久米さんが申請してからわずか20日間。これほど早い免許に他の人かとも疑ったが、申請している人は他にあまりいないはず。そこで「ほんとですか。それは多分この私ですわ」というと、記者は「ええっ」と絶句。「天にも昇る心地。この記者氏とは意気投合し、長い間お付き合いいただき、DXの成果などをよく記事にしていただいた」と久米さんはその時の喜びを記している。

昭和27年(1952年)7月29日。久米さんはこの日付を忘れられない。全国で30名に予備免許が下りた。久米さんは第3回2月期の試験合格であったがタイミングの良さから、戦後最初の予備免許となり「仲間入りに間に合った。庄野さんを伏し拝みたい心境であった」と書いている。8月半ばには早くも交信する局も生まれるなど「振りかえると戦前のハム局の運用停止からすでに12年にわたる時が流れていた」としみじみと書いている。

昭和27年7月29日に予備免許が与えられた30名のリスト

戦後初のアマチュア無線免許を受けた30人は、その知らせを直接知った人は必ずしも多くない。例えば関西の島伊三治(JA3AA)さんは、通勤途上の電車の中で、前に座り新聞を読んでいた人の新聞を盗み読み、慌てて新聞を借り自分の名前を確認した。もっとのんびりしていたのは北陸の円間さんであった。同時に免許を取得したハムがすでに開局して「北陸の円間さんも免許を取得」という交信をしているのを聞いて初めて知った。久米さんが他人から知らされたのも当然であった。

[部品、工具、資金もなし] 

JA5AA。予備免許をもらったが、無線局の開局までの指定された工事期間は1カ月。久米さんは資金もなかった。「これほど早く、許可が下りると思わなかった。あるのは持ち合わせの部品、材料だけであり、工具は手回しのドリルとシャーシパンチ、ヤスリ、ペンチ、ドライバぐらい。作業場は畳み一畳ばかりの濡れ縁」と、久米さんは悲嘆に暮れる。

当時、ラジオ受信機用の部品は地元でも手に入ったが、短波帯の送信機用部品は徳島では入手できなかった。関西汽船に乗り一晩かけて、大阪・日本橋の電気街に出かけたこともある。「徳島ラジオ商会の三木幸利(後にJA5CW)さんからは、日本橋で仕入れてきたものの中の一部を融通していただき非常に助かった」と当時の苦労を思い出すという。それでも送信用バリコンなどは入手できなかった。東京や大阪では、戦前からのハムも多く、また、ラジオ少年仲間もいた。彼らは、お互いに情報を交換し、部品を手に入れていた。

しかし、徳島の久米さんには情報は少なかった。自分で模索するしかなかった。ついに、バリコンとコイルは自作することにした。水晶発振子は戦時中に使われた「海軍型」の中からハムバンドに使えるものを選び、通販で手に入れることができ、水晶を研磨する苦労は免れた。今、久米さんは「あの当時のもの作りは大変であったが、同時に楽しかったことも忘れられない」という。

「幸い、といえば申しわけないが・・・・」と久米さんはいう。「いずれはハムになるつもりだったのか多少の部品を集めていた遠縁の方が急病で亡くなり、その部品や材料の一部を引き取っていたのも役立った」という。自作送信機は14MHz、出力はA1・45W、A3・SG変調10W。最終段には当時盛んに使われた定番真空管807を使用することにした。また「アマチュア無線の規格ぎりぎりで使えるRCA製の真空管を手に入れることができたのも幸いした」という。

久米さんの無線免許申請書

[自作の苦労] 

自作するに当たって久米さんが重点としたのは(1)終段アンプのC電源(2)スプリアス発射低減のためのアンテナカプラー(3)周波数測定装置(4)吸収型波長計(5)アンテナ(6)避雷装置(7)安全対策であった。いずれも、資金のない久米さんがそれでも効率の良い無線機を作り上げるための工夫であった。

この自作では、学徒動員の現場などで吸収してきた久米さんの無線機器に関する知恵が役立った。807に750Vを加え、入力75Wのアマチュア規格一杯に使うためには「電源はC級動作で深い安定したバイアスをかける必要があった。」また、当時は周辺の家庭へのBCI(ラジオ受信障害)対策が重要であった。「極力、高・低調波の発射を抑えるようTXとアンテナの結合に工夫した」という。

一方、このころはバンドの端までの周波数を使うためには、周波数測定装置を備えることが条件になっていた。しかし、同装置は高価。メーカー製のヘテロダイン周測機をまねて自作した。大変な労力を費やしたが「後の落成検査の折りにその優秀さにお褒めの言葉があった」という。吸収型波長計は、手ごろなアルマイトの弁当箱を台所から徴発して作った。ごく簡単なものであったが何かと重宝した。常時はホイップアンテナをつけて送信出力モニターとして活用した。

しばらくして、取材にやってきた例の記者は「久米さんこれは弁当箱でないですか」と恐る恐る聞いたという。そうですよ、と答えると「いいですね。これこそアマチュアの面目躍如。ほんとにいい」と盛んに感心した。アンテナは工期内に効率の良いアンテナを作るのは無理と判断し、バーチカルとした。古電柱2本を繋ぎ合わせて間に合わせた。安全対策は子供達を意識し、電源部に金網を張った。