品質管理の話しが長くなったが、荒川さんはシャープにとって必要な米国の品質管理情報を盛んに日本にもレポートしている。ついでに触れておくとASQCは後に名称をASQに変えた。また、日本にはJSQCの組織があり、荒川さんは米国から帰国するとこの組織にも属した。現在、荒川さんは一貫して学んできた品質管理理論を非常勤講師として関西地区の大学で教えている。

[秘密クラブ会員] 

1982年10月、ARRLのハドソン支部のコンベンションがニュージャージー州のマックアフィ-で開かれた。コンベンションは2年に1度開かれており、4年前と同じ会場だった「その時、初めてFCCの試験を受けた場所であり、私にとっては思い出の場所だった」と4年前を思い出している。 講演やバンケットの後、荒川さんは「WOUFF HONG(ウッフン)」クラブの入会式に参加する。ウッフンは責め具の「爪剥がし」のことで、ハムのマナー違反を警告するためにARRLがユーモア心で集りの会場に持ちこんだのが始まりらしい。入会式はARRLが主催するコンベンションの真夜中に開かれることになっている。

ただし、コンベンションでは常に開かれるとは限らず「それにめぐり合うチャンスはめったにない」と荒川さんは聞かされていた。「神秘的な儀式の後に、会員であることを証明する独特の握手の仕方と、合言葉が教えられた」が、会員以外に公表できないため「その証明の仕方は教えることが出来ない」と荒川さんは言う。

[ライシャワー博士訪問] 

荒川さんは滞米中にさまざまな人と会っている。アマチュア無線を通じて、仕事を通じてや他の趣味を通してである。日本でも良く知られているE・O・ライシャワー博士の自宅を訪ねたのは「ウッフン」クラブの会員になったころである。ライシャワー博士は日本大使の職を終えた後、ハーバート大学教授となって米国に帰国していた。

ARRLの「ウッフン」クラブの会員証

自宅ではシャープのVTRを使っていたが、ある日荒川さんは「そのVTRが故障したとの連絡をどういうわけか、本社の佐々木正副社長から受けた」と言う。現地の技術者とともに荒川さんはライシャワー博士の自宅に行き、無事修理を終えている。ちなみにライシャワー博士は日本でキリスト教宣教師として滞在していたA・K・ライシャワー博士夫妻の間に1910年に東京で生まれ、米国で大学生活を終え、1956年に松方正義公爵の孫であるハルさんと再婚。

流暢な日本語をしゃべるだけでなく、日本を含む東アジアの歴史、政治に詳しく何冊かの著書もある。ケネディー大統領の指名で1961年から1965年まで日本大使となり、ハル夫人とともに日米の友好的な関係づくりに大きな貢献をした。父親のA・K・ライシャワー博士は日本の障害者のための学校を設立したり、東京女子大の基礎づくりに協力したことでも知られている。

荒川(左)さんはライシャワー博士を訪問した

[目まぐるしい活動] 

多くのクラブや協会に加入した結果、荒川さんはますます多忙である。10月にはNJDXA25周年記念コンテストに参加し、1時間余りで25局交信しアワードを受ける。「よくミーティングに出かけるので、メンバーが特別にサービスしてくれたようです」と荒川さんは謙遜している。

11月にはRCAのバンケットへの出席、国連クラブでの運用の後、マックスさんのアパートに招待され夕食を振舞われる。「日本人ハム3名のほか、ドイツ、ルーマニア。ハンガリーのハムと国際色豊かなディナーとなった」と言う。12月にはBARAディナーパーティ、NJDXAの月例ミーティング。さらに、家族、友人関係のパーテイなど「クリスマスから正月にかけて多忙」と、雑誌に報告している。

BARAのクリスマスディナー。後ろ中央が荒川さん

1983年は「世界コミュニケーション年」に合わせて、世界各国でさまざまな催しが行われた。日本では政府に「世界コミュニケーション年推進本部」が設けられ、民間では「世界コミュニケーション年国内委員会」が置かれ、JARLの原会長が委員の一人となり、その年の9月に東京で「世界アマチュア無線国際会議」が開かれた。

米国では1月28日に国連が記念切手を発行し、海外他国でもイベントの開催や切手の発行が相次ぎそうな気配。チリでは「チリラジオクラブ」60周年の切手が発行され「スリランカ、コロンビアでもアマチュア無線の切手が発行される情報があり、通信関係の切手コレクターには忙しい年になりそうだ」と荒川さんは予告している。実は多彩な荒川さんは切手コレクターでもあり、この趣味についても後に触れる。

[カレッジでの講習会] 

このころ、BARAが主催した「ハム講習会」を見学している。3月から近くのバーゲンコミュニティカレッジで公開講座の形で開かれていると聞き、荒川さんは出かけた。日本の「養成課程講習会」とは異なり、別に行われる国家資格取得のために開かれるもので、毎週水曜日の8時から2時間開催され、講習期間は11週間。

ハムが講師となり、前半が理論と法規、後半が電信の講義で荒川さんが見学した時には女性を含む23名の受講者があった。「カレッジで正式な講座として開かれているのはこのBARA主催のものぐらいではないか」と荒川さんは推測している。また、米国ではカレッジが地域の教育の場として活用されている一端を荒川さんは知らされた。