[JAIG大会] 

5月2日からドイツのシュミッテンでJAIG(ジャパニーズアマチュア・イン・ジャーマニー)の第13回年次大会が開かれ、約100名のメンバーや家族が集った。メンバーにはドイツ人も多いため大会の運営、手配などは現地のハムがやってくれ「約1時間かかるフランクフルト空港への出迎えを何度もしてくれて頭が下がる思いだった」と荒川さんは言う。

ミーティングでは壱岐邦彦(DF2CW)さんがドイツ語であいさつ。ドイツ語が分らない人向けにドイツのハムが144MHzのトランシーバーを使って通訳した。「日本人がドイツ語を喋り、ドイツ人が日本語に通訳する珍しいことになった」荒川さんも不思議な光景に驚かされたらしい。

JAIGの日独友好賞の贈呈、日本の女性ハム達の琴の演奏、合唱などがあり、最終日の日曜には会場に設置されたクラブ局DL0DJFを皆で運用。「JAIGネットへのチェックインを試みたがJAは全く聞こえなかった」と言う。その代わりフランクフルトのメンバーやリヒテンシュタインに移動中のメンバーとの交信ができた。

JAIGの年次ミーティングでクラブ局DL0DJFを運用。DJFはドイツ、日本のFriendshipを表わしている

[世界最古のアマクラブは] 

6月7日、シャープ英国生産工場のオープンデーのこの日従業員の家族や地元の人達を招いて工場見学、日本文化の紹介が行われた。このイベントは大掛かりなもので、敷地内に臨時遊園地を設けたりヘリコプターによる遊覧飛行サービスが企画された。荒川さんらは特別イベント局GB4SUKを設置して公開運用を行っている。

シャープの工場のオープンデーで、特別局GB4SUKを設置して運用

翌日8日にはダービー市で開かれた「エルベストンキャッスル・ラジオラリー」に出かけた。主催しているナンスフィールド・ハウス・アマチュア・ラジオグループは、1913年に発足した世界最古のアマチュア無線クラブ「ダービークラブ」から分れたクラブという。

そこで荒川さんが「私はRCAクラブのメンバーであり、RACは1908年に始まっているよ」と言うと「それはハムのクラブではないだろう」と、切り返してきた。「プロも多いがハムもいる。ハムだけのクラブならオーストラリアのWIA(オーストラリア無線協会)が最も古いと聞いているが」と再び言うと「今、そことどちらが古いか争っている」との返事だった。

6月末にフリードリッヒスハーフェンで開かれた「ハムラジオ」に出かける。「欧州最大のハムフェアであり、これまでも誘ってくれる人は多かったが果たせなかった。今回は思いきって休みを取り出かけた」と言う。荒川さんはそこでニューヨークの国連クラブ局(4U1UN)の運用に再三便宜を図ってくれたマックス(HB9RS)さんに再会している。

ハムラジオの会場風景(1997年)

[TA1ZO] 

この「ハムラジオ」の会場で、荒川さんはTRAC(トルコアマチュア無線連盟)のブースを訪ねて、これまで果たせなかったお願いをしている。TRACのバヒリ(TA2BK)さんに会えたので「私の名前であるTAIZOに似たTA1ZOのコールサイン取得が出来ないだろうか」と相談する。荒川さんは名前のローマ字つづり「TAIZO」を見たハムから「トルコの方ですか」と聞かれることがしばしばあった。

ビハリ会長は「それは面白い。まだ誰にも与えられていなかったら可能性があるので帰国したら早速調べてみる」と言う。実はそれまでも荒川さんはトルコのTA局数局に手紙で照会していたが「なしのつぶてであり、返事が全くなかった。今回は期待がもてそうだ」と喜んでいる。しかし、トルコには3カ月以上滞在しなければ免許がもらえないことが分り、このアイディアは実現しなかった。

ハムラジオでトルコ(TA)のブースを訪れた荒川さん(右)

[レクサムクラブ] 

レクサム無線クラブは月に2回のミーティングがあることはすでに紹介した。ミーティングではいろいろな試みが行われるが、このころには外部から講師を招いたりしてアマチュア無線に関するプレゼンテーションやレクチャーが盛んに行われた。時間は午後8時から10時まで。「多くのメンバーは家で食事を済ませてから集まるが、サラリーマンは仕事の後駆けつけることになるので少々厳しい」と言う。

それでも「非常に興味深いテーマが多く勉強になり、しかも地元の人たちとの親睦も図れるため、時間の許す限り出席した」らしい。同クラブは一時衰退したものの「このような活動が始まってから参加者も増えてきた」と言う。参加者は定年退職者が多いが「YL(女性)や若い人も増えてきた。クラブの活動として参考になると思う」と提案している。

[IOTA] 

9月末、ロンドン郊外のウインザーでRSGB HF&IOTAのコンベンションが開かれた。例年の様に多彩なプログラムがあったが、ディナーの席上で荒川さんは思いがけなく「プレミアーIOTAアワード」を受賞する。IOTAのダイレクトリーの日本語翻訳に貢献したためである。先に触れたとおり、荒川さんは「レクサム便り」として、CQ誌に約7年間、現地アマチュア無線事情をレポートしてきたが、このIOTAの話題を最後にレポートは終わっている。

レポートは終わったが、実際の荒川さんのハム活動は続いている。同時に、先に触れたとおり、荒川さんの帰国が近づいていた。「1998年10月が定年であり、半年前は5月となり、そのころが帰国という目安がついていた」そのため、仕事の上でも整理しなければならないことを慌ただしく始めている。

RSGB HF & IOTAコンベンションのディナーの席上、G3NUGネビルさん(左)からIOTAの賞を受賞する荒川さん(右)