[2.4GHz交信成功]

「サンノイズ」で15dBを確保した森さんは、ほっと一息つく。「サンノイズ」は、1億5000万km離れた太陽が、爆発のたびに発する電磁波のことであり、EME受信時に、アンテナや受信機器が正常に働いているかの確認ノイズとなる。アンテナを太陽以外の宇宙空間(コールド・スカイ)に向けた場合のノイズと「サンノイズ」との差は大きく、1.3GHzでは「サンノイズ」が13dBあれば十分にEME交信は可能といわれている。

「サンノイズ」の大きさを確認した森さんは、次ぎにパワーアンプを調整。その後、平成15年(2003年)11月に行われたARRL(米国アマチュア無線連盟)のコンペディションで2.4GHz帯に参加、交信に成功する。第1日目にLX1DB、SM3AKW、G3LTF、JA4BLCと交信、さらに2日目にW5LUA、OE9ERCと交信ができた。

森さんのシャック。右端のパソコンは月の追尾コントロールに使われている

森さんの設備はシャックからアンテナの給電部まで20mあり、その間はもっとも減衰量の少ない同軸ケーブル12D-SFAで結合しているが「ロスのため給電点では30W程度と思われる。それでもRSTが559なのは、このバンドの特徴」と、430MHz、1.3GHzですでに交信したことのある森さんは比較して、こう指摘している。

森さんの現在のディッシュアンテナ。時にはカササギに巣を造られることもある

[視赤緯・視赤経]

天文の言葉によく出てくるのが「赤緯」「赤経」である。月や星の宇宙における絶対位置を示すものであり、地球の自転を基準とした座標系といえる。「赤経」は、春分点を基点に定めて、東回りに24時の単位で表わす。一方「赤緯」は赤道面を基点として、南をマイナス、北をプラスでともに90度までの数値で表わす。しかし、実際には歳差や章動によって赤道面、春分点はわずかずつ移動している。

この歳差には「日月歳差」と「惑星歳差」とがあり、地球の自転運動が太陽や月の引力の影響を受け、赤道面が変化するのを「日月歳差」といい、春分点は1年当たり50秒程度黄道上を東から西に移動する。これに対して、地球の公転運動が惑星などの引力の影響を受け、黄道面が変化するのは「惑星歳差」といい、春分点は1年当たり0.1秒程度の角度で赤道上を西から東に移動する。

「日月歳差」による歳差運動のうち、短周期なものは「章道」と呼ばれている。いずれにしても、月の位置はこのように他の影響を受けて変化しているため、見かけの赤道座標を「視赤緯」「視赤経」と呼んでいる。長々と天体のことに触れてきたが、EMEerにとって、月の位置測定は極めて大事なことであり、EMEの基本となっている。

[5.6GHzへの挑戦]

世界のEMEerは、毎週週末にスケジュールを組みEMEを楽しんでいる。「視赤緯」「視赤経」をにらみながら年間の「EMEカレンダー」ができあがっており、EMEerは、緻密な計画をもって楽しんでいるといえる。世界にはどれほどのEMEerがいるのか。森さんは「正確にはわからないが数千人ではなかろうか」と推定している。432MHz以上の周波数でチャレンジしている「JT44」のメンバーは世界で500名強である。

日本ではJAEME(日本アマチュアEME)の組織があるが、森さんは「このメンバー以外のEMEerを含めて約100名程度が月にアンテナを向けているだろう」という。今年(2004年)1月13日、50~50.1MHzでもEME運用が可能となったが、森さんの新たにチャレンジは5.6GHzであり、免許申請の準備を始めている。

自作の高周波ヘッド。より高性能を目指して挑戦が続いている

[EMEのロマン]

電波を月に反射させ交信するEMEは、森さんにとって「ロマン」であることは先に触れた。同時にもうひとつのチャレンジの楽しみもあった。「地球上間で通信する無線機はすでに既製品の時代になり作る楽しみがなくなった。それに比べると、EMEではプリアンプ、アンテナ、パワーアンプ、追尾装置など自作の余地が広い」と指摘する。

「EMEをこなすためには、通信工学ではデジタル、アナログの両知識,追尾のためのメカの知識などが要求される」という。「現在では世界の先輩EMEerのおかげで、それほど大掛かりな設備でなくとも交信が可能となってきた。若い人も積極的にチャレンジして欲しい」と森さんは強調する。

そして、チャレンジは「EMEだけではない。少年がアマチュア無線に興味をもつことにより“科学する心”が芽生える」と指摘する。森さんが心配しているのは「文部科学省が打ち出した“ゆとり教育”の結果、子供達の余暇時間は増えたが、その余暇が子供の夢を作り出すことにつながらなければ意味がない」ということである。

「最近の子供達は情報が多すぎて整理できないためか、自分がどの分野で活躍できるかが見えなくなっているのではないか」と森さんは憂えている。弊害のひとつが「完成されたものを求めてしまい、材料・部品や、半完成品に自分で付加価値を付けて完成させるということがなさ過ぎる。このままでは欧米にも、発展途上国にも技術力で太刀打ちできなくなる」というのが森さんの切実な訴えである。

JAEMEの平成8年のミーティング

[オンリーワン企業]

最後に、森さんの勤務先である森鉄工所の現状について触れておく。主力製品である「タイヤ成型ドラム」の世界シェアは50%程度。最近は中国の自動車産業の急激な成長にともない、需要に対応するのに大わらわである。しかし、「企業としてはあくまでもニッチ分野を対象にし、いたずらに規模を大きくしたくない」と森さんはいう。

規模を大きくしない代わりに地域社会の協力会社に協力を求め、ともに発展していく方針である。「オンリーワンの技術にこだわり、高収益な企業にし、社風は厳しいが社員の生活が豊かになるようにしていきたい」との考えである。そのために、森さんは「ゆっくりと趣味を楽しみたい」と願いながらも、当分経営から抜けられそうもない。