3月2日、午前中の授業が終わり職員室に戻ると野口校長が、駆け寄ってきて「原さん決まったよ。バンコク日本人学校、バンコクだよ」と知らせたくれた。応募する時にも快く了承してくれた野口校長も喜んでいる。手続き、準備などあわただしい時間を過ごして、原さんは家族とともに4月10日に日本を離れる。実は、この年に当時の文部省は初めての国費での教員派遣を決めたのである。原さんはその第1回の派遣教員約200名の一人に選ばれた。北海道では300人の応募があった。

バンコクに赴任した原さんは、早速課題に挑む。日本人学校の生徒と、現地の学校の生徒との交流を夢見ていた原さんは、それ以前に「日本人生徒同士の交流がないことを知り」すぐに、日本人会に話しを持ちこみ、各種スポーツ、音楽、写真、華道などのサークルづくりに動き出す。スポーツの練習場は、アジア大会が行なわれた立派な国立競技場を無料で借りる話しをつける。しばらくすると各サークルが地元のタイ生徒との親善試合をするなどの交流が始まった。

バンコクでは日本人会の中でさまざまなサークルを立ち上げた。写真は音楽サークル。

バンコク日本人学校の電子工学クラブの生徒。左端が原先生。

校内では「電気で動くものはほとんど壊れていることに気付いた」原さんは、早速修理に取り組む。タイの商用電源は220V。日本から購入された電気、電子機器は電圧の違いをうっかり忘れてコンセントを差し込むため、管球類やトランスを断線させて使えなくなっている。そのすべてを修理してしまった原さんに即座に「校内放送」の担当が回ってくる。また、校内の電気配線工事の時には現場監督に指名された。

原さんによると「私がバンコク日本人学校で行なう主な任務は、私の専門教科である中学部技術科の充実を図ることでした。その一環として技術室の整備を行うことになり、入ってみたら、鉋1丁しかなかった」と原さんは驚く。その後予算がつき、原さんが離任する頃には教材教具は充実したものになった。「日本で辺地の学校に勤め、何でもさせてもらえたことが、大いに役に立った」と原さんは感謝したという。

[バンコクからの電波]

バンコクでの原さんの生活は、当然のことながら「教育実践」だけではなかった。日本を立つ時には高額なアマチュア無線送受信機や、電気工具を揃えていた。現地で住居を決める時にもダイポールアンテナが張れるかどうか、を計算しながら選択していた。タイではアマチュア無線は禁止されているものの「RAST(タイ無線連盟)に加入さえすれば電波を出せる」と、西野・日本人学校PTA会長から教えられる。西野文雄会長は、日本でJA1BARのコールサインをもつハムだった。

RASTに加入、原さんはHS1AHM、日本で従事者免許をもっていた奥さんが、初めてのコールサインHS1AHNとなり、活発に運用しRASTの毎月の例会にも出席するようになった。会長のカムチャイ(HS1WR)さんはタイ陸軍放送局の局長でもあり、放送局では陸軍の無線機も製造していた。「カムチャイさんにお願し、日本人会の青少年サークルの演奏を月に15分放送してもらうことになった」ことも懐かしい思い出という。

[帰国そして国際理解教育の実践]

昭和50年(1975年)、帰国した原さんは4月から北海道の檜山管内の江差町立江差小学校に赴任した。特殊学校勤務を希望していた原さんであったが、「海外勤務の実績を生かして、国際理解教育の実践を」と、何年たっても希望がかなえられず、昭和57年(1982年)3月まで勤務することになる。この期間に(1)江差町港に沈んでいたオランダで建造された戦艦「開陽丸」の研究(2)使用済み切手収集運動(3)ユニセフ募金(4)海外日本人学校との文通、などを指導した。これらの成果は「地域に根ざした国際理解教育」としてまとめられ、理解教育研究所主催の第5回国際理解実践論文で、トップ入選した。

原さん担当の6年2組の国際交流委員会のメンバーは、卒業後も活動を続けるため「あけぼの会」という組織を作ったが、小学校から高校生になってもメンバーのまま残るクラス会組織になってしまった。この「あけぼの会」は同時にクラブ局JA8ZOBをもったが、クラブとして取り組まなければならないことがが多く「運用ではあまり成果をあげなかった」と原さんはいう。しかし、一方で「海外運用をやりたい」という前向きの声も上がってきた。

「あけぼの会」は、クラブ局JA8ZOBを運用するようまでになった

行き先は原さんが日本人学校教師として勤務していたタイのバンコクに決まり、目的は世界のハムにユニセフ活動への協力を呼びかけることにした。タイアマチュア無線連盟のカムチャイ(HS1WR)さんらと連絡をとるなどの準備をしている内に、昭和56年(1981年)になり、その年の夏休みの15日間と決まった。登別高校の谷本健一(JA8OW)さんが同行することになり、また、主役である高校生3名のなかに女子高校生がいるため、原さんの奥(JH8UXN)さんも加わった。

タイではHS0JUAを運用するとともに、高校生3人はタイ教育大学付属高校に1日体験入学。疲れている彼等だが8時間の授業を受けて「楽しかった。また行きたい」と元気だった。高校生らは、難民キャンプとそこで働く日本人ボランティアの姿に感激したり、日本人会の青少年サークルとの交流などを行ない、海外の日本人の生活を知った。期間中の交信は約3000局にもなった。