの面を、庄野さんは「住宅地ではますます住宅の密集化が進み、さまざまな電波障害が生じ、100Wを出すのは大変であり、10Wでも簡単ではない。5Wならあまり気にせずに電波を出すことができる」という。QRP運用が増え始めたのには、このような事情があった。

「QRPの会」の会長となった清水さん --- 平成3年当時の写真

JARLも平成9年(1997年)に8J1VLP(Very Low Power)の特別局を作り、ミズホ通信のピコ(小出力)トランシーバーと、5W機に改造したアイコムのIC756Mなどを使用し、毎年国内を巡回しQRPで国内外との交信を重ねている。

特別局「8J1VLP」をつくり、全国を巡回した。鎌倉市の有坂芳雄(JA1HQG)さんの自宅での運用

QRPの本当のおもしろさはどこにあるのだろうか。庄野さんは「変化の多い電波事情の中で、思わぬ小電力で交信ができることもある。また、消費電力が少なく、電池電源でも駆動できるため、行動が自由になる。さらに、経済的でもあり地球にやさしく、出費も少なくてすむ」と指摘している。

[5mWでWAC達成] 

庄野さんは100W機や10W機を使用し、5W以下に絞って運用している。カードには出力を何で図ったか、パワーメーターは何か、電源は何かを記載して、条件を満たしていることを明確化している。そして、現在、庄野さんの5WでのDXCCは、全体で244エンティティ(地域)、231コンファーム(QSLカード受領)であり、マルチバンド合計では1097エンティティ、963コンファームの達成情況である。

どこまで出力を落せるか。庄野さんの挑戦は続いている。出力を5W以下に絞り、さらに、アッテネーターにより、10dbごとに2段、3段と落して5mWや1mWでも交信している。これまで5mWでWAC、3mWでAJDの交信を達成し、1mWでは残りは1エリアとなっている。

さらに、庄野さんの話を続けると「山頂からQRPだけで1万局をやった人もいる。500mWでJCCが627局の人もいる。」庄野さん自身は「3.5MHzの5Wでアフリカと再QSLをしてWACを完成させたい」と願っている。

庄野さんのQRPの楽しみ方は「普通にやって相手がQRPであった場合をAランク、相手がQRPといって出てきた時はBランク、スケジュールを組んでやった時はCランクとランク付けしている。さらに、ベストなのは「相手局をギリギリの小電力から呼び始め、どこで返事が得られるかを知ること」という。

QRPでは他の局に取られる場合が多い。だんだん、JAの局が引いていき、相手がCQを出した時がチャンス。最近はQRPオンリーといってくれる局も多くなってきました」といい、QRPの楽しみ方については「じっくり構えて続ければ良い」というのが庄野さんの助言である。

庄野さんのQRPに熱中するのは「一般的なアワードをもらうのは気にすまないこともある。5Wで目標を立ててやったり、0.5Wで何か記録をつくるなど、アワードでないものをやりたい。あと何年頑張れるかわかりませんが、いろいろと挑戦していきたい」という目標があるからである。