[英語教育にモールス符号活用] 

11月21日にRCA恒例のセミナーがマンハッタンのアスレチッククラブで開かれ、マンハッタンのジュニアハイスクールの先生でハムのジョイ(WA2JKJ)が、英語教育の話しをしてくれた。そのハイスクールには英語の話せない移民の生徒が多く、どのようにコミュニケーションを図り、学校に興味を持たせるかが大きな課題だったという。

そこで、ジョイは生徒にモールス符号を覚えさせ、アマチュア無線を通して人と話しをする楽しさを教え、英語の教育に成功した。その事例はテレビ局でも取り上げられ見学者も多く、当時のレーガン大統領からも感謝の手紙が届いた、と言う。セミナー後のバンケット席上、RCAはジョイさんに特別賞を贈ったが、荒川さんも「非常にいい話しで、感動した」という。

[JARL視察団] 

1987年の冬は積雪の多い年になったらしいが、1月には日本からJARL調査団が米国にやってきた。米国のフォーンパッチの状況視察が目的であった。アマチュア無線と公衆電話回線とを接続するフォーンパッチはすでに米国で認められて久しく、日本国内でもその認可を要望する声が高まっていた。米国では海外居住の軍人が多いが、その家族との情報交換にフォーンパッチが活用されていた。

JARL調査団は当時の常任理事であった有坂芳雄(JA1HQG)さんが団長となり、郵政省の職員も加わっていた。一行はJANETのメンバーに会いたいという希望をもっていたため、1月31日に荒川さん宅での情報交換が行われた。JANETメンバーもフォーンパッチの状況を提供するなど調査に協力している。

調査団は米国とカナダを15日間かけて歩き、つぶさにフォーンパッチの現状を調べて、帰国後に調査報告書を作り上げている。しかし、日本で郵政省がフォーンパッチの認可をしたのはそれから10年以上もたった平成10年(1998年)5月20日であった。

N2ATTのシャックに集まったJARL視察団一行とJANETメンバー。

[マーチ・オブ・ダイモ] 

米国ではさまざまなイベントがある。健康増進とチャリティを兼ねた「マーチ・オブ・ダイモ」とか「ウォーク・アメリカ」と呼ばれる行事が各地で行われており、荒川さんの住むニュージャージーでは4月26日にあった。最長30kmを歩き、途中のいくつもあるコインボックスに10㌣程度のお金を入れていくという催し。歩いた距離に応じて募金することになる。

集ったお金は体の不自由な人への拠金となる。当日、ジャイアンツスタジアムに集った参加者は約2,000名。「車椅子の人も、企業のユニフォームで揃えた団体もいる。さまざまな団体が協力しており、通過者のために冷たい水、クッキー、ジュースを配っていた。競争ではないが走り出す人もおり、皆楽しそうだった」と荒川さん。

荒川さんらBARAのメンバー10名は5カ所のチェックポイントに分散して配置についた。任務は通信連絡業務に加えて、通過証明印を押すことだった。「迷子の連絡、怪我人のために救急車を手配するなど、メンバーは大活躍した」らしい。通信は2mのハンディ機を使い、レピーター経由で行われた。

[DXCCアワード50周年] 

6月、DXCCアワード50周年を記念した「ゴールデン ジュビリィ オブ DXCCアワード」に挑戦していた荒川さんは、100エンティティを達成「14MHz、SSBのみでの完成だったが、このアワードには特記はなかった」と言う。アワードは8月19日付けで荒川さんの所に届く。「多色刷りのFBなもの」と荒川さんは感激している。

この年87年も荒川さんは多忙な生活を送っている。多くの所属クラブのミーティング、フィールドディ、ピクニックへの参加、仲間のハムのシャックを訪ねたり、個人的なミーテイング、日本からの来客の応対など多彩な行動であるが、いちいち触れない。

DXCCアワード50周年記念のゴールデン・ジュビリー・アワードを手に荒川さん。

[2つの島で] 

荒川さんは9月5日から11日までカナダのプリンスエドワード島、フランス領のサンピエール島に出かけている。このDXペディションには奥さんと秦登喜男(N2GKL/JG2DHV)さんが同行した。荒川さんはすでにカナダからは米国のコールサインで運用しているため、今回は相互運用協定を利用しJAのコールサインで挑戦することを計画。3週間程度で運用許可書が届き、コールサインはJA3AER/VE1となった。

ところがノバスコシア州のハリファックスやプリンスエドワード島のチャロッテタウンでは、ホテルの部屋にアンテナを張り呼びかけたものの、JAのコールでは米国ケンタッキーのハムとの交信のみに終わっている。プリンスエドワードでは「赤毛のアン」で知られているグリーンゲーブルハウスを訪ねたりしている。

グリーンゲーブルハウス前で荒川さん夫妻。

ホテルノFP/N2ATTのシャックに訪ねて来てくれたローカルのハム達と。

サンピエール島ではFP/N2ATTで運用した。秦さんはゲストオペとして運用したが、荒川さんは「日本人がこの島で交信したのはこれが最初ではないか」と推測している。9日から11日までの間にJA局約50局を含む約350局と交信。また、同島でペーター(FP5DF)さんやヘンリー(FP5HL)さんとも会っている。