[CW受験] 

1月末、荒川さんはポゥイズ郡のニュータウンでRSGBが主催する電信の試験を受ける。「日頃は電話でしか運用していないため、1カ月以上前から猛練習した。リバプールのエディ(G3AV1)さんが144MHzで週4回送ってくれるCWを聞いての訓練だった」と言う。試験は地元の年輩のハム3名が委託を受けて実施していた。

受験者は5名。受信は2人同時に、送信はひとりずつ。「試験官は皆親切であり、何とか全員合格させたいと努めている様子が伺えた」と荒川さん。結果は合格。「現在Aクラスの免許を申請中であり、4月中にはGW0RTAのコールサインがもらえそう」と報告している。

4月の初めにはドイツに行きJAIGが年1回開くミーティングに出席。中旬にはスペインのマドリッドに行き、URE(スペインアマチュア無線連盟)事務所を訪問している。その合間にも地元のWARSや隣り町のクラブに顔を出し、さらにせっかく選んだ住居を替え、デーサイドのハワーデンに移転するなど相変わらず”猛烈な”生活ぶりである。

[ビンテージ] 

5月、6月も荒川さんは慌ただしくあちこちを訪ねまわっているが、訪問先にビンテージ関係が増えている。ビンテージは日本語に訳すと「骨董品」ともいうべきもので、荒川さんは米国に滞在中のある時期から興味をもち、集め出していた。5月初めにはバーミンガムでのナショナル・ビンテージ・コミュニケーションフェアに出かけ、6月中旬には、BVWS主催のガーデンパーティに招かれて出席している。

会場はBVWSラジオミュージアムで、ミュージアムはジェラルド・ウェルスさんの自宅であり、荒川さんそれまでにも訪問している。今年も特別クラブ局GB2AGが運用されていたが、ビンテージコレクションについては「ヨーロッパのラジオのコレクションではこれほどの規模のものはないだろう」と感激している。

BVWSラジオミュージアムでGB2AGを運用するメンバー達。(左から2人目荒川さん)

BVWSラジオミュージアムにてオーナーのジェラルド・ウエルスさん(右)と

[ナショナルトラストとハム] 

9月の2日間、WARSはレクサムにあるナショナルトラストの管理するアーディグで公開移動運用を行っている。ナショナルトラストは自然や城などの歴史的な建物などを一般に公開しながら保存に努めている組織。この日は全国のナショナルトラストが管理している場所からそれぞれの地元のクラブ局が公開運用する日であった。

WARSも特別なコールサインGC4WXMでHF、VHF、パケット通信を運用してPRした。荒川さんは「アマチュア無線がさまざまな形で社会に溶け込んでいることに感心した」と言う。ちなみに荒川さんも会費を払ってナショナルトラストのメンバーとなった。「もっとも」と荒川さんは言う。「ナショナルトラストの施設の入場が無料になるからだった」と。

[IOTA] 

9月には荒川さんはロンドン郊外にあるRSGBを訪ね、新任のゼネラルマネージャーに会ったり、RSGBとIOTA(アイランズ・オン・ジ・エア)のコンベンションに参加したりしている。IOTAは40年以上も前に英国で生まれたもので、世界の無数の島々との交信で得られるアワードのことである。現在はRSGBのIOTA委員会が取り扱っている。

IOTAはコンテストを実施し、また、DXペディションの支援を行うなどの活動をしているが、9月のコンベンションには欧州各国、米国、日本などから約200人が集まった。RSGB会長も「これほど多くのDXerが英国に集ったのは初めて」と感嘆したが、荒川さんにとっては久しぶりに世界のハム友達に会えたことが「最大の収穫だった」と言う。

[マルタ島で迎えた正月] 

10月にはビンテージのオークションに出かけ、さらに南ウエールズのコンテストクラブのゲストオペレーターとして活動し、11月にかけてもフリーマーケットを見に行っている。英国4年目の1993年の正月はマルタ島で過ごす。マルタは当時CEPTに入っていなかったため、荒川さんは前もって申請し、9H3TAのコールサインで現地ハムのシャックを借りて運用。

しかし、JAとの交信ができず、欧州の局との交信に終わっている。マルタには2つのハムクラブがあり、その一つのクラブARECのパーティに参加し、もう一つのMARLは事務所を訪ねた。「MARLの事務所ではひとりの生徒に2人の先生がついて理論を教えていた。アマチュア無線の制度や試験は英国と同様」と荒川さんは報告している。

マルタ島の9H1PAフィリップさんのシャックにてフィリップさんのご家族

ビンテージ・コミュニケーション・フェアの会場

[アンテナ建設] 

荒川さんはハワーデンの新しい家にアンテナマストを建設する許可申請を前年の12月に行っていた。それが2月になって条件付で許可になった。条件は(1)法律を守り申請以上の工事をしない(2)5年以内に工事に着手(3)使用する時のみクランクアップすることであった。

荒川さんはそれまで暇を見つけては穴を掘り、コンクリートでベースを作っていたが「アンテナとローテーターを乗せたマストはさすがに重く、近くのハムに手伝ってもらってようやく上げることができた」と言う。アンテナは米国で買い日本で使っていた3エレ八木であったが、最初の交信はバングラディシュであり、荒川さんは「気をよくした」と喜んでいる。