[関西大学の非常勤講師] 

平成14年(2002年)1月「河内長野市アマチュア無線連絡協議会」や「大阪国際交流センターラジオクラブ」などの恒例の新年会に出席。この年は4月から関西大学工学部の非常勤講師となる。授業は品質管理。荒川さん自身も思いがけない展開になった。

荒川さんは「日本品質管理学会」の会合に出席していたが、折りに触れて「理工学系の大学や大学院まで卒業していても、企業での品質管理は全然駄目」と苦言を呈していた。ある日、関西大学の助教授が天理市にあるシャープの研修所を訪ねてこられ「大学で講師をやってくれないか」との依頼があった。「役に立つかどうか不安であったが、これまで実践してきたことを伝えたい思いもあり引き受けることになった」と言う。

関西大学で品質管理の講義をする荒川さん

[海洋冒険家堀江さん] 

5月12日には西宮市の新西宮ヨットハーバーに駆けつけている。世界的な海洋冒険家である堀江謙一(JR3JJE)さんのサンフランシスコへの出航を見送るためであった。堀江さんについては説明するまでもないが、昭和37年(1962年)に「マーメイド号」と命名した小さなヨットでサンフランシスコへの単独太平洋横断航海を達成し、その後も単独無寄港世界1周を成功させたり、太陽電池を使った「ソーラボート」足でこぐ「足こぎボート」さらにはアルミ缶を使った「リサイクルヨット」で長距離航海を果たしている。

荒川さんは堀江さんが昭和53年(1978年)から57年(1982年)にかけて、縦回り世界1周を果たした時にJANETのメンバーとして無線で支援したことがある。この時、荒川さんは米国滞在中であったが、JANETのメンバーが堀江さんのヨットと交信できる仲間を次々に紹介した。その後もしばしば、荒川さんは堀江さんとの定時交信などの役目を担ったことがある。

このような関係から新西宮ヨットハーバーに見送りに出かけたが、堀江さんにとっては初めて太平洋を横断してからちょうど40年目の航海であり、しかも出航日も全く同じ5月12日に設定したものであった。ヨット名は「モルツマーメイドⅢ号」船体はビールの樽材やアルミ缶を使い、初代「マーメイド号」を復元したものだった。ちなみに今、堀江さんは今、「波浪推進力」を駆動源にしたヨットでのハワイ-紀伊水道間の航海を計画している。

報道船に便乗し、堀江さんのヨットを見送る

[アマチュア無線再開50周年] 

6月に大阪・池田市で開かれた「関西ハムの祭典」ではIOTAのブースを出展するとともに「海外ハム事情」について講演をしている。この年は戦後にアマチュア無線が再開されて50年。「大阪国際交流センタ-ラジオクラブ」が中心となって50周年記念行事が同センターで8月8、9日の両日行われた。

記念行事のタイトルは「それでも電波は世界をめぐる」で、各エリアのAAコールサインのハムが招かれた他、戦前のハムである庄野久男(J2IB、JA1AA)さん、米田治雄(J2NG、JA1ANG)さんが、アマチュア無線の歴史を語った。荒川さんはこれまで収集したアンティークラジオやハム関連の切手を出品して好評であった。

アマチュア無線再開50周年記念行事で、久しぶりにJA1ANG米田さん(右)と再会する荒川さん

[ペナン島からの交信] 

この月の24、25日には恒例のハムフェアにIOTAのブースを出展した。ハムフェアは前年までの会場であった横浜の「パシフィコ横浜」から再び東京に戻り「ビックサイト」での開催となった年でもあった。9月にはマレーシアのペナン島に出かけて河野(9M2KE)さんのシャックからゲストオペレーターとして交信。

10月にはNDXAの30周年記念イベントに参加した後、河内長野市の文化祭に参加。NDXAの30周年では「10分間コンテスト」が行われ、参加者が運用の腕を競い合う催しを楽しんだ。河内長野市の文化祭には地元の無線クラブが展示会を開き、荒川さんはここでもアンティークラジオやアマチュア無線関連の切手のコレクションを展示。

[SEANET2002] 

11月1日から3日までの日程でオーストラリアのパースで開かれた「SEANET2002」コンベンションに荒川さんはXYLの洋子(JG3FAR)さんとともに参加。オーストラリアで開催されるのは1997年以来で、ノースブリッジにあるアカシアホールに集ったのは約100名。記念局のコールサインはVI6SWA。通常SEAがサフィクスに使われるが、オーストラリアではすでに一般局にSEAが使われてしまっているため、珍しいコールサインとなった。

SEANET2002コンベンションで、コンテストの表彰を受ける荒川さん

日本から参加したメンバーは日本の衣装、伝統芸能などを披露して喝采を浴びた。荒川さんは支障のない限りこのコンベンションに出席しており、今回はコンテストでの表彰を受けるとともに、VK6AERで運用を行い楽しんでいる。コンベンションについては「毎年お会いする人、久しぶりの人いろいろおられるがいずれも懐かしい」と言う。最終日には各国代表のあいさつが行われ、荒川さんが日本の代表となって開催のお礼を述べている。日本への帰国途中、シンガポールに立ち寄り「旧友に会ってきました」と言う。

[相次ぐ忘年会] 

海外でも年末はクリスマスパーティなどで忙しいハム生活を送ったが、日本でも同様だった。12月6日には「シャープアマチュア無線クラブ」の、23日には「NDXA」それぞれ忘年会が行われた。ともに、荒川さんの海外生活が始まる前から加わっていたクラブであり「あらためてお互いに年をとったと、感慨ひとしおだった」と言う。