[明善高校の試み] 

昨年(2004年)7月に実施された久留米市・明善高校無線部による「ARISSスクールコンタクト」の模様は、この連載の冒頭で紹介した。「国際宇宙ステーション」や「スクールコンタクトの仕組み」など何も知らなかった高校生が、基礎から勉強しつつ参加する小中学生を指導したこの試みは、関係方面から大きな関心を集めた。

明善高校無線部の顧問である山下先生から江崎さんに相談があったのは平成15年(2003年)春ころであった。「ARISSスクールコンタクトをやってみたい。これまでは大人のハムが主導して計画・準備し当日の運営も行うのが一般的だったが、高校生に可能な限りすべてを任せたい」という内容だった。

江崎さんはすぐに協力することにして、何度か明善高校に通い人工衛星の軌道に関する理論と、パソコンを使った軌道予測の方法、衛星経由の交信の手ほどきなどを行い、相談に当たった。無線部が活動を開始したのは、本番のほぼ1年前であった。男子7名、女子8名の15名は、まず図書館の屋上に宇宙通信用のアンテナを建てることから始めた。立会った江崎さんはもちろん、顧問の山下先生も安全上に問題がない限り、すべて部員の自主性に任せ、口出しはしなかった。

タワーに登っての作業は男子生徒が中心に行ったが、ステー張りなどの力仕事も女子生徒が率先して受け持った。その後、日本が打ち上げたアマチュア無線衛星であるふじオスカー29号(FO-29)、東京大学と東京工大の学生らが制作し、ロシアのロケットで打ち上げた超小型衛星サイ.フォー(X1―Ⅳ)とキュートワン(CUTE-1)の3衛星からの電波を実際に受信、さらに平成15年(2003年)9月に行われた山口県宇部市で行われた「ARISSスクールコンタクト」では、宇宙ステーションを完全に追尾し、飛行士の声を完璧に受信するなどのトレーニングを行っている。

ARISSスクールコンタクト実施のため勉強中の明善高校無線部員

[前日にISSを目視] 

この一連の活動は「明善高校ARISSスクールコンタクト報告書」に部員達によってまとめられているが、炎天下でのアンテナ設置、英語で受験したFCC(米連邦通信委員会)のアマチュア無線免許受験準備、小中学生への説明、英語での交信指導など「連日の遅くまでの作業に、皆の疲労はすでに極限にまで達していた」と、同報告書は書いている。

交信予定日の前日、そのような疲労を吹き飛ばすような偶然が起こった。翌日の準備のための作業は暗くなっても終わらなかった。と、ある部員が「あっ、あれISSじゃない」と叫んだ。皆が手を休め外に飛び出した。校舎の北西の空をゆっくりとISSが通過していく光を肉眼ではっきりと見ることができた。全員が明日の交信を前にした偶然に再び力をよみがえらせたと言う。

同コンタクト当日。交信中の小中生徒達。緊張の面持ちだ

[子供たちの目の輝き] 

長期間に及ぶ慎重な準備の結果、チーフオペレーターの中村修(NH7TA)君と高校生部員主導で運用された特別局8N6Aによる「ARISSスクールコンタクト」はさしたる問題もなく成功した。生徒達は約1年間の活動を通じて無線通信の理論、交信技術を身につけたばかりではなく、共同で物事を進めることの重要さや、与えられた役割を責任を持ってやり遂げる大切さも知った。また、これまでに経験したことのない苦労の後に得た達成感の大きさを味わった。

江崎さんも、大人達でも周到な準備と技術を必要とするプロジェクトを見事にやりこなした高校生達のひたむきさと行動力に、逆にいろいろなことを教えられた。一連の部活動に部員は多くの時間と体力を必要とした。「本来の授業や大学受験準備に悪影響はないのか」と心配する声が周囲には少なくなかった。「しかし」と江崎さんは言う。「1年間の努力が、わずか9分間の宇宙飛行士との交信に結実され、17問の質問、応答の交信が終わった時の全部員の目の輝きは素晴らかった」と感動している。

会場となった明善高校図書館には学校・教育関係者、保護者、報道関係者など200名を超える人が集ったが、その中の一人は交信終了後に江崎さんの所にやってきて「子供から話を聞いていたが、これほどのことをやっていたとは知らなかった。今日初めてわかりました」と頭を下げてお礼を言った。「その言葉が何よりもうれしかった」と江崎さんは言う。

「目的をもち、それに向って努力し実現した子供達の素晴らしい能力の発揮を見ていると、彼らの自主性を重んじ機会を与えて動機付けを行うことの大切さを痛感した」と江崎さんは述懐する。交信の中でマイク・フィンク飛行士は「宇宙開発は人類の未来にとって極めて大切です。皆さんも一緒に頑張りましょう」と激励のメッセージを伝えた。「このメッセージは子供達の心に長く残るものになろう」と、江崎さんは想像してする。

特別局8N6AのQSLカード

[何をしたらよいか] 

「私達の世代は小遣いもわずかだったこともあり、夢中になった趣味の機械いじりでも使う道具を自作しなくてはならず、それが大きな動機付けにもなった。ハムは受信機、送信機、アンテナと必要なものをすべて自作したために、部品集めに始まって設計や製作、測定など次々に情熱を注ぐ対象があった」と、江崎さんは青春時代を振り返る。

ところが、現在は欲しいものはお金で買える。「そこに大きな問題がある」と、江崎さんは指摘する。「欲しい物が買える環境にあると、何をしたらよいのかという問題意識までもなくしてしまうのではないのか。そして、それはお金がすべてという誤った価値観へと進んでしまう」と警告する。