[転居後も多忙] 

年末、大阪狭山市に転居。荒川さんは米国でも、英国でも何度も家を替えているが、日本でもシャープに入社以来4度目の転宅である。4月10日には大阪国際交流センターラジオクラブのメンバーの紹介で、早速「大阪狭山アマチュア無線クラブ」に入会。

転宅は「しばしば出かける大阪市内への交通の便を考慮して選んだ」と言い、入会したクラブは大阪狭山市からの援助を受けてアンテナや建物を借りており、クラブ局JK3ZCRを市内の「さやかホール」に置いている。名を知られている荒川さんの入会は大歓迎された。「月例会はなく、好きな時に集る運営をしており、非常通信など市との密接な関係をもつクラブ」と印象を語る。

平成17年(2005年)もいくつかのグループの新年会に出席して1月が終わり、2月にはシャープ社友会アマチュア無線同好会でコンテストにで参加し、さらに3月には同無線同好会主催のヨットによる大阪港海上移動運用に参加。メンバー所有のヨットに数名が集ったが「風雨が強く出航できないために繋留したまま船上からの運用に終わった」と言う。その間にも、地元の市民マラソンでの連絡通信業務、ドイツから来日した壱岐さん夫妻とのミーティングがあった。

大阪狭山アマチュア無線クラブのメンバー達と8J3SEA/3を運用。カードを持つのが荒川さん

[驚いた蓄音機コレクション] 

4月26日、荒川さんはそれほど遠くない南河内郡河南町にある「大阪芸術大学」に出かけている。同大学が開催した「オーディオ機器の変遷100年」展を見学するためである。無線機、ラジオ、オーディオ機器のアンティーク品のコレクターである荒川さんは「気楽な気持ちで出かけたがびっくりした」と言う。

同大学は昭和20年(1945年)戦後の英語ブームをねらって、大阪市内に開設された「平野英学塾」が前身であるが、その後、ラジオ、オーディオ機器、放送設備機器などの収集に力を入れてきた。見学した荒川さんは「ラジオ受信機のコレクションには驚かなかったが、古くからの蓄音機が揃っているのには驚いた」と言う。海外の主要博物館、科学館などを見て回ったことのある荒川さんがびっくりするほどの収集量だったらしい。

[SEANETの準備スタート] 

6月6日には河内長野市にあった旧家屋が売れ、残っていたアンテナは近くのハムに譲った。11日には翌年に大阪で開かれる「SEANET2006」の準備プロジェクト委員会がスタートした。参加した荒川さんは、その後も1年以上もある開催日まで仲間とともに何度もの会合に加わり多忙な日を送ることになる。

6月から9月にかけては品質管理関連の技術訓練指導、会議が続いた。先に紹介したがOVTAの研修が千葉市の幕張で開かれ、OVTA国際アドバイザーとして参加。7月にはAOTSの講師としてベトナムから来た若者の研修を行っている。9月には3年に1度開かれている品質国際会議(ICQ’05)に出席したが、この時に荒川さんの英国での実践がパネル発表する機会を得、論文集に掲載された。

10月7日から9日までインドのバンガロールで開かれた「SEANET2005」に参加。日本からは9名。翌年の協力団体となる大阪国際交流センターラジオクラブからは荒川さんを含めて4名が参加した。全体での参加者は60名と少なかったが、終わりにSEANETのバナー(開催旗)が島伊三治(JA3AA)さんに手渡され「来年大阪で会いましょう」と閉会した。

品質国際会議’05-東京でパネル発表をする荒川さん

SEANET2005で次の開催地大阪に開催旗が引き継がれた

[アジアパシフィックDXコンベンション] 

11月には「アジアパシフイックDXコンベンション」が大阪国際交流センターで開催された。同センターラジオクラブの主催であり、海外からの参加者は約30名。一行は和歌山アイコムで無線機の生産ラインを見学、京都の観光などを楽しみ、また、日本側の参加者と懇談した。

平成17年(2005年)の年末、平成18年(2006年)の年始も例年通りの忘年会、新年会で過ぎ、4月と5月には「関西ハムフェスティバル」の特別局8N3KAN/3大阪狭山市移動局の運用を地元の「さやかホール」で行っている。6月3、4日には「SEANETコンテスト」が開催され、10、11日には「関西ハムフェスティバル」が開かれるなど、多忙な日が続いている。

[SEANET特別局] 

7月15日「SEANET2006大阪」の特別局8J3SEAの運用が9月20日までの期間で始まった。固定局を国際交流センターラジオクラブに置き、移動局は全国各地を移動することになり、まず荒川さん達大阪狭山アマチュア無線クラブのメンバーがこの日から7日間、8J3SEA/3を大阪狭山市の「さやかホール」で運用し、1517局にPRした。

SEANET2006の参加者達と大阪城を背景に記念撮影

8月になると大阪での例年の「807・昔を語ろう会」があり、東京では恒例の「ハムフェア」が開かれ出席。それに合わせてシャープ無線同好会と墨田ウェーブクラブの懇親会、JAGの年次総会前夜祭、さらにJANET/JAIGの合同ミーティングに参加している。「ハムフェアに合わせていろいろなクラブの催しが行われるようになったので楽」と言う。

そして9月14日、準備を重ねていた「SEANET2006」がオープン。海外からの参加者を迎えに、メンバーは何度も関西国際空港に足を運んだ。参加者は海外からの60余名を含め200名余り。15日の京都観光、16日の大阪観光の後の晩餐会、17には講演などがあり、最後に「SEANET2008」の開催地をマレーシアのコタキナバルに決めて閉会した。

8J3SEAのQSLカード

全日程が終了しても荒川さんは忙しい。「折角の機会であるので日本をゆっくり楽しみたい」という海外のハムの案内役の仕事があるからである。完全に暇になったのは会期終了1週間後。そして秋が深まると今年(2006年)も各クラブからは忘年会の日程調整の話しが舞いこむ。日本、東南アジア、米国、英国中心の欧州、そして再び日本に戻った荒川さんのアマチュア無線の足跡はここで終了し、次ぎからはコレクターとしての荒川さんを紹介したい。