[プロ級のビデオ撮影・編集技術]

森さんの部屋には、ビデオデッキ、ビデオ編集機、ビデオモニター、編集済みビデオテープなどがぎっしり並んでいる。機器の多くは業務用であり、時々、地域の人達や、関係者から撮影の依頼がある。森さんとのビデオのかかわりは長い。昭和48年(1973年)にアマチュア無線を使ったSSTV(スロー・スキャン・テレビジョン、静止画画像通信)が許可され、次いでATV(アマチュア・テレビジョン)が始まる。

森さんはこのATVに興味をもち、ビデオカメラを求める。家庭用カラーカメラはなく、白黒カメラも当時は高価だった。そこで、森さんは安価な白黒カメラを買わざるを得なかった。感度が悪く、照明を必要とするほか,ピンとも甘く鮮明な画像を送る事ができなかった。しかも、ATV受信のできる仲間は周辺で10名足らず。それでも「映像の伝送は楽しかった」という。

ATVを体験してから、森さんはビデオの虜になる。最初はアマチュア無線関連のイベントを撮影し、編集して関係者に配っていた。その内に,撮影と編集の腕前が認められて、撮影依頼が増え始める。結婚式、舞踊・音楽の発表会、企業案内など多彩である。さらに、この趣味が新しい仕事につながる。

ある時、仕事仲間のプロダクションから声がかかる。「森さん、写しているばかりでなく写される側になってみませんか」と。映像タレントになったのである。所属は「セントラル・ジャパン」であり、名古屋市の広報誌の表紙や、企業のテレビコマーシャル、ウェアの雑誌広告に登場している。また、3年前には地元のサッカーチーム「名古屋グランパスエイト」の応援ポスターに、ユニフォーム姿でストイコビッチと並んでもいる。「年間15、6件の撮影がある」という。

[2文字コールミーティング]

今年(2003年)2月9日、名古屋駅ターミナルビルの「アソシア名古屋プラスリーエスペラント」で、第9回の「2文字コールミーティング」が開催された。最初からこのミーティングのめんどうをみた森さんは、世話役として会場内を駆け回り、会合を盛り上げた。「2文字」は、コールサインのサフィックスが2桁の局を指すもので、東海の場合は昭和27年(1952年)の9月から、3桁となる昭和33年(1958年)までの6年間の間の免許取得者約600名が該当するといわれている。

平成10年の第7回「2文字コールミーティング」は、発足20周年になった。サフィクスZのグループ記念写真。左が森さん

当然のことながら昭和2桁生まれの人は少なく、大正、昭和1桁生まれの方が多い。このため、森さんが東海地方事務局に勤務を始めて2年目の昭和52年(1977年)に「2文字コール局の高齢化が進んでいる。時には皆で集まり、昔話でもしたらどうか」という話しがもち込まれた。森さんはコールブックを見て、約250名に案内を出した。

第1回はこの年、名古屋市内のガーデンビル内の「頤和園」で開かれ、53名が駆けつけた。その後は3年おきに開かれ、今日に至っている。出席者は50名から70名強。今年のミーティングで配られたパンフレットをみると、亡くなられた方が1割強。欠席された方の伝言を読むと、ご本人からの「体調不良のため欠席します」や、奥様からの「主人は?年?月?日に亡くなりました」という悲しい便りも散見される。

[アマチュア無線の活性化に向けて]

今年の6月2日、名古屋城をすぐ近くに見渡せる「ウェスティンナゴヤキャッスル」ホテルで「電波の日」と「情報通信月間記念」の式典が開かれ、席上で森さんは「東海総合通信局長」表彰を受けた。長年にわたるアマチュア無線の発展に貢献したこと、JARD(日本アマチュア無線振興協会)での活動に対してのものであった。

今年72歳を迎えた森さんのアマチュア無線歴は、45年目の免許再申請の年でもある。その45年間、JARL東海支部の会計幹事、支部長、本部長に就任し、さらに東海地方本部事務局勤務となってからはアマチュア無線一筋の生活を送ってきた。現在では先に触れたJARD養成課程主任執行職員として、また「2文字ミーティング」の世話役として活躍しているが、JARL東海支部の催しでも、さまざまな相談に乗っている。

それだけに、今後のアマチュア無線の動向が気になって仕方が無いという。「いろいろ考えているが、なかなか妙案は見つからない。ただいえることは、時代は変化しており、その時代の流れに乗るようなことを考えなければと思う。趣味の多様化や、少子化の影響を受けている。携帯電話、インターネット普及の影響もある。それは当然であり、必然であるとするならば、これらの傾向に乗るような策を考えたらどうか」という。

「アマチュア無線そのものもやってみれば楽しいことがわかる。また、半田ごてをもって半田付けすることで物を造るおもしろさを知る。アンテナは自作して工夫する楽しさがある。まず、ラジオを造って受信することから始めて欲しいと思うが、その機会が今はあまりない。そういう機会をわれわれが提供しなければ」と強調する。

森さんはしばしば原・JARL会長と間違われる。平成3年の'91ARDF朝霧高原大会で。右が原会長