[天の恵み・地の恵み] 

庄野さんは今(平成15年4月)84歳である。昭和13年5月にJ2IBの免許を取得して以来、65年、約23,000日になる。この間に2つの世界大戦があり、いくつかの動乱があった。さらに、庄野さんの身辺にもさまざまな変化があった。その変化のなかで交信できた内外の局は約30,000局に達した。その交信のほとんどは電信であり、その大半がQRPであった。

「アマチュア無線に与えられたプレイ・フィールドは、太陽と地球の膨大なシステム空間である。その空間を自由に利用できたことは何という恵みであったことか]と、庄野さんはアマチュア無線のスケールの大きさをを語る。そして「太陽の核融合で生ずる膨大なエネルギーと放射線、地球上で作用する地磁気と水に空気が加わった空間が、織りなすさまざまな変動により変化する飛び交う電波に、われわれは揺り動かされてきた」と、これまでの人生を振り返っている。

平成14年12月に行われた「光ワイヤレス通信」実験の集まり

約20年前、庄野さんは危うく一命を失うような病を得たことがあった。その折に、戦前、戦後もリーダーとして活躍した矢木太郎さんに「毎日電波を出さぬから病気になるのだと思うよ」とたしなめられた。その時、庄野さんは「せっかく責任(JA1AA)のあるコールを与えられながら、多忙を理由に毎日電波を出さないのは努力が足りなかった」と率直に反省したという。

平成5年(1993年)8月1日、庄野さんは電波を出すことを日課の一つとする。「容易なことではなかった」というが、平成10年(1998年)12月20日まで1,626日間連続QSOの記録をつくる。その後、不幸な出来事があり、中断したりしたものの、再び挑戦し、昨年(平成14年)の年末から、現在まで3カ月以上の記録が続いている。

この間「幸い5mW出力でWACを完成することができたし、数十年ぶりに異国の友人に会えたり、また、交信の回を重ねて思いを深めた人も多かった」といい、最近は「一期一会」の言葉が身にしむ」と、来し方を振り返る。

地球儀にプロットされたQRSによる交信地域

[New Frontier 無線光通信] 

庄野さんの手元に、ARRL(米国アマチュア無線連盟)が発行した「TWO HANDRED METERS AND DOWN」の1936年版がある。ここには、1932年のマドリッドの国際会議を期に、それまでの火花送受信によるアマチュア無線を160m~5mに移行して、割り当てて以来の歴史がつづられている。

この波長帯域は、新しく開発された真空管を駆使した領域であるが、その後、1μm(遠赤外)以下は電波法による制約を受けるようになった。この電波領域はますます利用頻度が高まり重要視されるために、厳しい制約、秩序が要求されつつある。「その一方で」と、庄野さんはいう。「物理的に見れば、電磁波は宇宙線に至るまでの領域が把握されており、新しい電気工学でとらえられるようになってきた。そのなかでも、光の領域はレーザーとガラスファイバーの発達により、新しい産業を生み出し注目されている」という。

同様に、無線通信の分野でも光の利用が着目されたものの、微小電力高周波機器の簡便さに押されたこともあり、ほとんど省みられなくなったといえる。庄野さんは「かって、中国で見かけた古い山頂の望楼も、海岸や難所にある島に設置されている灯台も、いわば無線の光通信設備である」。さらに「一方、人間の目は可視光線をとらえることのできる優れた受信機である」という。

庄野さんは、すでに30年以上も前にその光・ワイヤレス通信の実験に挑戦している。昭和45年(1970年)10月、「CQ」誌上で、技術展望についての座談会が行われたが、この時、庄野さんは登場して間も無い赤色LEDを点滅させて、海老沢徹(JH1TKX)さんと約2m離れたテーブル上で交信した。この後、庄野さんは福山邦彦(JH1HQO)さんと夜間に45mの距離で成功している。

これらの交信記録は、翌46年2月の「QRPクラブ」の機関紙に発表されている。同時にこの号には、米国でWA8WEJ/0とW4USO/0が1971年2月に行ったガスレーザーを用いた米国初のQSOも紹介されている。

それから約30年後の昨年(平成14年)12月、庄野さんは再び、吉沢和夫(JA1AS)さん、宮内基(JA1HH)さん、木倉充(JA1QVB)さんと、その家族の集会で、自作のコールサインを使い光交信を実施した。この時に使用したのが、ピン型リチウム電池とLEDを組み合わせた重さわずか1グラムの「送信機」だった。

ピンチリウム電池、LEDランプを使用した重さ1グラムの送信機

この「送信機」について、庄野さんは「最小のモールス練習機として、ボーイスカウト、ガールスカウト、カブスカウトの人達、アマチュア無線の入門者に、さらに海や山での遭難時、災害時の必須用具にならないか」と提案。庄野さんの本当の狙いは「制約を受けない“光通信”の活用により、新しいアマチュア無線の世界を生み出したい」ということにある。