阪神大震災の被災者支援活動について、長谷川さんの印象に残っていることがある。打ち沈んでいる人々に花を配る女性グループがあったことだった。富安さんの友人でもあるフリーアナウンサーの新川美千代さんらのグループは、ある時、次の活動について話し合いをした。食糧、衣類、生活必需品などが揃ってきた2月の初めの頃である。「被災者が必要としているものは何か」がテーマとなった。

沖縄から届いた緋寒桜を手にしてミーティングをする女性グループ。右から3人目が新川さん。

ふと、ある女性がつぶやいた。「街に色がない。皆、灰色じゃないですか」すると、別の女性が「花、花ですよ」と応えた。しかし、多くのメンバーは「避難所やテントの中で最低限の生活をしている人達にとって、花が喜ばれるだろうか」という不安を感じていた。新川さんは考えた。「被災者が今望んでいるのは、早く暖かい春になって欲しいということだと思う。だったら、桜の花を配れないか。」

新川さんは、知り合いのいる沖縄の放送局に相談した。すでに、沖縄では緋寒桜(ひかんざくら)が満開のシーズンだつた。放送局の呼びかけに対し、沖縄全島から2000本を超える桜の枝が集まり、全日空が神戸へと運んでくれた。桜を持った女性たちは避難所を訪ねた。花を挿す花瓶もない。紙コップが使われた。ある若い母親は、亡くなった子供の遺影を持ち出しその前に花を飾ってつぶやいた。「○○ちゃん桜だよ。一緒に花見をしよう」。富山からはチューリップが届いた。ジャーナリストの桜井よしこさんは東京の築地から何千本もの花を送ってもらうなどの支援を行なった。長谷川さんは「花は多くの人達に安らぎを与えた。テント生活のあるおばあちゃんは、差し出された桜の枝にびっくりし、次にその心配りに涙を流した」と、その活動に感激している。

赤十字関連のボランティア青年にも花が配られた。

再び、長谷川さんのことに戻る。長谷川さんは小学生時代からアナウンサーにあこがれていた。大学では理工学部建築学科に在籍しながら「近畿大学放送局」のクラブに所属し、同時にアナウンサーやタレント養成の専門学校にも通った。アマチュア無線は「もちろん校内にクラブはあったが、活発な活動をしており、両立は難しいと考えて入部しなかった」専門学校では「アルバイトを兼ねて積極的にテレビにかかわるべきだ」と思い、北陸地区の民間テレビ局でアナウンサーのアルバイトをしたり、テレビCMに出演した。

その経歴を生かして、今、長谷川さんはORA、OVERREVの二社を経営している。その間も長谷川さんは多彩な経歴を持つが、独立して、発足させたのがORAである。放送番組制作、フリーアナウンサー派遣、タレント養成などを手がけている。一方、OVERREVはIT〔情報技術〕事業である。インターネットWebサイト構築や関連通信事業、オーダーメードコンピューター・アセンブリなどを展開している。当然多忙である。その多忙な中で長谷川さんはアマチュア無線の発展のための事業に力を入れている。

そのひとつが「青少年のための科学の祭典」に協賛した「ラジオ組み立て教室」の開催である。永井輝久(JA3DKW)さんが代表者となり、長谷川さんらが協力、今年(2001年)も9月8日、9日の両日、神戸市の神戸ポートピア・アイランドの青少年科学館で実施された。長谷川さんはいう。「インターネット、携帯電話の普及の中で、子供たちの科学への夢が無くなっていっている。子供たちの輝く目を見たい」と、3年前にラジオキットの組み立て教室を始めた。今回が4回目であり、2日間で60名の小学校高学年以上の子供たちに、トランジスターラジオの組み立てを指導した。