[アマチュア無線再開]

昭和20年8月15日、終戦。多くの国民は虚脱感に襲われたが、JARLはすぐにアマチュア無線の再開に向けて行動を起こした。再開運動は当然のことながら東京が中心であり、この年の9月には早くも一部の戦前のハムが、当時の逓信院(昭和21年7月に逓信省に改称)に働きかけている。そして、11月に東工大の電気工学科に主なメンバーが集まり、新しいアマチュア無線の規則案を審議している。

翌21年(1946年)8月には、JARL再結成全国大会が開かれており、9月にはJARLの機関誌として「CQ ham radio」が創刊された。実際にはアマチュア無線が再開されるまでにこの後6年もかかることになるが、驚くような早さで再開運動が起きた理由は何であったのだろうか。

1つは敗戦国日本が今後立ち上がっていくためには、科学技術の振興が必要であり、その中核として無線通信技術を生かしていかなければならないという「立国」の思いであった。もう1つは、戦前のハムの多くが戦時中「電波兵器」の開発や、前線で通信業務に従事した体験から「戦争に負けた原因の一つは米国の電波通信技術に負けた」という悔しさからのものであったといって良い。

余談になったが、アマチュア無線の再開活動には、すでに東京に居を移していた田母上さんが加わっており、積極的に行動していた。北海道のハムの動きはわからないが、JARLや庄野久男(J2IB)さんからの勧めで逓信省やGHQに再開の請願書を送る程度は行なったとものと推定される。

JARLの会員は昭和22年の10月発行の「JARL NEWS」によると、北海道は9名。戦前のハムではない新しい顔ぶれが登場している。9名は次の通りである。片岡 仁、前川年安、黒石睦弘、山田 稔、四戸佐津雄、高橋文雄、田村亮司、真木常雄、高坂照夫。

[JARL札幌クラブ発足]

アマチュア無線の許可が下りないため、JARLは受信専用の会員証を発行する。「SWL ナンバー」と呼ばれるものであるが、それでもアマチュア無線の再開を望んでいるマニアには、SWLのナンバーが送られてきた時の喜びは現在では想像できないほど大きかったらしい。そして、JARLが実施したもう一つの策は各地にアマチュア無線クラブの設立を奨励したことであった。

その奨励もあって札幌にも「JARL札幌クラブ」が発足する。昭和25年(1950年)5月1日であった。この日、当時は釧路放送局技術課長であった戦前のハム、橋本数太郎(前J7CB)さんが札幌に来られることになり、札幌市北4条にあった片岡仁(後JA8AM)さん宅に集まり「橋本氏を囲む会」が開かれた。

JARL札幌クラブ機関誌創刊

橋本さんの戦前、戦時中の話しは集まったマニアには好評だった。その後、千葉憲一(後のJA8AC)さんがリードし「札幌クラブ」の発足へと進む。全国各地のクラブ発足時期と比較して、早くも遅くもなかった。会員は30名。戦前のハムは一人も加わっていなかった。この年の6月25日には機関誌が発行される。

この当時の模様を千葉さんが「道産子ハム奮闘記」に寄稿している。「アマチュア無線が許可されていない現時点としては、自己研修に焦点を合わせることとなった。札幌東高校の教室を借用し、電信術の研修会、NHKの技術課長の工学の講義を受けるなどの研修会を活発に実施したのである」と。

平成14年シャックでの千葉さん。

このようにして、北海道のマニアも再開を待ったが、翌26年(1951年)になっても気配はない。ところが3月に入ると「4月早々にはアマチュア無線の従事者試験が実施されるらしい」との至急電報が東京から発せられた。実際には試験が行なわれたのは6月になってからだった。

[JA8AAの誕生]

戦後初のアマチュア無線技士国家試験には、全国で第1級に119名が申請し47名が合格、第2級には197名が申請し59名が合格している。札幌では第1級申請4名、合格0、第2級申請7名、合格2名である。この当時、不合格となった場合の恥ずかしさから逃れられることを考えて、わざわざ他の電波監理局管内で受験した人もいた。ただし、北海道の受験者は全員が札幌での受験となったと推定される。

北海道の合格者2名は伊東(JA8AF)さん、信本(JA8AK)さんであった。10月の試験では浜赳夫(JA8AA)さん、石田太一郎(JA8AB)さん、千葉憲一(JA8AC)さん、山田良一(JA8BC)さんの4名が第1級に合格した。試験には合格したものの、予備免許が与えられたのは昭和27年になってからであった。

験地 第1級 第2級
申請数 合格数 申請数 合格数
東京 30 17 59 23
長野
名古屋 18 37 19
金沢 15
大阪 38 18 26
広島
松江
善通寺 12
熊本 10
仙台
福岡 12
札幌
合計 119 47 197 59

昭和26年6月戦後初のアマチュア無線試験の結果