[マルコーニのワイト島] 

荒川さんは地元のレクサムアマチュア無線クラブの会員として活動しているが、もう一つのクラブ「マーフォード&ディストリクトアマチュア無線クラブ」が1996年2月末に新設され、荒川さんは入会。「レクサムクラブの活動が実戦的でないことや初心者向けの活動がないことから、物足りなさを感じていたメンバーがつくったものであるが、双方に加入している人も少なくない」と言う。

3月にはチェスターで開かれたIEE主催の行事、4月にはこれまで何度も参加しているTDOTAの特別イベント局を支援。5月末から6月初めにかけてイングランドのワイト島でQRV。この島はマルコーニの無線局のあった所であるが、記念碑を残して遊園地に変わっており「当時を偲べない。代わりに島の中央部に地元のハム仲間が管理する無線博物館があった」と言う。

ワイト島のニードル近くの遊園地内にあるマルコーニの記念碑。ここにマルコーニの無線局があって大西洋を隔てた米国と無線通信が行われていた

4月、荒川さん夫妻にとって悲しい出来事があった。奈良に住んでいた母親の死であった。数年前にわずらい「寝たきり」の状態であったが、ついに帰らぬ人となった。82歳だった。荒川さんは「母についてはいつも気にしていたが、妹家族が一緒に住み、面倒を診ていてくれたことが慰めになっていた」と言う。急ぎ帰国した荒川さんは葬儀に間に合うことが出来た。

ワイト島の中央にある無線博物館に飾られた、マルコーニの初期の実験用送信機(レプリカ)

[地元の2クラブのミーティング] 

6月も荒川さんは多忙である。地元のクラブが2つになったため、さらにミーティングだけでも忙しい。新設されたマーフォードクラブのミーティングに参加。この月の2度目のミーティングでクラブ局の開局があり、初運用を任された。「ローカルの局2局と記念の交信をした。名誉なことであった」と振り返っている。

一方のレクサムクラブではジャンクのオークションが行われたが「誰がどこからもってくるのか半端な新品パーツが出ている」と荒川さんは感心している。RSGBから「WARC’97」に提案するためのアンケート調査用紙が届いており、その回答についても審議が行われた。「免許制度、第3者通信、試験制度など本質的な項目が50もあり、議論が尽きず、深夜近くまでの議論が続いた。皆さん熱心である」と敬服している。

9月には西部イングランドのテルフォードで開かれたラリーに出かけている。地元のテルフォード・ディストリクトアマチュア無線クラブとサロップ・アマチュア無線クラブの共催で開かれたもので、無線機の他にコンピューターの出品が目立ち「アマチュア無線とコンピューターが切り離せなくなってきた」ことを荒川さんは実感している。

TDOTAで特別局GB2TAを運用しローカルのガールガイドに交信をさせる荒川さん

[移転] 

このような多忙なハムライフの合間を縫って、3年強住んだ家を引き払い東に約8kmほど離れたモールドへと引越しをしている。「英国に5年も住んでいると、アンティークラジオのコレクションを含めて荷物が増えており、何度も新旧の住いを往復した」と言う。2mのアンテナを天井裏に設置、バーチカルアンテナを裏庭に建てて当座をしのいでいるが「役所に申請したアンテナマストの建設許可は近くに高圧送電線があることと、美観を損なうと拒否された」が、荒川さんはあきらめない。

「送電線については電力会社の技術者に安全の確認を得、美観に関しては送電線や電柱に比べれば問題ない」と主張して再度申請した。その結果、12月7日に建設が認可される。「通常は8週間で済むものが4カ月もかかり、2回分の申請料を取られた」と言う。しかし、「役所も地元紙に広告したり、電柱に張り紙して苦情が無いかを確認して委員会で審議するなど、大変な労力を使っており納得した」と言う。

11月には北ウェールズのアングルシー島を、また、12月にはケンブリッジのボブ(G3PJT)さんを訪ねている。ケンブリッジではケンブリッジ大学のクラブ局G6UWを見学。クラブ局はIOTAコミッティ―会長で英国テレコム勤務のマーティン(G3ZAY)さんが運用。マーティンさんは日本語の読み書きができ、日本からQRVしたいとの願望をもっていた。

GW0RTA(英国)での最後のQSLカード

[企業の現地化] 

1997年1月、荒川さんはSUKM(シャープ英国生産会社)の英国人品質管理担当者をともない一時帰国する。日本企業は海外に進出した後、多くの企業で上級管理者も日本人が占め、現地の人が上級管理職につけない、という批判が増え出して久しかった。進出した国によって異なるが日本企業側にもそれなりの悩みがあった。「現地の人は向上意欲が乏しく任せられない」というものであった。

荒川さんはSUKMの品質管理業務を英国人に任せる時期が来たことを気にしていた。「来年10月には定年となり、通常、その半年前に帰国することになっていた。その前にやるべきことがあり、それを現地人の力でやってもらいたかった」からである。すでに、英国に進出した企業では最初のISO14000(国際環境マネジメントシステム)を取得していたが、WQA(ウェールズ品質賞)の取得を託したかったからである。

[アンテナ完成] 

荒川さんの自宅のアンテナは、1997年3月下旬になってようやく完成する。地元のハム仲間に手伝ってもらい地上高8mの3エレ八木アンテナを建てた。「周囲の環境を配慮して緑色に塗り、通りからは見えないようにした。このため、既設のバーチカルアンテナの方が良く聞こえることがある」と半分落胆しながらも「コンディションがよくなれば日本とも交信できるのを楽しみにしている」と言う。

4月にはレクサムを中心とした技術者クラブ「北ウェールズ技術者協会」の年次総会、テルフォード郊外で開かれたビンテージラジオ愛好者が集る「シフナル展示会」に参加。展示会では即売会やオークションが行われ、荒川さんは「1923年製の鉱石ラジオと、それより古いと思われる電話機を大枚はたいて購入した」と言う。

アンテナ建設のためにローカルのハム達が助けてくれた