中学時代に切手のコレクションを始めた荒川さんであるが、高校時代にはアマチュア無線に夢中になり、コレクションは中断していた。その後、日本郵趣協会の会員となり蒐集を再開。同協会は昭和21年(1946年)に発足し、57年(1982年)に財団法人となり、全国に6地方本部を、さらに各都道府県に支部がある組織であり、荒川さんは関西地方本部に所属した。

シャープに就職し、東南アジアの駐在員時代にはアマチュア無線に取り組む一方で、各国の切手を集めたが、まだ、そのころは電気関係の切手に特化していたわけではなかった。珍しい切手を中心に集めていたが、米国時代に本格的に目的を決めての活動となった。荒川さんは昭和53年(1978年)に米国SEC(シャープ・エレクトロニクス・コーポレーション)に出向したが、そこで多くの古い日本の切手に出会う。

[ISJP] 

米国にはISJP(インターナショナル・ソサイティ・フォー・ジャパニーズ・フィラテリー)という日本の切手を蒐集するメンバーの組織があった。フィラテリーとは切手蒐集を意味する。明治初期日本は郵便制度を採用するが、その事業に取り組んだ前島密は初の外国との郵便事業を米国との間で始めている。明治8年(1875年)のことであるが、そのようないきさつから米国から何人かの郵便関係者が来日して指導に当たっていた。

この時に多くの日本の切手が米国に渡っているが、さらに太平洋戦争終戦後には日本から切手を持ちかえった人も多かった。荒川さんは、このISJPに加入したが「メンバーは実に日本のことに詳しかった。また、日本では貴重品となっている切手も保存されていた」と言う。「彼らの紹介で見せてもらったスミソニアン博物館にも、日本の初期の切手が多数保管されていて、職員2名の監視のもとにアルバムを拝見させてもらった」体験もしている。

アマチュア無線の切手の記事を掲載したRSGBの機関誌RadComの表紙(1995年)

[BEPEXで1位入賞] 

荒川さんが居住したニュージャージーの地元にもいくつかの切手蒐集の協会があった。1984年、ABCP(アソシエーション・オブ・バーゲン・カウンティ・フィラテイリスト)の創立50周年の記念展(BEPEX)にバングラデシュ切手を出品した荒川さんの切手コレクションが1位に入賞したことがある。出品したのはバングラデシュがパキスタンから独立する前後の切手のコレクションである。

荒川さんは東南アジア駐在員時代末期の1969年にパキスタンに1カ月ほど滞在したことがある。その折に滞在費としてドルを現地通貨であるルピーに換えたが、出国する時に「同国のドル蓄積策のためにドルに変換してもらえなかった。そこで考えた末に切手や使用済み封筒を購入した」と言う。これをもとに発展させたパキスタン切手のコレクションでは1972年から1977年頃まで、全日本郵趣連盟が主催する「全日本切手展」や、日本郵趣協会が主催する「全国切手展(JAPEX)」に何度か入選している。

独立直後のパキスタンは切手の印刷まで手が回らずそれまでのインドの切手に国名を加刷したりスタンプを捺して使用した。希少価値のあるその切手を手に入れていたのである。その後、荒川さんはパキスタンから独立したバングラデシュについても同様な切手、使用済み封筒を集めたのである。この時は「バングラデシュの切手蒐集家が協力してくれた」と言う。両国に関しては切手の蒐集を継続してきたため、今でも両国切手の有数のコレクターになっている。

アメリカのローカル切手展の展示風景

大阪で開かれた日本郵趣協会(JPS)の全国会員大会(2006年)

[ハム切手に特化] 

切手の発行は世界的に増加を続けており、すべてを集めることは不可能である。荒川さんの蒐集の対象はいつの間にか電気関係、電気通信関係、そしてアマチュア無線関係に集約されるようになっていく。この切手蒐集についても荒川さんは「JARL NEWS」や「CQ ham Radio」にレポートしている。最初は米国に出向する前の昭和52年(1977年)であり、その後は米国時代にも現地から連続的に記事を送ってもいる。

米国でも「QST」誌に荒川さんはコレクションなどについて投稿したことがある。現在までに集めらた切手の枚数は「何万枚か分らない」と言うほどであるが、このうち電気関係は10%以下で、アマチュア無線関係の「ハム切手」は約100種。「全世界漏れなく集めているはず。今はハム切手に関しては漏れることなく発行の情報は入るネットワークを作り上げている」と言う。

「ハム切手」を発行する国は少ない。日本でも過去1回しか発行されていない。このため、有数なコレクターである荒川さんにいろいろな話しがもち込まれる。「DXペディションに出かける時にその国に働きかけて切手の発行を要望して欲しい」と言うのもその一つである。「とくに小さな国の場合には切手の販売収入が見込めるではないか」と言うのがその理由である。

英国時代にはアマチュア無線連盟の機関誌「Rad Com」から「ハム切手を誰よりも多く蒐集されているそうだが、関連の話しを書いて欲しい」と依頼された。「4頁も提供するということなのでアマチュアラジオ・オン・ポステージスタンプ」のテーマでコレクションのリストを中心にさまざまな切手にまつわる話しをかかせてもらった」こともあった。

[やはり盛んな欧米] 

荒川さんは、最近海外のいくつかの切手蒐集クラブを脱会し、現在は日本の「日本郵趣協会」「日本アマチュア無線郵趣同好会」ドイツの「ハムスタンプクラブ」の3つのメンバーになっている。切手のコレクションでも「アンティークラジオと同様に日本よりも欧米のが盛ん。国民性なのかもしれない」と指摘する。今後、荒川さんは「ラジオやオーディオ機器類、切手を整理しつつ関連イベントに出展して多くの人に見ていただくつもり」と言う。