昭和に入ってからの日本は、満州事変(昭和6年)日中戦争(昭和12年)を経て、太平洋戦争(昭和16年)へと戦争の時代へ進んでいく。ハムも無線通信という特殊技術を買われ、戦争の仕組みの中に組みこまれていく。JARL発行の「アマチュア無線のあゆみ」は、戦場に出て行くハムを名文で紹介している。「つくりかけの受信機を残し、あるいは建ったばかりのアンテナの性能を調べる間もなく、ハムは次々に大陸の戦の庭に召されていった」。

また、戦地に行かなかったハムたちは、国内にあって、防空演習に協力したり「愛国無線通信隊」などの名称を付け、非常時に対応できる組織を作った。関東、近畿、愛知、北九州などで防空演習が行なわれ、多くのハムが活躍したが、中国地方での演習の記録はない。なお、京都に移った岡田さんは、昭和9年7月末に3日間行なわれた近畿地区の防空演習では、他のハム3名とともに、防衛司令部内の持ち場を与えられ、最も重要な役割を演じている。

昭和15年12月時点での宮井宗一郎(J3DE)さん編集の「日本短波長無線電信電話実験局名簿」によると、J4局のうち個人稼動局は8局までに減少している。中国地区の局は、中津江功(J4CP)、堀野治助(J4CT)、三好寛一(J4CV)、金山禮三(J4DC)、磯山喜久男(J4FA)さんの5名である。兵役のため失効したり、廃局せざるを得なかったためである。

宮井さん編集の昭和10年版の「日本短波長無線電信電話実験局名簿」。独力で毎年発行した。

一方、戦後鳥取に居住した永井茂(JA4AF)さんは、戦前、大連にあった関東逓信官所逓信局に勤務、昭和16年に開局した。コールサインはJ8PMであり、当時の関東庁逓信局のプりフィックスJ8Pが適用された。戦前は朝鮮(朝鮮総督府逓信局管内)と関東州がJ8と決められていたが、便宜上、関東州をJ8Pとしていた。一方、満州は満州国の独立にともない、昭和12年に満州の局が集まりMARL(満州アマチュア無線連盟)を発足させ、MX1~MX6のプリフィックスが生まれている。

これについて、MX3Hであり、J7CG、J2PSのコールサインももつ田母上栄(JA1ATF)さんは、昭和34年CQ誌2月号に「MX1のコールエリアを作らねばならなくなり、新京府の東半分をこれに当て、MX3と大同大街を挟んでMX1が生まれ、MX1Aが1局できたのである」と当時の思い出を寄せている。ちなみに、昭和15年12月時点の外地の個人アマチュア無線局数は、樺太(J7P)なし、朝鮮13局、関東州3局、台湾(J9)1局、南洋(J9P)なし、満州(MX)10局であった。

田母上さんについては、以下のような話がある。真意のほどはわからないが、戦時中、上海特務機関の通信長時代、チベットで運用して「ゾーン23」を世界にサービスしたという。別の連載「九州のハム達、井波さんとその歴史」で触れている堀口文雄(J5CC)さんのWAZ完成もそのおかげだというのである。しかし、昭和14年(1939年)、大阪毎日新聞は「チベットにただ一つしかない私設無線局である英国人フォックス氏が雲南省混明の局と交信中をつきとめ、朝10時から20分間にわたって通信に成功した」と、堀口さんのWAZ達成を紹介しており、それが事実らしい。

満州国のエリア地図。宮井さんは15年版で外地(日本以外の国)のコールサイン、氏名、住所、周波数、出力まで調べた。

戦前の中国地方のハム(掌握できた方のみ)

氏 名 コールサイン 免許日(昭和) 失効(昭和) 所 在 地 備   考
阿久澤四郎 J4CC  4. 6.18 10. 5 広島 安佐郡 戦前にJXDX/J1CY
岡田 誠一 J4CE  5. 3. 5   岡山 戦前にJ3DT/J2NI
大前  茂 J4CJ  8. 7.18 13. 7 広島 高田郡  
大津 武義 J4CN  8. 8.22   倉敷  
岡本 一雄 J4CO 10.12. 3 11.11  
中津江 功 J4CP 10. 2.27 16. 2  
堀野 治助 J4CT 10. 7.29   山口 江崎 戦後JH4GGN
三好 寛一 J4CV 11. 7. 1   戦前にJ2QA
金山 禮三 J4DC 13.12. 2   島根 柿木村  
磯山喜久男 J4FA  8. 9. 6   宇部  
竹井  衍 J8CJ 14. 1.18   広島 宇品  
永井  茂 J8PM 16. 5.25   鳥取 戦後JA4AF