[サウジアラビア] 

翌平成2年(1990年)2月、荒川さんは中近東に出張する。初めての中近東であり、まずサウジアラビアのジェッダに向う。深夜に空港に着くがアームド(HZ1FM)さんの出迎えを受ける。通信機の修理業を仕事にしている彼の設備は仕事場の片隅に無線機を置いただけの簡素なもの。荒川さんはそこで1FM局の免許人はこの国の王子のひとりであるプリンス・ファイサルであること、アームドはセカンドオペレーターであることを知らされる。

「それを知らなかったため、拝啓・ファイサルと書き出して、ジェッダに行くので会いたいと手紙を出してしまった」と恐縮している。アームドさんは14.250MHzの「アラビアンNET」にチェックインし、ゲストオペレーターとして荒川さんを紹介、あいさつをさせてくれた。ジェッダにはもうひとりハムがおり、アームドさんはもう一人の同姓のアームド(HZ1HZ)さんを訪ねようと、電話してくれたが急な話のため都合がつかない。

そのもうひとりのアームドさんは日本のかつての郵政省に相当する組織に勤め、定年になったハム。荒川さんが翌日電話すると「明日ではどうか」と言う。荒川さんは丁重に「明朝、ドバイに向けて発つので今日会えないか」と話すと「では今夜8時にホテルに迎えに行く」ということになった。荒川さんは「人との出会いは千載一遇のチャンスを捕まえること。とくに遠い国で人と会う時は一期一会の気持ち。2度と会えないと思わなければ」と人との巡り合いの心構えを語っている。

迎えに来た運転手に連れられていった先は高級住宅地域にある大きな屋敷。案内された広い部屋には立派なオペレーションデスクがあり、数多くの無線機が並んでいた。CWのDXコンテストらしかったため、荒川さんが「見ているから続けてくれ」というと「小休止する」と荒川さんと話ながら、音量を絞って聞き耳を立て、珍しい局が出るとキーを叩く。「見事な腕前に感心した」と言う。

A61AC局をゲストオペした時のQSLカード

HS0FH局をゲストオペした時のQSLカード

[アラブ首長国連邦] 

サウジアラビアのドバイでは、サウジアラビアで紹介されたDrハムダム(A61AC)さんに電話するが不在。夫人に要件を伝えておいたが翌日も連絡が取れず「もう会うのは難しいだろう」とあきらめていた3日目の夕方、ようやく連絡ができた。「明日、昼食に招待したい」と言われたが、その日の夕方「仕事の帰り」とホテルに寄ってくれた。荒川さんがシャープのロゴ入りの名刺を渡すと「私はシャープのディーラーをしている」と驚き、「今から行こう」と自宅に案内してくれた。

ハムダムさんの自宅には、偶然にもクラウド(ON7TK)さんがDXペディションのため訪問しており、皆で夕食を食べた後荒川さんは勧められるままにゲスト運用。「わずか10分足らずではあったがJA5局と交信できた」と言う。帰国日の翌日、現地駐在の植松(JA3SBX)さん、吉尾(JA4HJK)さんとともに再び訪問して、マイクを借りてJA局を呼び出す。「1時間余りで84局と交信できた」と言う。

[バンクーバー] 

8月、荒川さん夫妻は、バンクーバー近郊で開かれるJANETのミーティングに参加するため、大阪初の一般ツアーに加わり、1日早めに現地入りした。バンクーバー行きの機中で同行の奥村さん夫妻と雑談していると、奥村さんはJH3HFZのコールをもつハムであることがわかった。途中シアトル空港での乗り換え時に「144MHzのトランシーバーを取り出したが、レピーターの周波数が異なり、それならばと地元の半田(KE7GL)さんにシンプレックスの相手になってもらおうと電話したものの不在。米国での交信をあきらめた」と言う。

バンクーバーに到着した翌日早朝に、地元の笹冶(VE7ASJ)さんが荒川さんのホテルまで訪ねてきた。すぐに笹冶さんのシャックに行きシャックを借りて運用。あらかじめカナダでの運用は相互運用協定による許可を得ていたためJA3AER/VE7で交信。約10局と交信できたが「そのなかにはJANETメンバーの柴田(VS6AK)さんの香港からのコールも含まれていた」と言う。

20数年前に荒川さんが香港で知り合ったジョン(VE7JIexCR9AH)さんがカナダに移民してバンクーバーに住んでいることを聞いていたので、再会したいと考えていたが、笹冶さんの話では体を悪くして入院中とのこと。笹冶さんの案内で見舞いに出かけている。「今回の相互運用協定もジョンさんの住所を利用させてもらっており、どうしても御礼を言いたかった」からである。

VS6AK局をゲストオペした時のQSLカード

香港在住のVS6AK柴田さん(右側)のシャックを訪問した時。左荒川さんdqsg

[JANET10周年] 

その日の夕方からホテルにはJANETのメンバーが続々と集って来た。今回のJANETのミーティングは、バンクーバーの郊外リッチモンド市で開かれ、クラブの発足10周年を記念したミーティングである。同クラブは荒川さんが米国に出向していた1979年12月にニューヨークで発足。10周年のイベントは日本からも米国からも集りやすいバンクーバーで、しかも出席しやすい8月のお盆休みに設定された。参加したのは19名、家族を含めると40名を超えた。

「久しぶりに会う仲間に皆が盛り上がった」と荒川さん。ミーティング2日目はホテルの会議室で思い出話が語られ、活動に貢献したメンバーに感謝の盾が贈呈され、新アワードの説明が行われた。また、南極の珍しい写真、アイダホのローカル風景などがスライドで紹介されるなど「プログラムが多くて昼食の時間が無くなるほどだった」と言う。3日目は朝食後「再開を約してそれぞれ仕事に、観光に、また、帰国の空港にと別れを惜しんだ」と荒川さんも寂しそうだ。

[バンコク] 

9月にはバンコクに出張中にマユリーさんのシャツクを訪ねて交信している。マユリーさんのご主人カムチャイ(HS1WR)さんは1982年に亡くなっているが、荒川さんは家族とも何度も会っている間柄。シャックにはユニセフクラブが寄贈された無線機とアンテナがあり、それを借りてHS0Fのコールサインで交信。2時間余りでJA局87局と交信している。