[珍局との交信] 

世界各国にはHFよりも衛星を主に運用しているハムも多い。衛星ではいわゆる「ビックガン(出力)」を必要とせず、コンディションにも支配されないが、衛星の軌道や運用スケジュールに従うことになる。そのため、HFとは一味違った「珍局」がある。これまで江崎さんが交信したいくつかの「珍局」を紹介する。

まず、世界一長い村の住所。ウェールズのジョン・ルイス(GW8UZL)局の住所は58文字もある。長すぎてここに書けないが「でたらめでない証拠にQSLカードの裏面に、この駅発行の切符のコピーが印刷されている」と江崎さんは解説する。

南極基地からは当時、西ドイツDP0GVN局(オペレーター=ロタル・バウマン=DG5SL)と、オーストラリアのVK0AQ局(オペレーター=マーク・スプーナー=VK5AVQ)が衛星にQRVしていた。DP0GVNからのカード写真では、基地は雪に埋もれアンテナだけが雪上に出ており、また、VK0AQのカードでもアンテナはわずか1mの高さと記されている。江崎さんは「積雪と強風という厳しい気象条件への対策をあらためて知らされた」という。

雪に埋もれた南極DP0GVN局と世界一長い住所の局のカード

世界一長い住所のカードの裏面には証明のための切符のコピー

[苦労したイラクカード] 

江崎さんがカードを手に入れるのにもっとも苦労したのは、イラクで唯一のサテライトアマチュア局モハメド・ハッサン(YI1BGD)だった。当時、モハメドはアクティブにAO-10によく出ていたので、江崎さんは「送ったカードが届いているかどうか」をしばしば尋ねたが、その都度「まだ届いていない」との返事だった。

返信用クーポン(IRC)を同封することが、国際郵便のトラブルの原因になっているとのうわさがあり、QSLカードだけを送ったところ2週間で先方に届いたことが分かった。その返信に対するお礼として「何か欲しい物があれば知らせてほしい」と言ったところ「IC-9000のリモコン資料が欲しい」という返事。江崎さんは早速、アイコムから入手し航空便で送った。「結局、モハメドのカードは1年がかりで、しかも3000円近くをかけて手に入れたことになる」と苦笑している。

HFではさほど珍しくないエンティティでも衛星となると事情は違う。例えば、東南アジアについていうならば、ベトナム、ラオス、ミャンマーなどのように、衛星ハムの常駐局がない国が多い。そのため、外国局によるペディションか特別のイベントによる運用に期待するしかない。

[南極との衛星交信] 

江崎さんは「このような地域については普段から現地での特別運用に関する情報を得ておくことが大切だと思う」と指摘する。現在はインターネットやEメールにより情報が即時に得られる。ところが「1990年ころまではJAMSATのメンバー間での電話やFAXでの情報交換が唯一といってもよい情報入手の手だてだった」という。

南極といえばJARLが支援する昭和基地の8J1RL局が知られているが、北陸のEMEerである前川公男(JA9BOH)さんが第40次越冬隊員の一人として参加、衛星での本格的な運用を行ったことがある。前川さんは平成11年(1999年)8月末から翌年2月まで、業務の合間を縫ってAO-10で運用したのが最初だったといわれている。

昭和基地と北米、とりわけ東海岸側とは相互にAO-10をアクセスできる時間帯が極めて短い。このため、無用なパイルを避けて整然とQSOすることが求められ、新井雅裕(JN1GKZ)さんと江崎さんは8J1RL局がAO-10で交信できる時間帯と交信可能エリアのスケジュール調整役を務めた。

江崎さんらはあらかじめ、前川さんのスケジュールに合わせて、世界中の「サテライトハム」からの交信希望をEメールを通じて募り時間調整をし、そのリストを昭和基地の前川さんに定期的に送る作業を行った。当時、南極との連絡には特別のゲートウェイを通じて、商用衛星経由のEメールが利用できた。

ところが「文字数に応じた課金があるために、できるだけ簡潔にやり取りを行う必要があった」と江崎さんはその時の苦労を語る。前川さんは任期が終わり昭和基地を離れる前日まで、世界の「サテライトハム」の要望に応じて交信、合計368局との交信をした。「サテライトQSOとして素晴らしい記録を残された」と、江崎さんは言う。

サテライトハムのいない場所での日本人ハムによるペディション運用などでのカード

[再び福岡での生活] 

平成5年(1993年)江崎さんは37年勤めたIBMを定年退職し、現在の住まいである福岡市に移る。江崎さん夫妻にとって九州は故郷であり、「いずれ戻るなら親が元気なうちに、そして自分たちも環境への順応性が失われないうちにという考えだった」と江崎さんは決断した理由を話す。

移転後、JP6FXGのコールとなるが、平成8年(1996年)に「旧コール復活」制度により、再びJA6BXとなった。その福岡の江崎さん宅を前川さんが訪ねた。EME訪問も兼ねて福岡を訪ねた折に立ち寄ったが、毛利幹生(JA3GEP)さん、明善高校の山下さんらとともにひと時を過ごした。「南極の多くの写真を見せてもらいながら時の経つのも忘れて話しが弾んだ」と、江崎さんは懐かし気である。

江崎さん宅を尋ねた前川さん(左)右は江崎さん。手に持っているのは南極昭和基地のアマチュア局カード

[久留米市のEMEer] 

この時、前川さんの九州入りの目的はEME(月面反射)で実績をもっている久留米市の隈本尭(JA6DR)さん、森七郎(JA6CZD)さんらと会うことであった。久留米市はアマチュア無線熱が高いことは先に触れたが、なかでもEMEに熱心に取り組むハムが多いことで知られ「EME先進地区」ともいえる市となっている。

昭和44年(1969年)商用で米国に出張した森さんは、EMEのおもしろさを知らされて帰国する。早速、隈本さんに持ちかけてEMEについての資料集めに取り組んだ。隈本さんは翌昭和45年(1970年)に森さんが米国で会ったマイク・スタールさんとスケジュールを組み、EMEに取り組んだが受信できなかった。