森さんが使用したアンテナは、KLM社の16エレメントのロングブーム八木・宇田アンテナを四列2段に重ねたものであった。プリアンプはこの当時、ガリウム・砒素トランジスターが開発されていなかったため、バイポーラトランジスターを使用して自作。月の追尾にはポーラマウントを使用した。しかし、「ゲインはISO比26dB、半値幅は約4度であり、特性は問題なかったものの追尾に失敗、実験は成功しなかった」と、最初の試みを語る。

[失敗の連続]

ポーラマウント方式は、アンテナ方位角の基点を北極に合わせておくことにより、月の軌道に自動的に追随する機能をもつシステムで、天体観測用に使われている。森さんは「基点を磁北にセットしてしまったために、6度の差ができてしまったためと」分析、改めて天文の勉強を始めた。

地理上の真北と磁石による磁北とは異なっており、それを誤ったことになる。天文知識の教え受けたのは、天文に詳しい隈本さんや鹿毛則孝(JA6EQD)さんからだった。鹿毛さんは昭和24年(1949年)生まれ。昭和48年(1973年)に免許を取得したばかりであったが、宇宙空間に興味を持ったハムであった。

森さんは暇を見つけてはテストを続けたが、月の追随はチャートを使っての作業のため、時間と労力を費やしていた。そのうちパソコンを導入してデータをインプット、10分ごとのAZ-EL(方位角-仰角)をプリントアウトし、的確に月を追跡できるように改良した。このため、森さんは開発されたばかりのパソコンを買い求めた。今は想像できないが、メモリーにはオーディオカセットテープが使われていた時代であった。

月の運行を計算し、アンテナを制御するパソコンの画面

[430MHz、500MHz申請]

EMEに挑戦し続けた森さんは昭和51年(1976年)2月に、430MHz、500Wの免許を申請した。5月、森さんはWA6LETからの、さらに7月にはルクセンブルクのウィーリー(LX1DB)さんの信号を受信。これが森さんにとってのEME初受信となった。10月20日には予備免許が下り、12月10日に落成検査を受けて、本免許を得ている。

その後、米国のアレン・カレッツ(K2UYH)さんとウィーリー(LX1DB)さんらとは交信のスケジュールをたて挑戦を続けた。カレッツさんはニュージャージー州のトレントン大学の教授であり、後に非常に親しくなった。一方、ウィーリーさんとは昭和51(1976年)にルクセンブルクでシャックを訪問した間柄であった。

この時は、タイヤメーカーであるルクセンブルクグットイヤーを訪問、タイヤ成型ドラムの販売に行ったときであった。予め、ウィーリーさんに滞在予定やホテルを連絡しておいたところ、ホテルに電話があり、シャックに案内された。その折には、フランスからやって来ていたエレクソン(F9FT)さんにも会っている。

EME初交信の相手局、アレン・カレッツさんと森さん

[EME交信成功]

翌52年(1977年)2月26日にはカレッツさんの信号を受信。そして、3月6日、日本時間19時30分についに交信に成功。交換したRSTは519/529であった。この交信は、公式に認められた430MHz帯でのわが国初のEME通信となった。次いで、3月7日日本時間6時30分、ウィーリーさんとの交信にも成功する。ウィーリーさんとは3月1日から6日まで連続して電波を出したが、交信ができなかった揚げ句の成功であった。

昭和44年(1969年)に森さんがEMEに挑戦し始めてから8年の年月が経っていた。昭和53年(1978年)になって、森さんはある雑誌に「今にして思えば、ずいぶんばかげたことをやって、無駄骨を折ったものだとつくづく思います」と記している。EME通信に取り組んだことがばかげたことでなく、成功するまでの試行錯誤が「馬鹿げた骨折り」ということである。もっとも、何事も成功した後に分析する失敗の原因は常に「ばかげたこと」が多いといえる。

[森さんの貢献]

隈本さん、森さんの久留米市の2人がEME交信に成功したことは、当時のわが国のハム仲間に大きな衝撃を与えた。その後、森さんはさまざまな関連雑誌などに登場しているが、成功の興奮よりも、冷静に分析した内容が多い。また、EME交信に貢献した技術も少なくない。そのひとつが開発されたばかりの「ガリウム・砒素トランジスター」の採用であり、その紹介であった。

気の遠くなるような月に電波を反射させて、交信するEME交信のためには高性能なプリアンプが必要となる。そのプリアンプもできるだけローノイズとすることが重要な課題となっていた。U、Vの高周波帯で高速に信号を処理し、雑音を抑えるのにはこのガリ砒素が最適であった。開発は日本のNECであり「同社の山藤 滋(JH1BRY)さんが資料を提供してくれるなど積極的な協力をいただいた」という。山藤さんもEMEに関心をもっていたハムであった。