[落成検査] 

8月28日に落成届を提出すると、落成検査は9月14日に決まった。四国電波管理局の検査官が松山から夜行列車で高松へ、高徳線に乗り換えて久米さん宅にやってきた。駅まで迎えに出た久米さんは驚く。3名がでかい測定機類を持参してきたからである。しかも、アマチュア無線の検査は初めてのため、検査も「本省からの通達らしきものと首っ引きで微に入り細を穿って行われた」という。

電測では「2人が500mほど離れた川の土手に電測器を据え、残ったひとりとの間でハンカチを振って合図。最後には近所を回ってBCIの調査。とにかく、朝の10時から夕方の18時まで、昼食の時間を除き7時間の作業だった」そして、合格です、といった後「本省から免許状がくるまで絶対に電波を出さないように」と釘を刺された。久米さんは「がっくりしてしまった」ことを記憶している。

[初交信] 

無線局の落成検査は合格したが、やるべきことはまだ残っていた。10月7日付の本免許状を受け取ったのは「なんと13日、だいぶ首が伸びたころであった」と記している。次ぎの作業は「無線従事者選任届」の提出。戦前、戦後初期のころはアマチュア局でも従事者を選任する必要があった。ほぼ、すべてのハム局は自分で自分を選び届けていた。さらに、この後「無線局運用開始届」を提出しなければならない。

煩わしいが、久米さんにとっては「うれしい煩わしさ」だった。これらの届を投函し、交信のためのキーを握ったのは、この日13日の夜であった。初めて自分の電波が空を飛んでいく。「震えのとまらぬキーイングでCQを叩く」と、久米さんは書いている。最初の交信相手は国内では浜赳夫(JA8AA)さん、海外ではVK(オーストラリア)局であった。

戦後、日本が使い始めたプリフィックスであるJAは、その直前までは駐留米軍が使用していた。このため、JAを使う日本人は「アンカバー扱いされることもあり、その説明や戦前の日本人ハムの消息問い合わせに応えるため、どうしても長い交信となった。主にCW(電信)で交信したために余計に時間がかかってしまった」と、久米さんは当時の状況を記している。

初交信の相手局北海道の浜さん

[アンテナ自作に挑戦] 

「つたないキーイング、伝わるかどうか心配しながらの英語ではあったが、先方は辛抱して交信してくれたと思う」と、今振り返っている。日本のハムが少なかったこともあるが、海外局とはそれだけに写真や手紙の交換など、後々まで深いつながりができた。久米さんはDXを志したものの、それほどカントリー稼ぎやアワード集めにあくせくしたわけではない。

それでも、より多くのカントリーとの交信は魅力的である。久米さんは出力を200Wに増力し、アンテナのグレードアップを計画する。折り良く知人から撤去鉄塔の斡旋を受けて、高さ13mの本格的な鉄塔を設置、アンテナはグランドプレーンを使うことを考えたがアルミパイプが手に入りそうもなく、鉄工所に依頼して鉄パイプで作ってもらった。

しかし「単一バーチカルに比べると打ち上げ角度を下げることができたせいか、DXの受信局数は増えたものの飛びのほうはあまり芳しくなく、かえってストレスが溜まるばかり」となった久米さんは、2エレメントのキュ―ビカルクワッドアンテナに挑戦する。クロス部分は鉄工所に注文。エレメントを支持するには細くて軽いもので安価なものが必要。そこで久米さんは釣り道具屋に出向き、釣り竿を注文する。

グランドプレーンアンテナ

[釣り竿が最適] 

久米さんが釣り竿が欲しいというと「長さは」と聞かれたので「3m半ほどのもので、先の細いところは切り飛ばして」と頼み込む。相手は「肝心なところを切り飛ばすって、あなたは一体何を釣るんですか」と不審顔。久米さんは「電波を釣るんですわ」と冗談を返すが、相手はますます混乱してしまう。

しかし、相手が狐につままれるような会話で終わっただけで良かった。九州では井波眞(JA6AV)さんが福岡市の釣り竿屋で、太さ、長さの揃った8本の釣り竿を購入、その場で先端の1mほどを惜しげもなく折った。それを見ていた釣り竿屋の主人は「お前に2度と売らない」と怒り出したという。

釣り竿で作ったキュービカルクワッドアンテナは「いや飛ぶわ飛ぶわ、これまで振られっなしのDX局も一発コールで応答あり」と、その成果に満足した。ところが、夏の小型台風で一瞬に「クモの巣アンテナ」のように変形。その後、久米さんはさまざまなアンテナを作って見たが、キュービカルクワッドアンテナの飛びの良さが忘れられなかった。「上下のエレメントのアレイ効果が効いてか、パスの通るエリアが広くQSB(フェージング)に強く、まさにDX向けだと思った」と残念がっている。

キュービッククワッドアンテナ