[60年のアマチュア歴] 

「NJDXAのメンバーのなかに、私が知り合った1980年当時”アマチュア歴60年”という方がおりました」と、荒川さんは驚く。「初の大西洋横断無線通信に成功した一人」と聞き、さらにびっくりしてしまう。W2LV(ex. 2CQZ, W2CQZ)、ボブさんである。60年を振りかえると1920年、日本では大正9年に当たるが、この年にボブさんはハムになったらしい。

NJDXAの月例会。紙袋に1人が仕分けして配布する分担責任のカードが入っている。

このころの米国のアマチュア無線の姿を紹介している一つに、元朝日新聞社の記者であった小林幸雄さんが、JARLの依頼でまとめた「日本アマチュア無線史」がある。それによると1912年、米国政府は「アマチュア無線取締法」を制定して、アマチュア局は波長200m以下、電力は1kW以下に制限した。もちろん、免許制度のない時代であるが、アマチュア局は600局ほどあったという。

[大西洋横断交信] 

1914年、世界のアマチュア無線関係者で名が知られているマキシム(W1AW)さんがARRLを立ち上げる。1921年、ARRLは欧州大陸に会員を派遣して、米国からの電波受信の実験を行っている。実験は成功し、次いで翌年には波長130m、110mで相次いでの大西洋横断交信が出来ている。

ボブさんはこの時代にアマチュア無線の世界に飛び込んだ。皆が大西洋を超えて電波を届けることに夢中になっている時代であり、それに挑戦したことになる。ちなみに、日本にJARLが生まれたのは大正15年(1926年)であり、個人で最初の短波を飛ばしたのは誰かとなると、はっきりしないが大正13、4年には手がけていた先覚者がいた。

日本在住時には当然であるが、荒川さんのアマチュア無線の行動は海外でも休む日がないほど目まぐるしい。それを追いかけるのに苦労するが、幸い当時の日本で発行されていた無線雑誌が役に立つ。荒川さんは東南アジア駐在時代と同じように、米国からも日本のアマチュア無線雑誌などに現地の情報を熱心に送っている。この連載を書くに当たってもご本人の記憶を補ってくれる。

[4U1UNで運用] 

4U1UNといえば多くのハムに知られたニューヨークの国連本部ビル40階にあるクラブ局である。実は、あの国連ビルの中には職員のためのクラブがいくつかあり、柔道部や空手部もあるという。アマチュア無線クラブもその一つであり、基本的にはメンバーのみしか運用できない規則になっている。

ところが、荒川さんはこの年の11月22日の夜に約3時間、21MHzのSSBで運用した。国連本部勤務の当時のクラブ局会長であるマックス(HB9RS)さんの好意で実現できたものであるが、荒川さんは「急に決まった話であり、事前にJAの皆さんには連絡できなかった」と、恐縮しているがそれでもJANETのメンバーが周知の労をとってくれた。

国連クラブ局4U1UNで運用する荒川さん

4U1UNのカード

「最初、数回のCQには応答がないためJAとのコンディションが悪いのかと思った。ほどなくして稲毛章(JA5MG)さんからのコールがあり、その後はパイルアップとなった」と当時を語る。「時間が限られていたために呼んでくださった方すべてと交信できず申し訳なかった」と荒川さんは気に病んでいる。

荒川さんは不思議な人である。2週間後に再び4U1UNの狭いクラブ室から電波を出す機会に恵まれている。この時は「JANETのメンバー2人を誘い、3人でJA局にサービスできた」とほっとしている。なお、この時、荒川さんは「同クラブのメンバーは約20名であり、日本人はいない」ことを聞かされている。

[デイトン&CES] 

デイトンと言えば世界最大のアマチュア無線の祭典「デイトンハムベンション」が毎年開かれることで知られている。デイトンはオハイオ州にあって、比較的交通の便が良いことから、航空機ショーなど、他のイベントも開かれる場所であり、6月に開かれるハムベンションには日本からも多くのハムが出かけている。

荒川さんも滞米中に何度かJANETのメンバーと出かけ、日本から来たハムに会ったり、膨大な出展物をみて回ったりして楽しんでいる。もうひとつ荒川さんが良く出かけたのがインターナショナルCESと呼ばれているコンス―マー・エレクトロニクスショーである。名称の通り、家庭用のAV商品の展示会であり、この種のものでは世界最大のショーである。

当時アマチュア歴60年のボブさん

同ショーの最初の目的は販売業者向けのメーカーの商談ショーであったが、世界のエレクトロニクスメーカーが競って最新製品を出品するようになってからは、世界中から業界関係者が集るようになった。荒川さんはAV商品の修理サービスが仕事であり、できる限り参加した。現在CESは1月初めにネバダ州のラスベガスで開催されているが、かつては冬にラスベガス、夏にシカゴの年2回開催されていた。

荒川さんは各社のAV商品の状況をみて回るのはもちろん、集ったハムとの出会いも楽しみにしていた。電機メーカー、とりわけAV部門で仕事をするハムは世界各国ともに多い。CESのために日本から出張してきたハムも何人もおり、会場で旧交を暖めることも多かった。