[ぼや騒ぎ] 

1アマになった加藤さんに、「養成課程講習会」の講師の要請があった。講習会では「法規」は2アマ以上の資格で講師になれるといわれていたが「無線工学」の講師は1アマの資格をもったハムでなければならなかったからである。「高校出たての若造が務まるのかと不安であった」が、やがて「講師は25歳以上でなければならない」という決まりがあり「しばらくは講師の重責から逃れられた」こともあった。

その後、加藤さんは講師を引き受けたこともあったが、講習会についての思い出は会場の小火(ぼや)騒ぎである。「いつのころか忘れましたが」と加藤さんは言う。「私が講師をしていなかった講習会で会場で小火(ぼや)が発生したことがあった。大事に至らなかったのは幸いだった」と言う。

昭和40年代初めの加藤さんのシャック

[通信機販売] 

サラリーマンとなった加藤さんは近くの企業に3年ほど勤めるが、どうしても無線通信関係の仕事がしたかったこともあり、札幌の大手電機メーカーの通信機器販売代理店にアルバイトとして働く。無線通信の技術力が発揮出来るため加藤さんにとっては楽しい仕事であった。

昭和54年(1979年)加藤さんは独立する。仕事のノウハウを習得したため、自宅で無線通信機の営業活動を始めた。後に触れるがほどなくして日本の無線通信は、新しいシステムが登場するなど「ビックバン」時代を迎える。このため、業務用無線機の需要が旺盛で、事業は順調に立ちあがった。一時はアルバイトの社員を採用したこともあった。

[WAC] 

加藤さんの海外交信は昭和40年代半ばから50年代にかけてがもっとも活発であった。アンテナを立てるスペースはいくらでもあり、バンド別に次々とタワーを建て、アンテナを取り付けていった。最盛期には8本のタワーが並んだ。WAC(全大陸)は1.9MHz、で達成。北海道では初の快挙だった。

[ホーン岬] 

加藤さんは自局のロケーションについて「南北、西は開けているが東に夕張山脈があるため、南北アメリカとは交信しずらい」と解説する。このため、1.9MHzでも南米地域との交信が容易に出来なかった。ところが驚くべきことがおきる。

「ログを見れば正確な日付が分るのですが」と言いながら、加藤さんはいう。「9月の末だった。CQを出したところLU7XPが呼んできた。後で調べてみたらチリの最南端ホーン岬だった。他の局からのコールはなく、ほんの2、3分の交信だった」と言う。この時の加藤さんのアンテナはまだ低いアンテナを使い、出力は100Wだった」らしい。

南米最南端のホーン岬この地図のチリ領は大半が島になっている

[欧州] 

ロケーションの上では開きやすい欧州であるが1.9MHzでは大敵がいた。江差町にあるロラン(長距離電波航法)局の干渉であった。ロランシステムはかつて世界中に張り巡らされていた電波網であり、2カ所の局から時間差を置いて発信される電波を受信し、船舶が自らの位置を知るためのものであった。

ちなみにそれ以前は「光波標識」と呼ばれる灯台からの光を見て、自船の位置を割り出していた。ところが灯台の光の到達距離は約70Km。それに対してロラン電波は2500Kmも飛んだ。周波数は1850KHzプラスマイナス20-30KHZを利用していたため、アマチュア無線の1.9MHzに隣接していた。しかも、出力はMW級であり、欧州との交信に大きなダメージを与えていた。

加藤さんは最初のうちはノイズの原因がロラン局にあることを知らなかった。しばらくしてロラン局が原因であることがわかり「あきらめていた」と言う。ところがGPS(全世界測位システム)の利用が進むと、世界的にロラン局は廃止となり「急に北海道の1.9MHzは静かになった」と加藤さんはいう。平成2年(1990年)ころ、加藤さんの1.9MHZ・DXCCはまだ50カントリー程度に過ぎなかったが「それから4、5年は急にコンディションが良くなってきた」と言う。

「あっという間に100カントリーになり、その後200カントリー近くになった」というほどの変化であった。「冬のノイズに強いアンテナを考案して自作したからだった」と言う。そのころ、アマチュア無線の出力の「規制緩和」が始まっていた。平成4年(1992年)には28MHzが500Wまで認められ、8年(1996年)にはHF帯のすべてが1KWまで可能となった。

その後しばらくして50MHz、1KWを誰かが許可されたと聞き、加藤さんは早速変更申請を提出する。しかし、北海道では許可できないとして受理されなかったが平成9年12月、北海道の電監から「検査するから準備して欲しい」と連絡を受ける。1KW出力はちょとした放送局並みであり地方の電監では許可が難しかったからである。「いわゆる本庁決済であり、地方のハムにとってはハンディキャップであった」と加藤さんは言う。ようやく平成14年(2002年)、地方の総合通信局でも受け付け、検査が可能となっていく。