[RCAのフェローに] 

この年の夏、荒川さんはRCAの会長から「RCAのフェロー(特別会員)メンバーに選出されました」と連絡を受ける。RCAについては先に紹介しているが、荒川さんは「米国で最も古いアマチュア無線クラブであり、ということは世界で最も古いクラブであろう」と言う。

RCAのバンケットでフェローメンバーの盾を受け取る荒川さん

RCAは、毎年その年の電気通信界に貢献した人を20名前後選んで「フェロー」のステータスをあたえている。毎年,ハムも何人か選ばれており、前年にはARRLの会長で亡くなったビックさんも選ばれた。荒川さんは「多分、RCAの役員をしている何人かが私を推薦してくれたのだろう」と推定している。

[RSGB(英国無線協会)訪問] 

夏のバケーションには、荒川夫妻はロンドンで過ごしている。昨年は欧州大陸側の6カ国を旅したが、この時はロンドンを中心に8日間のゆったりした旅行だった。そのゆったりした旅でも荒川さんはアマチュア無線から離れられない。ロンドンの北約20マイル離れた小さな町にあるRSGBを訪問。「会員は」36000人、本部には22人が働いていた。

訪問サイン帳をめくると「1年前にJARLの原会長、1カ月前にシンガポールでお世話になったジョさんが訪ねている」ことがわかった。ビンティージ・ワイヤレス・ミュージアム(年代無線博物館)、サイエンス・ミュージアム(科学博物館)を見学したが「無線博物館は個人のコレクションであるが、ヨーロッパの初期のラジオやテレビジョンを集めており、これ以上のコレクションは他には無いのでは」と荒川さんは感激している。

博物館でもマルコーニの無線機などを見学。また、バーミンガムでは10年ほど前に東京で会ったハムを訪ねてもいる。荒川さんは米国に戻ってから、米国の免許証を使って英国の免許を申請したところ1年間の許可が下りた。「早く日本との間に相互運用協定が結ばれて欲しかった」と荒川さんは当時の思いを語る。

[マルコーニの娘] 

米国でも英国でもマルコーニの作った無線機を見たが、荒川さんは9月末にマルコーニの娘、ジオイア・マルコーニ・ブラガさんに会っている。27日から30日までニューヨーク州カナンディグアで開かれたAWAのナショナルコンファレンスにジオイアさんがゲストとして招かれると聞いて出かけている。予定した飛行機が欠航したため、他の飛行場まで飛び、バスに乗り継いで遅れて現地に着いた。

AWAのナショナルコンフェレンスで講演するマルコーニの娘ジオイアさん

大幅に遅れたため「ほとんどのプログラムは終わり、フリーマーケットも店じまいしている状態だったが、バンケットには間に合った」荒川さんはジオイアさんに会い、また講演も聞くことが出来た。講演内容は「父マルコーニの思いで」であり、荒川さんは「コンファレンスには間に合わなかったが彼女に会えたことで諦めがついた」と言う。

10月末から11月初めの約10日間、日本に一時帰国した荒川さんであるが「仕事のスケジュールが一杯で奈良のTS-1のミーティングへの参加、奈良、大阪のOBと会っただけだった」らしい。米国に戻った後、11月9日にはニュージャージーで開かれた「ラジオエキスポ84(ハムフェスト)」に出かけた。

会場ではボランティアによりノビスからエキストラクラスまでのアマチュア無線の試験が行われ、講演などがあったが、荒川さんはアマチュア無線衛星での通信を始めようと、70cmと2mのクロス八木アンテナを購入した。11月16日にはマンハッタンで開かれたRCAの年次バンケットに出席し、連絡を受けていた「フェローメンバー」の盾を授与されている。

クロス八木アンテナを庭にセット、AO-10経由でJAとも交信した

[バミューダ再訪] 

年末・年始は4日間の予定で再びバミューダ島を訪ねている。日系会社が扱ったツアーで出かけたこともあって「4年前にはひとりの日本人にも出会わなかったが、今回はバミューダも日本人にポピュラーになったものだ」と荒川さんはその変化に驚いている。「雪のニューヨークから飛行機でわずか2時間で常夏の島」と荒川さんは形容するが、目的はアマチュア無線。

事前に電波監理局に免許の申請を出すとともに、現地のハムにシャックの借用を依頼する手紙を書いており、計画通りアマチュア無線中心の訪問となった。持参した2mハンディ機を使いRCB(バミューダ無線クラブ)のレピーターを経由して現地のハムと交信。

その後、トム(VP9IB)さんのシャックから7MHz、3.8MHzで、さらにコーリン(VP9C)さんのシャックから14MHzで挑戦したものの「時間帯が悪くJAとは交信できなかった」という。その代わり「米国でも3.8MHzは珍しいらしくパイルになった」と語っている。

[免許更新] 

1985年の初め、荒川さんは日米の免許がそれぞれ期限切れとなるため、更新申請をしている。同時に2つの申請をして「米国のものがいかにシンプルで合理的であるかをしみじみと感じた」と言う。「その違いの大きな原因は包括免許か、どうかであり、日本はあまりにも形式にとらわれすぎ」と批判している。

日本の雑誌へのレポートでは日米の「再免許申請」の違いを表にしているが、確かに大きな違いがある。比較は日本の場合は100W固定局、一方の米国は従事者免許の申請も兼ねている。日本では手数料3,000円(米国無料)書類枚数4枚(米国1枚)記入個所64個所(米国12個所)免許期間5年(米国10年)の差がある。

日本では返信用封筒を添付する必要があるが、米国では旧免許状またはそのコピーを添えれば良い。荒川さんは「日本の申請書作成に2時間を要し、米国のは10分で済んだ」と言う。