関西では昭和45年(1970年)の「大阪万博」以来、博覧会の開催は活発だった。「大阪万博」は、国際的に認知された万国博の中の一般博であり、平成2年(1990年)に開催された「大阪・花と緑の博覧会」は特別博だった。そのほか、地方博として昭和56年(1981年)に神戸市で「神戸ポートピア博」が、昭和63年(1988年)に奈良市で「ならシルクロード博」などが開かれている。

JARLは、これらの4つの博覧会にそれぞれ記念局を出展している。大々的に運用した「大阪万博」を始め、いずれも局舎を設けての参加であった。この記念局の運用については、既に終了している連載「関西のハム達-島さんとその歴史」に詳しく触れている。とくに「大阪万博」での記念局は、その計画、設営、運用はともに関係したハムの情熱と努力のありさまが描かれていて、ちょっとした読物でもある。

JARL神戸総会の会場でも特別局のPRを行った

[特別局8J3WRX] 

いずれにしても、和歌山県では初の特別局設置が決まった。具体的に動き出したのは、開催年の1月9日。笹井さんを委員長とする「世界リゾート博アマチュア無線特別局運営委員会」がこの日に発足した。27日には特別局の設置目的、設置場所、設置期日、管理・運営、組織、予算案などを決め、JARLの原昌三会長宛てに提出。JARL局として免許を申請するためである。また、この日には特別局の概要や記念QSLカードのデザインを決定した。

特別局の免許申請は、3月24日にJARL会長名で近畿電気通信監理局に対して行われたが、特徴は車両の中を無線室としたことと、博覧会開幕までに和歌山県下を移動局として巡回する計画を立てたことである。また、折りよくJARLの通常総会が5月29日に神戸市で開催されるため、同会場に車を持ち込みPRすることも決定した。

[走る特別局] 

車を無線室とした例は、他の地区の記念局などでもあったが、大きなイベントでの長期間の例は始めてだった。免許されたのは1.9MHzから1200MHzまでの全バンド、出力はすべて10Wとし、ハムの誰もが運用できることをねらった。5月2日、移動運用はJARL和歌山県支部事務所での島伊三治(JA3AA)JARL関西地方本部長の第一声でスタートした。

博覧会開幕は7月16日。移動運用はぎりぎりの14日まで続けられた。訪れた各市町村では、各地のハムクラブのメンバーが車に乗りこんだり、車外で博覧会のPRチラシを配ったりした。博覧会開幕日である7月16日の2日前まで移動運用が続けられ、開幕日には会場内の許可を受けた駐車場での運用を開始した。

博覧会駐車場で開局した特別局

[充実したイベント] 

開幕日の設営は大変であった。無線局設置は当日にして欲しいとの依頼のため、早朝に会場入りしたものの、結局アンテナ張り作業は昼過ぎまでかかる。しばらくすると電波障害のクレーム。確認したが問題の無いことがわかるが、念のために南駐車場のヘリポート脇に移動。アンテナが予定した車両の屋根に上げられなかったり、その後、リグやローテーターがトラブルを起こしたり、予定通りに進行しなかった。

運用は9月25日の閉幕まで続けられた。この一連の活動は、後に「8J3WRX記念誌」としてもまとめられている。それを見ると、猛暑の中での移動運用の苦労や、パイルアップに喉をからからにしてしまった話などが綴られている。しかし、全体の運用記は、目的を達成した充実感に満ちており、苦労を懐かしむ内容である。

博覧会は、100万人の来場予想に対して約300万人を集めて閉幕した。笹井さんは、連日、会場に通い、管理・運営、オペレーターをこなした。オペレーターはスケジュールをくんでいたが、やむをえない事情で参加できないケースもあり「苦しくもあり、懐かしくもある特別局であった」と笹井さんは振りかえっている。

期間中、記念アワードも発行された。期間中の合計交信数は10,824局に達した。悲しい出来事もあった。運営委員でもあった坂本正巳(JA3JC)さんが、閉局前の9月15日に亡くなった。笹井さんは、幼いころ坂本さんから本を借りたのがきっかけで「ラジオ少年」となり、その後もハム仲間であった。「開局以来、自作好きは衰えず支部大会やハムの集いなどに自作の品を展示してくれた」と、記念誌に追悼の言葉を寄せている。

笹井さんの奥さん、お子さん達もいつのまにかアマチュア無線の免許を取得し、家族のハムは5人になった。笹井さんも「DXやアワードにのめり込まなかった」と言うものの、オーストラリアには気の置けないハム友達ができ、お互いに訪問しあってもいる。現在の自宅に揚がっているアンテナは2段スタックの八木・宇田、22素子の八木・宇田、垂直八木・宇田、ホイップ、グランドV型、ラジアルなど多彩。笹井さんは「足腰が立たなくなったらリグの前に座って、無線三昧になりたい」と、今からそれを楽しみにしている。

笹井さんの自宅敷地や屋上に揚がっているアンテナ群