太平洋に面している四国は、台風に直撃される恐れの多い“台風銀座”でもある。それにともなう水害などの災害も多発し、ハムがしばしば活躍した。JARL四国地方本部が発行している「四国だより」を参考に、昭和50年(1975年)8月の高知県、51年9月の愛媛県の水害での活躍振りを紹介する。

災害 --非常通信を伝える「JARL四国だより」

高知県の場合は8月17日の日曜日。偶然にも非常通信の訓練を予定していた日であった。その模様を西川正時(JA5BM)さんが報告している。この日、台風5号は宿毛市を通過したが、それにともない仁淀川流域は1時間に119mmの雨量を記録し、流域は水害、山崩れなど甚大な被害を受けた。停電、交通機関はマヒし、通信も途絶していた。このため、山間部に弧絶した住民も多く、その実情はアマチュア無線により報告され、また、その情報が被災者の救出に貢献した。

8月19日の午後1時頃、吾北村の災害対策本部に詰めていた筒井丈清(JA5SKQ)さんから室戸岬の島田信雄(JA5DDQ)さんに依頼があった。内容は「県対策本部に対し、アマチュア無線に非常通信を許可するよう要請して欲しい」というものであった。これを受けた坂本彰(JA5BTJ)さん、半田征雄(JA5IHZ)さんなどが対策本部や電波管理局高知出張所と折衝して、対策本部内に土佐クラブ局JA5YFMが開局された。ところがどういう理由からか行政関係から中断の指示が出る。当然のことながら、必死で働いてきたハム達の憤りは高まるが、非常通信に対する無理解が原因らしいことがわかる。

一方、西岡徳義(JA5RD)さんは孤立した本川村の状態を知るため、高知市の筆山に登り、本川村の津野弘義(JA5SEL)さんとの連絡に成功する。その悲惨な状況は県対策本部に知らされ、同対策本部もようやく西岡さんに非常通信の開局を要請、現地の被害状況、救援物資・医薬品の手配、人命の安否の問い合わせなどに活躍することになる。結局、この非常通信は8月20日の午後6時45分、有線電話の回復まで行なわれることになる。

また、越知地区の高北ハムグループは19日の早朝、吾北村下八川の福島博道(JA5KYI)さん、福島敏剛(JA5KYJ)さん親子と連絡を取り、被害状況を越知町対策本部に伝えるなどの活躍をした。越知町鎌井田地区では岡利男(JA5RUM)さんが急病人の救出のためのヘリコプターを誘導。さらに、崖崩れのため孤立した椿山、安居、狩山との連絡には、吾川村の久保秀光(JA5OFT)さん、池川町の安部博(JA5BIJ)さん、竹本文直(JA5LBN)さん、西田源彰(JA5OJY)さんらが必死の努力をしていた。彼らは、トランシーバー、バッテリーを担いで現地まで出かけて状況を調査。バッテリーの容量がなくなると川原に横たわっている車のバッテリーを利用するなどの苦労をしている。

西川さんは、これらのハムの活躍振りや、今後の非常用通信のあり方などについても触れている。そのなかで「(非常な)事態が起こり、本川村から室戸岬経由、県庁までの通信ルートはプロ(の通信技士)には到底考えられない方法。144MHzのVHF帯を使用してアマチュア無線が日頃経験してきた実地の運用実績がその威力を発揮した」と総括している。そして「非常通信に対して、行政当局、通信社の無理解と体面にかかわると言うことから一部妨害がなされたことは残念である。また、電波法の制約があまりにもきつすぎることも連絡設定の遅れの一因となった」と指摘。これらの問題点を関連方面に訴えていくと結んでいる。

昭和50年には、わが国のアマチュア局数は30万局を突破し世界最大となる