当時、水晶発振子を製作するためには、受信機のダイヤル読み取り精度を少なくとも100Hz単位まではあげる必要があった。「そのためにはアマチュアバンド内の正確な基準信号が複数必要になる」と作間さんは苦労する。メーカー製の水晶を使うのも一法であるが、作間さんは先に触れた通り3逓倍波が14MHz帯に入るようなジャンク品の水晶を利用していた。

そのころのラジオアマチュア誌にはその解決法が掲載されていたという。短波受信機の側に置いた鉱石受信機(ゲルマラジオ)で中波ラジオを受信すると、そのハーモニックスが豊富に発生し、14MHzバンドでも十数倍波のビートを受信できる。これを組み合わせてかなり正確なスプレットダイヤルの較正グラフを描くことができた。中波ラジオの周波数偏差は10Hz以下、実際はゼロとみて良いからである。「それにしても、当時は周波数直読の無線機が当たり前になるなんて想像もしませんでしたね」と驚嘆している。

「読売1万局アワード」の証と賞

[手だけの出演]

48年間、テレビ放送に携わった作間さんであるがテレビに出演したことは一度もなかった。「カメラの後ろに居るのが仕事ですから。しかし一度だけドラマに出たことがあります。ただし手首から先だけ」と、笑う。昭和35年(1960年)ころ、あるドラマで通信士がキーをたたくシーンがあった。「凝り性のディレクターが音と動作を含めてリアルにしたい」と作間さんに依頼があった。VTRが無くドラマもすべて生放送の時代である。

作間さんは本番の時間にスタジオに入り持参した自分のキーを打った。「モールス信号の音とキーを打つ場面が放送された。当然、画面には私の手首から先のアップだけ。約5秒。ギャラは無しです」ということがあった。もう一つは手首も出ず、音だけの話。朝のニュースのタイトルバックにアンテナから電波が発射されるアニメが使われていた。BGMとしてモールス信号の音を入れることになり、作間さんの叩いた「もっとも早く正確なNTVニュース」の英文信号がエンドレスで使われた。

[テレビドラマのモデルになったハム]

平成6年(1994年)ころ、作間さんに黒川瞭(JA1AG)さんから突然電話があり「私の役割を演じた俳優さんの名前を教えてほしい」と依頼された。昭和30年代前半(1955年-1960年)のある日、黒川さんは交信したヨーロッパの局から「家族が病気であり日本に良く効く薬があるので送ってもらえないか」と頼まれる。黒川さんは各方面に問い合わせて、苦労して手に入れて送った。

この美談はNTVでドラマになって取り上げられた。1956年にフランスで制作された映画「空と海との間に」が似たようなストーリーで評判になったばかりだった。しかし、30年以上も前の話であり、作間さんには全く記憶が無かった。そこで、調べてみると昭和34年頃の毎週木曜日に放送された「愛の劇場」シリーズの一つらしいことが分った。

作間さんは資料室の膨大な資料から、出演者の載った当時の「番組確定表」を探し出した。「松村達雄さんなど大物俳優も出演していました。黒川さん役の若い俳優も分りましたが、その後は俳優を辞めたのか現在どうしているのかまではつかめませんでした。それでも、黒川さんにお答えできて良かったと思っています」と作間さんほっとしている。

[少飛賞アワード]

平成7年(1995年)作間さんは「少飛賞」というアワードがあることをJARL NEWSで知る。「少飛」は「陸軍少年飛行兵」のことであり、この「少年飛行兵」制度は昭和9年(1934年)と早期にでき、その後20期まで約四万六千人が教育を受けたといわれている。したがって、支那事変、ノモンハン事件にも出撃した卒業者もいた。アワードは飛行学校や教育隊のあった市町村十数カ所と交信するのが条件であった。

作間さんは既に条件を満たしていたため、早速申請してアワードを手に入れた。発行者は少年飛行兵第16期の大関富雄(JA8GSW)さんであり、これを契機に大関さんやそののローカルである札幌周辺のハムをはじめ、全国の元航空隊のハムとの交流が始まり、東京でのアイボールも何回か行われた。「おかげで元少年飛行兵や特別幹部候補生、海軍の飛行予科練習生(予科練)その他さまざまなハムの方々とお会いすることができました」と作間さん。

アイボールでは「かつて似たような境遇を体験した者同士、しかもハム仲間とあって大いに語り、かつ飲む機会もありましたが、往年の紅顔の少年兵もほとんどが喜寿を過ぎた年齢となり、まだまだお元気な方もおられますが、さすがに以前のようにはいきません」と、作間さんは過ぎ去った年月を偲んでいる。

JARLニューイヤーパーティは毎年参加している

[楽しくなければ趣味ではない] 

激職から開放された作間さんであるが、暇にあかせて猛烈にアマチュア無線にのめり込んではいないらしい。それでも最近の数年間は国内外のコンテストやローカルのラグチューなど年間平均約2000局以上と交信している。DXCC、全日本一万局讀賣アワード、全市・全郡交信賞などは既に取得しているので、現在はJAIAの主催するJCAアワードに挑んでいるが「18000以上あるサフィックスですが1997年以降の交信のみ有効なので8000くらいからなかなか伸びない。これは一生ものですね」と云う。

JCA(JAIAクラブアワード)はブロンズメンバーである

またJARL主催のニューイヤーQSOパーティーは現在のパーティー型式になった1974年から2005年までの32年間は一年も欠かさずに参加している。「初めは1月2日の一日だけだったので、公私の正月諸行事との関係もあり20局交信するのにも苦労しましたが、今は2日間になったので楽ですね。十二支ステッカーが2組と8枚集まりました。あと4年で3組になるのですが、さてどうなりますか」と冗談を言う。

今後のアマチュア無線について、作間さんは「昔に戻れとはいわないが、趣味である限りあるがままの姿で良い」と言いきる。「DXをやる、ラグチューする、アワードに挑戦する、QSLカードを集める、新技術を研究する。どれも好き好きです。好きな人がそれぞれ好きなことをやればよい。法に違反せず、人を傷つけず、人に迷惑をかけない限り趣味に制約や批判は必要ない。まあ道楽の常で気心の知れた仲間同士が内輪で互いに批評しあったり自慢しあったりするのは楽しいことですが」という意見である。