[米国のEME通信]

日本ではアマチュア無線が正式に許可されてからまだ8年目。レーダーの研究が始まったかどうかのころであった。米国はEMEでもレーダーでも進んでいた。EMEはアマチュア無線家が電波の到達距離に興味をもつだけでなく、天文学の分野でも月に電波を到達させることに関心がもたれていた。

このころのことを東京の庄野久男(JA1AA)さんが記憶している。庄野さんは天文にも興味をもっており、昭和12年頃の米国ARRL(アメリカラジオリレー連盟)の機関誌「QST」に掲載された記事を記憶している。それによると、米国フロリダ州のハムが112MHz、1KW入力の送信機を使い、ロングビットアンテナで月面反射波をとらえたという内容である。

又賀義郎(JA4BLC)さんによると、1960年、昭和35年に米国カリフォルニアのラジオクラブとマサチューセッツのクラブが初めて月面を利用した反射交信に成功したと記している。この時は1296MHzが使われたらしい。その後、50MHz、144MHz、220MHz、430MHz、1200MHz、2300MHzで交信の成功が続いた。しかし、日本では初の受信は昭和50年(1975年)までかかった。

コリンズの通信機を加えたシャンクでの森さん。昭和47年頃

[マイク・スタールさんとの出会い]

森さんはオスカー衛星での通信を経て、EMEに興味をもった。「人工衛星から飛躍して宇宙の自然物体にアクセスし、トランスポーダーの力を借りずにエコーによる交信が、しかもアマチュアの資力と知識で行えることは実に素晴らしい」と考えた。それが具体的になったのは、米国に出かけてマイク・スタール(K6MYC)さんに会ったことからだった。マイクさんは、アンテナなどのアマチュア無線機のイクイップメント(備品)を製造・販売しているKLM社の社長であった。森さんは「MORI ROTOR」の売り込みが目的で訪ねた。

商品の売りこみは成功した。トルクが強く、ブレーキ効果も高い特徴の他、森さんがねらった小型化が「米国で使われている三角のアンテナタワーの中にも収納できる」とマイクさんに評価され、大量注文に結びついた。この時、マイクさんは森さんをシャックに案内し、取り組んでいるEMEについて熱っぽく語り、巨大なアンテナを見せてくれた。昭和44年(1970年)のことであった。

帰国した森さんは早速EMEの勉強を始める。最初は144MHzでの挑戦を考え、EMEに関心をもっていた同じ久留米市の隈本 尭(JA6DR)さんと資料集めに取りかかる。しかし、そのころすでに森鉄工所の常務に昇格しており、業務が多忙であったほか、個人的には自宅の移転もあり「EMEへの挑戦意欲は薄れていってしまった」という。

[わが国でのEME実験]

昭和50年(1975年)、米国のSRI(スタンフォード研究所)は、日本時間で2月22日に月面に試験電波を発射すると予告した。コールサインはWA6LET、144MHzと430MHz帯で、直径45mのパラボラアンテナを月に向けて発射する、ということであった。日本では宇宙通信は認可されていなかったが、全国各地でSRIの電波をとらえようとの試みが行われた。

あるグループはパラボラアンテナで、また、あるグループは八木・宇田アンテナで挑戦した。SRIからのSW信号らしきものの受信に成功したグループや個人局がいくつかあったが、相手に受信された日本からの電波はなかった。この日は全国的に寒い日であった。積雪と凍結のためにアンテナが機能しなかったグループもあった。

[隅本さんEME成功]

久留米市では、隈本 尭(JA6DR)さんが中心となりこの時に受信に成功した。隈本さんは、先にも触れたが昭和45年(1970年)にEMEの実験に乗りだし、翌年には144MHz、500Wの免許を申請した。マイクさんとスケジュールを組み、試みたがうまくいかなかったが、約5年も経ってようやくSRIからの電波受信に成功したことになる。この時、森さんも隈本さんのグループに参加して奮闘している。

ちなみに、後日SRIグループから交信の結果が届いたが、144MHzでも430MHzでも、やはり日本との交信記録はなかった。交信はできなかったものの、これを契機に日本でのEME通信熱は燃えあがっていった。隈本さんは、それから約半年後の昭和51年8月30日、日本時間午前0時に米国のW6POとついに交信に成功した。正確には144.105MHzであった。この年の1月、当時の郵政省はアマチュア無線にも宇宙通信業務を認めていた。

昭和49年に久留米クラブは明善高校でQSLカードのコンテストを行った

[森さんの挑戦]

宇宙通信業務は、144MHz、430MHzの2つのバンドであった。森さんは隈本さんが144MHzに成功したことを聞き、再びEMEに挑戦する意欲をかき立てられた。ただし、430MHzでである。このころのことを森さんは「144MHz用のアンテナの大きさに圧倒され、また、台風によるアンテナの被害を考えて、430MHzに変更したという。