[サテライトDXCC] 

地上対地上交信でのアワードにはあまり熱が入らなかった江崎さんであるが、衛星での交信が増えるにともないDXCCにチャレンジすることになる。DXCCは、ARRLが主宰し世界の100エンティティ(国・領土)以上と交信したことに対するアワードであり、通信形態、周波数別にいくつかのクラスがある。ただし、サテライトだけはSSBやCWの通信形態の区別、また周波数帯にも無関係に「サテライト」として別枠のDXCCが設けられている。

江崎さんは、平成5年(1993年)4月に「サテライトDXCC」を申請した。105エンティティのコンファーム(確認)時点で、世界で132人目に当たる「#132」のアワードを受け取った。その後、毎年JARL主催のハムフェアの会場でエンドースメント(追加確認)を受けており、今年(2004年)8月に185エンティティを達成している。

江崎さんが受け取った「サテライトDXCC」アワード

ちなみに2003年度版の「DXCC YEARBOOK」によれば「サテライトDXCC」の最高達成局は、ドイツのバーンハード・ドプラー(DJ5MN)の274エンティティであり、日本では加藤隆雄(JH2AYB)さんの246エンティティと、吉町文彦(JA1BLC)さんの210エンティティが江崎さんを上回っている。

[交信の80%が海外] 

江崎さんが衛星で交信した延べ約5100局について分析してみる。衛星別ではAO-10、AO-13、AO-40のDX衛星がほぼ70%の3521局を占め、FO-20とFO-29の日本が打ち上げた衛星が614局、AO-27、UO-14、SO-35、SO-50、AO-51の低軌道衛星が846局を占めている。そのほか、ロシア(ソ連)の衛星が46局である。

これを交信相手の国別で見てみると、日本(JDを含む)が1129局、アメリカ(ハワイ、グアム、アラスカを含む)268局、オーストラリア148局、ドイツ137局、オ―ストリア107局がベスト5。次いでロシア(旧ソ連を含む)107局、イタリア88局、中国(香港、マカオを含む)53局、イギリス(ウェールズ、スコットランド、北アイルランドを含む)50局の順となっている。

江崎さんは、このデータについて「日本の局以外のDX局の大部分がDX衛星でのQSOであること、一方低軌道衛星によるQSOの大部分が日本の局であることを考えてみると、この国別のQSO数によって、その国の衛星や通信技術への力の入れようをうかがい知ることができるのではないか」と分析している。

[スペースシャトルとの交信] 

昭和65年(1990年)12月、米国はスペースシャトル「コロンビア号」を打ち上げる。この時、NASA(米航空宇宙局)とARRLは、コロムビア号からアマチュア無線交信を計画、搭乗したロナルド・パリセ(WA4SIR)博士が業務の合間を縫ってアマチュア無線局を運用した。10日間の飛行中、宇宙からメッセージを発信したり、地上のハムと交信しようとの計画だった。

機内からの運用は多忙な中で行われるため、運用できない時間帯には「パケット・ロボット」によるQSOサービスが行われた。江崎さんは「コロンビア号が日本の上空を通過する時間帯にはできる限りワッチしていた」と言う。12月8日、日本時間午後7時30分145.55MHzで「パケット・ロボット」との交信に成功。「あの混信の激しい2mバンドの中で問題なく受信できた」とその時を話す。

翌日も江崎さんはワッチを続け、午後9時30分に再び「パケット・ロボット」とコンタクトに成功。「ところが、その直後でした。幸運にも音声モードに切り替えてご本人が出てきたのです」そして、パリセ博士からは「日本の上空に来ると混信が激しいが、あなたのコールは確認できた、とのレポートを貰った」と当時を再現してくれた。1年後の12月初めにNASAから博士本人がサインしたQSLカードが届く。

「コロンビア号」パリセ博士からのカード

[金/銀/白 3種のカード] 

カードはデザインは共通であるが、スペースシャトルのマーク部分が金、銀、白の3種類が用意されていた。音声またはパケットで完全に相互交信できた局には金、相互交信はできなかったがシャトル内のレコーダーかコンピューターに記録されている局には銀、SWLレポートを送ってきた局には白と区別してあった。江崎さんは「その心憎いサービスに感心した」という。

カードの裏の説明によると、パリセ博士は10日間で約100局と音声の交信、約700局とパケット交信を行い、27カ国以上にサービスした。江崎さんはこのほか、ロシアの宇宙船MIRや、国際宇宙ステーションISSの飛行士と交信し、また、これらに搭載された中継器を経由した交信を36局と行っている。

その後、平成11年(1999年)7月にも、スペースシャトルSTS-93(コロンビア号)からのパケット信号を数回受信してQSLカードを受け取っている。江崎さんは「それだけに」と前置きして「平成15年(2003年)2月のコロンビア号の悲劇を知った時には、言葉にならないショックでした」と言葉を詰まらせた。

余談ではあるが、昨年(2004年)7月13日、久留米市の明善高校の生徒たちが「ARRISスクールコンタクト」を主導して行ったことは先に触れた。余談であるが、この時、搭乗していた飛行士のマイク・フィンクは、日本上空では頻繁にCQを出して、日本語でQSOサービスをしていた。江崎さんは「彼が以前、仕事で岐阜県に駐在していた話しを聞いて、彼の親日の背景が分かった」と言う。

ISS、MIRの宇宙飛行士との交信で送られた各カード