神戸さんは、後にこの頃のことを「当時、ラジオを受信するということに興味を持ち、絹巻き線(太さ0.25mm)、エナメル線(太さ0.3mm)を友人から譲り受け、それをスパイダー(クモの巣)状の枠に、6、70回巻き、それに300PF程度の可変容量のコンデンサー(バリコン)を並列に結び、その一端を接地し、他端を空中線(アンテナ)に接続し、この並列回路の共振電圧を検波して、イヤホン(ヘッドホン)で聞くという最も簡単な鉱石ラジオで受信することに興味を持ちました」と、ラジオ少年のスタート時を懐古している。小学校高学年の昭和初期の頃の話である。神戸少年はこの鉱石ラジオを作っては壊し、作っては、壊しての作業を100回ほども行ったという。

鉱石ラジオ用のスパイダーコイル(JARL展示室にて撮影)

懐古はさらに続く。「当時の興味はなぜ、鉱石受信機で雷の雑音(ザーザーガリガリ)が聞こえたり、電気回路の開閉(スイッチのオン/オフ)の時発生する火花からの雑音がクリックノイズとして、相当離れた距離でも感応するのかなど、自然の空間にも電気回路の中にも鉱石受信機で感応する音があるということを知りました。また、ラジオ放送が終了する午後11時30分頃から各放送局が自局のコールサインや周波数を放送しているのに気づき、夜中の2時ごろまで各局の終了を受信し、受信メモに作成しておりました。これは私の受信技術を向上させるのに飛躍的な効果がありました。そして、受信した放送局に受信した時間、周波数、最終放送の簡単な内容を送りました。その受信内容が一致している放送局からは受信証というものやお礼の手紙が送られてきました」

神戸少年は「どのようにコイルやバリコンを調節した時、より大きな音声で受信できるかということに腐心しておりました」という。この当時、中波のラジオ放送受信から短波のアマチュア無線へと興味を持った少年が多かったが、神戸少年は技術に強い関心を持ったという。まず、鉱石検波器の研究に取り組んだ。神戸さんは「いつ頃のことかはっきりしない」というが、中学生(旧制)時代には、仲間5人とグループをつくり熱心にラジオの改良に取り組んでいたようだ。

近くのラジオ屋さんの裏に捨てられた鉱石検波器を拾ってきては、自分で針を調節し、最も良く放送が聞ける点を探した。検波作用は二種の異なる金属の接触によって行なわれることを知った神戸少年は、次に針の材質の検証を始めた。木綿針やニッケル、銅線を試してみた。鉄と鉛筆の芯であるカーボンを接触させても検波できることを発見し、雑誌に投稿した。最も優れた検波作用は黄銅鉱などの方鉛鉱であり、これらの金属表面に酸化皮膜が形成されると動作が強化される。自作の検波器は市販品よりも10倍も感度が良い時もあった。この研究はその後、ゲルマニウムやシリコンを使用しても行なわれた。神戸さんは「戦後しばらくたって、ゲルマニウムダイオードやトランジスターダイオードの基礎研究を行なっていたことに気がつき、もっと体系的に進めておいたら良かった」と反省したという。

鉱石検波器の特性は、理論的にはインピーダンスの数値として表示されるようになていたが、神戸さんはその定説も覆した。それまでは順方向、逆方向から測定したインピーダンスの差が大きいほうが良いとされていたが、実際には差が小さくとも酸化皮膜が形成されていることが性能を決めることをつき止めた。また、ヘッドホンも加工した。当時のヘッドホンはマグネットに流れる電流により、鉄製の円板を振動させて音声を再生していた。マグネットと鉄板の距離が短いほど、振動の振幅が大きくなり、音圧が高まり大きな音が出ることになる。振動版の鉄板がマグネットに接触してしまうと振動せず音も出ない。そこで、神戸さんは紙でドーナツ状の型(ワッシャー)を作り、ヘッドホンの内部に挟み込む。紙の枚数を増やして調節できる工夫をした。その工夫も雑誌に発表されたという。

当時使用されたヘッドホン(JARL展示室にて撮影)