もう一つは、昭和51年9月11日、台風17号による愛媛県・今治市の水害での活躍である。活動の模様をまとめたのは富田圭吾(JA5DTK)さんである。この日、市内を流れる蒼社川の水位が上昇、万一に備えてJA5YRYを立ち上げ、市内と周辺の各局は144.48、432MHzでのワッチ体制を取る。午前0時を過ぎ、蒼社川の決壊の情報が流れたため、移動局で現場を確認。富田さんと河上義則(JA5CIR)さん、田窪章英(JA5CQX)さんは翌日の午前6時まで当直。「機器類、発電機ともに非常時の体制は整っていた」と記している。

翌12日、午前中から午後にかけて丹原、新居浜の一部が冠水、国道196号線は長沢付近で不通となる。午後3時頃水防本部よりアマチュア無線局の利用が可能かとの問い合わせがあった。井川幸次郎(JA5ADU)さんが中心となり、非常時に協力できる局のリスト作りを始め、5時頃にリストをまとめあげ、6時15分からリスト局との連絡を確保。リストを水防局に届ける。7時ごろから市内、周辺各局より情報が続々と寄せられ、144.80MHzを通信波と決め、9時に伊藤良博(JA5CSO)さん、近藤健太郎(JA5VLP)さんを市民会館内にある水防本部前に派遣する。

雨はますます激しさを増しており、午後10時には井川さん、富田さんが水防本部に詰めることになり、本部内に10W機、バッテリー、仮設GPアンテナなどの設置を済ます。その頃、本部内は混乱しており、受信音も十分に聞き取れない状態であった。11時になると日高地区に避難命令が出される。蒼社川の状況調査を目的に、近くの谷口健治(JA5BXF)さんが出掛けたものの、激しい豪雨に水が機器内に入り交信不能となる。

しかし、山岸正人(JA5JAU)さんが協力を申し出て現場に駆けつけ、水防本部との連絡に成功。午前0時20分に蒼杜川の危険地域と水防本部間の非常通信の依頼が正式に出される。午前8時、自衛隊到着を水防本部に連絡し、自衛隊指揮官と水防本部の連絡を確保。同時刻に、水防本部と現場双方の人員交代を指示、雨が弱まり有線の通信状態が安定しつつあるため、4時にJA5YRYを閉局。6時半には非常通信を終了させている。

新聞に紹介された稲毛さんのハム活動。

再び、稲毛さんの話しに戻す。稲毛さんの家は農業で生計を立ててきた。現在もお父さんと奥さんが連日、畑に出ており、稲毛さんは時間の許す限り農作業を手伝う。農地面積は2反余りあり、かつての稲作を止め、現在では健康農作物づくりが主力である。「モロヘイヤ」「ウコン」「カイアポいも」などを育て、収穫し、粉末までにして出荷する。稲毛さんは「人々の健康への関心が高まってきており、今後の有望な農作物だと思う」という。すでに、これらの農作物については農業関係の新聞や雑誌などには、奥さんのキミ子さんの名で何度か紹介されており、稲毛さんも周辺の農家には栽培を勧めている。地元のJA(農業協同組合)でもこの分野でのリーダーとして活躍しており、農業でも穏毛さんの努力は半端ではない。

高松高専の教官は定年となり、1年ほど前にやめたが、現在でも講師として週何日か授業を持っている。数年以上前の稲毛さんの生活は想像できないほど多忙ではなかったかと思う。一般の入にとっては、正業の他に趣味に徹していたならば、それだけで忙しい日を送ることになる。稲毛さんは正業の他に副業の農業でも精一杯やり、趣味のアマチュア無線では人並み以上にのめり込んでいる。稲毛さんが自分に課したのは朝晩、例え短時間でも必ず交信することであった。夜はどんなに酔って帰ってきてもキーを握った。翌朝「目覚めて自分では交信した記憶はないが、ログブック(交信記録簿)にはきちんと記録されていることか何度もあった」と苦笑いする。

稲毛さんと自宅。向かって左側にタワーがそびえ立っている。