[ARRL全国大会] 

1981年の3月、フロリダ州のオーランドで開かれたARRLの全国大会に、荒川さんは洋子夫人と出席した。「近くにあるディズニーワールドはちょっと覗く時間しかなく、人工衛星打ち上げ基地のケープカナベラル見学も時間が取れなくて残念だった」が、全国大会のイベントはたっぷりと楽しんだようだ。

ヒースキットのリニアアンプを組立ててている荒川さん

大会ではDXミーティングやバンケット(ディナー)にも参加したが「バンケットは事前予約制で多くの人がチケットを入手できなかったようだ」と言う。予約していた荒川夫妻は歓談とショーを楽しんでいたが「ステージからダンサーがパートナーを探しに降りてきて、私はステージに引っ張り上げられた。仕方なくフラダンスを見よう見真似で踊った」荒川さんは翌朝「多くの人から冷やかされた」と苦笑い。

[ヒースキット] 

自宅にアンテナを建て終えた荒川さんがリニアアンプのキットを組み立てたことは先に触れたが、組みたてたのは実際にはアンテナが建ってから約半年がたっていた。近くにあったヒースキットの専門店でSB―201を420ドルで購入したものの「しばらく後に10%の割引券付きのカタログが送られてきた。何だか損をした気分」とがっかりしている。

キットの梱包を開けて見ると「完全にばらばらな部品が入っていて、スクリューやワッシャーを含めるとその数は560個。組立て終るまで3日間かかってしまった」と言う。しかし「マニュアルは図解で分りやすく親切」と感心している。組立ての結果については「15mと20mでは良く働いてくれる」と評価。

DXCC50周年の記念アワードをと荒川さん

[盗難] 

荒川さんは米国の物流事情について、この時のことを日本の雑誌にレポートしている。ヒースキットはトランスだけが別に梱包されていたが「他のパーツと一緒に梱包されていると、乱暴に扱う荷扱いのために他のパーツがトランスに押しつぶされてしまうため。また、パッキンケースには小さい記号が捺印されているだけ。商品名が記載されていると、途中で抜き取られてしまうためでしょう」と紹介している。

事実、荒川さんは買ったばかりのスーツを車のトランクから盗まれたことがあった。レストランで食事中の出来事である。それを聞いたハム仲間には「コールサインを車のナンバーにしているからだ。中に無線機が入っていると思われたからだろう」と慰めとともに、車のナンバーが悪いともいわれたりしたらしい。

[ANGクラブ局] 

荒川さんの滞米時代は、今から想像するとアマチュア無線の最盛期であったいえる。「春になると各地でフリーマーケットが盛んに開かれた」とレポートしている。時間ができると荒川さんは出かけた。1981年の4月にニュージャージーで開かれた「BARA」のフリーマーケットには、ANG(陸軍州兵部隊)のクラブ局が公開されており、好奇心をもって詳細を紹介している。

ANGクラブ局(WB2JIU)はアマチュアバンドのほか、軍用周波数でも運用でき、無線室を積んだトラックとガソリンエンジン発電機を積んだトレーラーからなり、主にRTTYを中心に運用していた。荒川さんは名前とコールサインをタイプした訪問記念シートをもらっている。ANGは設備が古くなったので更新する計画であり、現有設備を売る計画でもあった。「フリーマーケット最大の売り物」と荒川さんはびっくりしている。

[リニアアンプ改造] 

この年の6月に荒川さんは組み立てたリニアアンプの改造に取りかかる。最初のキットでは10mが使えなかったからである。仲間のハムから改造部品キットの入手方法の教えを受けて注文する。たかが改造キットでありながら、その購入の手続きが面倒なのはCBバンドで悪用されるのを防ぐためであった。「FCCのライセンスをコピーしてアマチュア無線用に使うことを証明した上で、3回に分けて部品を受け取った」と言う。

送られてきたのはバンド切り替え用のロータリースイッチ、入力側同調コイル2個、コンデンサー7個で送料を含めて28ドル44。全面パネルを取り外し終段のタンクコイルまで外して作業するため4時間もかかっている。「ハムにとっては余分な出費となるが、完成後は10mも良く働き満足した」らしい。

[DXCC仲間入り] 

荒川さんはアワードにはあまり関心を持っていなかった。それでも米国に滞在して3年目にN2ATTのコールで100エンティティを達成して「DXCC」の仲間入りを果たす。「そのうち日本人の運用によるものが12枚も入っていた」と言う。また、米国での運用による「DXCC」についてはレポートでその違いを報告している。

「米国でのDXCCでは、日本からは比較的難しいカリブ海や大西洋、西アフリカあたりが多く含まれ、アジア、太平洋地域が少ない。日本で最初に集められる100エンティティとはだいぶ違う」と、当然と言えば当然ではあるが地域による交信地域の差を指摘している。後に取得したDXCC 50周年の記念アワードは、1987年中に100エンティとQSOしたリグを提出するだけで、QSLカードによるコンファームが必要なかったため、約半年で完成したが、ローカルのクラブ(BARA)では10数人のメンバーが取得していた。

JANETメンバーの吉川哲郎さんはヒースキットに勤務していた