JA5MG 稲毛章氏
No.10 戦後の四国のアマチュア無線
昭和26年(1951年)、ようやく日本でも第1回のアマチュア無線技士国家試験が始まり、翌年には全国30名に予備免許が与えられた。四国では徳島市の久米正男さんがJA5AAを取得した。その後、実施される試験ごとにアマチュア局の数が増えていった。再開に先立ち、コールサインは、ようやく四国地区を一本化することで決まったが、JARLの組織は、依然として全国4支部体制であり、関西支部は関西以西の広い地域をエリアとしていた。
JARLは再開を契機にコールサインのエリアごとに支部を発足させることになり、四国では28年1月に四国支部設立準備会が開催され、4月に支部が発足している。稲毛さんもアマチュア無線再開を知ったが、その頃はまだ中学生であり、このようなJARLの動きの圏外にいた。しかし、後年、戦後のこのようなあゆみについて、丁寧に資料を集めて、ことあるごとにまとめてくれている。「四国地方30年のあゆみ」も昭和58年に稲毛さんが編集責任者として発刊したものである。
稲毛さんの免許証
その中で大塚政量(JA5AF)さんは戦後のアマチュア無線再開当時の思い出も振り返っている。四国のアマチュア無線の歴史の上では貴重な資料である。その大塚さんの思い出話によると、第1回の試験(26年6月、会場=善通寺)では、丹末利(JA5AD)さん、第2回(26年10月、会場=善通寺)では滝川正巳(JA5CP)さん、大塚さん、第3回(27年2月、会場=詫間)では田中実(JA5AB)さん、太田等(JA5AG)さん、久米正雄(JA5AA)さんが受験して合格。結局、久米さんが無線局をもっとも早く立ち上げ、予備免許第1号となった。四国支部の発足はこの5名のハムが中心となって進め、初代支部長には大塚さんが就任した。
昭和28年当時のJA5局の一覧表
呼出符号 | 姓 名 | 住 所 | 周波数(Mc) |
JA5AA | 久米 正雄 | 徳島県徳島市沖浜町 | 14 |
JA5AB | 田中 実 | 香川県高松市塩上町 | 14 |
JB5AC | |||
JA5AD | 丹 末利 | 愛媛県西条市朔日市 | 7/14/28 |
JA5AE | 吉川 康夫 | 徳島県小島市大字小松島字東出口 | 3.5/7 |
JA5AF | 大塚 政量 | 香川県三豊郡上高野村下原 | 14/21/28 |
JA5AG | 太田 等 | 香川県高松市塩上町 | 14 |
JA5AH | 松本 純一 | 愛媛県温泉郡北吉井村大字西岡 | 7 |
JA5AI | 山下 英人 | 香川県丸亀市松屋町 | 14/28 |
JA5AJ | 橘 惟遠 | 愛媛県松山市中村拓川町 | 7 |
JA5AK | 島田 政康 | 愛媛県松山市御幸町 | 7 |
JA5AL | 平田 政幸 | 徳島県徳島市住吉本町 | 7/14 |
JA5AM | 馬場 泰 | 徳島県徳島市冨田橋 | 7 |
JA5AN | 宮内 秀道 | 愛媛県松山市東雲町 | 7 |
JA5AO | 村井 靖夫 | 高知県高知市栄田町 | 7 |
JA5AP | 川西 太郎 | 愛媛県高松市花園町 | 7 |
JA5AQ | 森田 忠 | 愛媛県西条市明屋敷 | |
JA5AR | 黒田 一之 | 愛媛県新居浜市庄内 | |
JA5AS | 堀内 弘 | 愛媛県温泉郡小野村字平井 | |
JA5AT | 藤田 智 | 香川県三豊郡一の谷本大 |
大塚さんは、さらに、当時の試験が1次、2次と分かれて行なわれたことなどを解説し、面倒であった無線局免許申請書の書き方を説明している。「申請書は半紙で10枚分になっております。これを正副本3部を書き上げたわけですから全部で30枚分になります。これに図面が10枚、これも正副3部ですから30枚の図面を手書きで書き上げたことになります。・・・・現在のようにコピーの機械などはなく当時のアマチュア局の申請は、現在と比べると大変な仕事でした。この程度の面倒さは、アマチュア局を開局するためには、“普通”の事だと思い、文句をいっている人もなく文句をいっていく先もありませんでした」と記している。
発足された四国支部は、昭和28年4月に第1回支部大会を丸亀市の山下英人(JA5AI)さん宅で開催する。「10数名の総会であり、大変楽しい大会だった」と記している。この年の5月には四国支部報が発行され、支部活動は活発となっていく。しばらくは,大塚さんの思い出話を借りて、四国のアマチュア無線業界の流れを見ていきたい。昭和30年、JARL会費の本部と地方支部との配分比の変更が行なわれる。
昭和28年5月に四国支部の最初の支部報が発行された。
従来は、60%を支部、本部が40%の取り分であったものが、本部80%、支部20%となる。会員数が増加し、本部の経費が不足になったためである。新配分では支部予算は3分の1になり各支部の反発は強く、大塚さんも不満であったが「会費の集金というやっかいな事務がなくなり、少し楽になった」という。
この年の末には、四国のアマチュア無線の局数は、香川県が41、愛媛県が48、徳島県が24、高知県が27の合計140局となった。33年(1958年)の電信級、電話級アマチュア無線技士の誕生、34年の社団法人JARLの発足、JARLの保証認定制度の実現など、次々とあわただしくも発展の歴史が続く。ちなみに、四国で初めて保証認定を受けたのが昭和35年2月10日の伊藤(JA5RN)さんといわれている。
昭和28年8月には四国支部第2回ミーティングが再び丸亀市で開かれた。